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活動報告

ホスピタルリーチ・プロジェクト—博物館と院内学級をつなぐ試み—

村田 麻里子


はじめに
東大病院には入院中の子供たちが通う「院内学級」がある。養護学校の分教室にあたるこの学級には、小学校から高等部の子供たちが治療を受けながら通っている。治療中は体の抵抗力が弱まるためほとんど外には出られず、病室と院内学級との間をボランティアに連れられて行き来する日々を送る。彼らの存在を、同じ構内にいる東大関係者のほとんどが知らない。今回は、そんな子供たちを対象に、東大博物館の資源を活用した出前ワークショップを試みた。博物館と院内学級をつなぐ「ホスピタルリーチ・プロジェクト」の実践第一号である。

ホスピタルリーチとは何か
一般に、博物館が外部の組織に向けておこなう活動や、館外に出向いておこなう活動は、「アウトリーチ(Outreach)」と呼ばれる。アウトリーチを代表する出前講座や移動博物館といった取り組みは日本ではまだ決して多くはないが、おこなわれているもののほとんどは学校を対象としている。とりわけ小中学校に「総合的な学習」の時間が導入されてから、博物館の蓄積する文化的・歴史的に貴重な資源を、学校教育の様々な局面で活用していこうとする動きがみられる。しかし、同じ学校の組織でありながら、院内学級へのアウトリーチはほとんどみられない。

2002年度4月、筆者と同大学院修士課程2年(当時)の塚瀬三重は、博物館が病院内の活動や特殊教育に関わる意義や可能性を模索するプロジェクトを立ち上げ、その位置付けを強調する意味で「ホスピタルリーチ」と名付けた。そして初年度の試みとして、東大博物館と東大病院内の院内学級との連携を図り、院内学級に出向いて子供たちに博物館の資料を用いたワークショップをおこなった。

 病院やその関係組織が外部と連携するのは難しい。関係者は子供たちの治療や身体的負担のほかに、プライバシーや人権の問題を特に気遣う。病気に対する世間の偏見や人権侵害から子供たちを守ろうとするあまり、病院や院内学級は社会から隔離されがちになる。しかし、プライバシーを理由に外界との接触を遮断することは、かえって社会の偏見を助長することにはならないか。むしろプライバシーにしっかり配慮したうえで、子供たちと外部との関わりを積極的に作っていくことで、そうした事態を改善できるのではないか。重要なのは、病院と社会とをつなぐ回路だ。

 そうした回路作りに、博物館という機関は一翼を担うべきである。博物館の所有する実物資料がもつ迫力や、そこに投影されている社会の様々な情報は、子供たちに刺激を与え、闘病への意欲や復学への自信を持つきっかけとなりうる。病院という閉鎖的な環境で生活している子供たちに博物館資源を提供することの意味は、一般の子供以上に大きい。

 さいわい東大博物館は、新しい取り組みや実験的な試みに積極的な大学博物館である。博物館と院内学級をつなぐという我々の果敢な挑戦は、こうした館の協力に支えられて何とかその第一歩を踏みだした。本稿ではその実践と成果について簡単な報告をおこなう。

なぜ院内学級か
実践の舞台となった東京都立北養護学校東大こだま分教室(以下こだま分教室と呼ぶ)は、東大病院に入院している子供たちの学校教育施設として1996年4月に院内に開設された。現在月平均13名程度の子供たちが小・中・高等部に在籍している。高度な医療技術を提供する大学病院内とあって、在籍する子供たちの病気も専門的な集中治療を必要とするものが多く、短期入院の子供たちが数ヶ月から半年単位で入れ替わる。

今回東大病院と連携するにあたり、我々はあえて院内学級を舞台に選んだ。しかし、アウトリーチの性質から考えれば、病院と連携するのに院内学級という学校組織を選び、授業という枠内での実践をする必然性はない。我々のホスピタルリーチ・プロジェクトも理念としては病院内の活動全般を対象としている。では、なぜあえてこのような方法をとったのか。

 入院中の子供たちは外界から遮断された特殊な環境の中、時に生死と向かい合いながら闘病生活を送っている。入院期間が比較的短いとはいえ、治療の副作用に耐えながら送る数ヶ月の闘病生活が彼らに与える心理的な不安は計り知れない。今回の実践は、そうした子供たちのクオリティー・オブ・ライフ(生活の質、命の質などと訳される)の向上に貢献できるものである。

しかし、病院では治療に関係ないものは押し出されがちであり、こうした実践が学校という枠組み抜きで病院内に定着するのは難しい。院内学級での実践を決めたのは、病院から押し出される可能性の少ない方法を提示することが今後実践を広めていくうえで重要だと考えたからである。もちろん、授業の枠内でおこなうということは、博物館が学校の学習指導要領にある程度沿った形でプログラムを提供することが求められることを意味する。今回の実践は病院と学校というふたつのハードルを抱えてのスタートとなった。

実践に向けて
2002年の6月、院内学級に関する下調べやインタビュー調査を経て、我々はこだま分教室に見学を依頼した。7月には夏休み前におこなわれる「こだまの時間」(小・中・高校生が一同に介す学期末の「総合的な学習」の時間)を見学させてもらい、そのうえでこだま分教室の土屋忠之教諭に我々の温めてきた実践計画について話をした。こだま分教室は、症状の重い子供も多く、また外部と連携した経験があまりないことから、我々の提案に対してかなり慎重であった。実施の目途もつかないまま、我々は土屋教諭とメールで頻繁に連絡をとり、教室に足を運び、また彼を通じてそのほかの先生方とも打ち合わせを繰り返した。

その結果、本来なら年度中の実施は難しいところを、土屋教諭のご尽力により、12月に「こだまの時間」の枠をもらって実施できる見通しとなった。正式な許可が下りるのには、もうしばらくの時間を要した。我々はどのような授業プランを組むかについて企画書や参考資料を提出し、それを院内学級側が何度か検討したうえで、ようやく実践の許可が下りた。

授業プランの内容
今回のワークショップのハイライトは、東大博物館の所蔵品をこだま分教室に持ち込み、それをもとに東大博物館の西野嘉章教授が子供たちに語りかけるというものである。入院中の子供たちに移動という身体的負担を経験することなく実物に触れさせ、問いかけることによって、彼らに博物館資源とじっくり向きあう機会を提供するのがねらいである。展示やキットの貸し出しをする活動と大きく異なる点は、研究者(あるいは学芸員)がモノと子供を介在する存在として病院に赴くことであり、子供たちと外部との回路作りには不可欠な要素である。

 我々は子供たちに見せる素材として、博物館の所蔵するダイヤモンド・レプリカのセットを選んだ。大粒の歴史あるダイヤモンドのコレクションは、レプリカといってもかなりの価値がある。その迫力と美しさは必ず子供たちの心を捉えることができるという確信があった。しかもダイヤモンドは、地理、歴史、地学、科学などあらゆる教科にも関係する広がりのある素材だ。当然こだまの時間のテーマである「文化と環境」にも結びつく。当日は、19世紀後半に英国で作られた練硝子レプリカと、2000年度にドイツで作られたクリスタルレプリカ(いずれも東大博物館岩石鉱床部門蔵)に加え、実物のダイヤモンドも持っていくことにした。

 授業プランは、院内学級の子供たちや先生方が博物館の資料と時間をかけて向き合えることを意識して作成した。そのためにはワークショップを単発のイベントで終わらせないことが重要であると考え、事前・事後学習をプランに組み込んだ。事前学習は、限られた時間でおこなえるものということで、ビデオレターを作成して渡すことにした。

東大博物館とはどのようなところか、今回話をする西野教授とはどのような人物か、授業で何をやるのかを主なポイントとして撮影編集し、それぞれの子供が病室でみられるように(子供たちはベッドサイドで授業を受けることができる)、7分程度にまとめた。事後学習は、ワークシートに沿った調べ学習をしてもらうことにした。ダイヤモンドの用途や、どこの地域でどのような状態でとれるかを調べたり、ダイヤモンドを宣伝するポスターを書いてもらう欄を設け、ワークショップで得た問題意識を発展できるよう意識した。なお、事後学習は素材だけ提供し、実際におこなうかどうかをこだま分教室の先生方と子供たちの裁量に任せることにした。

ワークショップで使うダイヤモンドレプリカについて打ち合わせをする西野教授と筆者
いよいよ実践
実践は、「こだまの時間」というすべての学年の子が半年に一度調べ学習の成果発表をおこなう授業の後半部に設定された。しかし、当日体調を崩した子もいて、実際に参加できた子供は3人であった。当日は8人の教師と3人の子供に対し、西野教授がトークをおこない、その後筆者と塚瀬がワークシートを用いて子供と簡単な作業をした。

 西野教授のトークは、「ダイヤモンドってなんだろう?:文化と環境の視点からその魅力を探る」というテーマでおこなった。大粒のダイヤモンドがなぜ貴重なのか、本物が今どこにあるのか、身の周りでどのようにダイヤが活躍しているのかなどについて、子供たちにダイヤを触らせながらわかりやすく説明した。子供たちは、手にずっしりと重い大粒のダイヤモンドを感じながら、きらきらと目を輝かせ、身を乗り出すように話を聞いていた。

 トークの後は、まず「今日はじめて知ったことを書いてみよう」という欄を設けることで、西野教授の話を反芻してもらった。次に、ダイヤのレプリカから好きなものをひとつ選ばせ、それを子供たち自身にポラロイドカメラで撮影してもらった。子供たちは真剣な顔でダイヤをひとつひとつ手にとってはながめ、ようやく選ぶとうれしそうにカメラを構え、シャッターを切った。撮影するという行為は、自ら空間(撮影対象の配置、角度など)を演出するという意味で表現活動の一種といえる。身体的負担が少なく、スリル満点のこの方法は効果があったようだ。

さらに、選んだダイヤに名前をつけ、このダイヤのどこが気に入ったのかを書いた。たとえば黄色いダイヤを気に入って、「イエローダイヤモンドスペシャル」と名づけた中学1年生の男の子は、選んだ理由を「黄色でなんかしあわせが自分に乗りうつってきそうな感じがした。」と書いている。こうした一連の作業を通して、子供たちの方からダイヤに積極的に関わるきっかけをつかむのである。最後に授業の感想を書いてもらい、アンケートの代わりとした。

 今回教室に来ることができなかった子供に対しては、その後同資料を使ってこだま分教室の先生がベッドサイドで授業をおこなった。子供たちが楽しそうにカメラで撮影する様子をのちに土屋教諭が伝えて下さった。ベッドサイドの子供のワークシートの中には、「この大きなダイヤモンドを見たときに、なにかぼくにダイヤモンドが名前をつけてくれーといってるようなきがしたので、このダイヤモンドをえらびました。」(小5・男子)というコメントもあり、西野教授の話が聞けなかった子供たちでも、ダイヤモンドという素材に魅力を感じている様子がうかがえた。

 実践終了後、こだま分教室の先生方にお願いしたアンケートの結果に、我々は安心した。

 「目の前に”物”があり,気軽に触れたのでとても自然に流れに乗っていたと思う。分かりやすい言葉で,活動も負担になるものではなったので楽しそうだった。」

 「病院内で限りある生活をしているので、新しい興味を引き出すきっかけになったかと思います。」

 「子どもたちが後でも楽しそうに話をしていました。本物(ダイヤのレプリカ)に触れたり,教授からほめられたことがうれしかったようです。ありがとうございました。」

 最後まで慎重だった先生方がこうしたコメントを寄せてくれたことで、我々は当日の実践で初めて先生方の理解が得られたことを実感した。

実践を終えて
振り返ってみると、連携は驚きと戸惑いの連続だった。手探りの状態で、病院や院内学級独特の雰囲気やルールがわかってくるまでにはいくつもの小さな障壁に直面した。また、病気療養児を抱える院内学級と連携することがいかに難しいかということも痛感した。

 たとえば、実践の当日に3人の子供しか来られなかったことは、我々にとっては計算外のことだった。そもそも「こだまの時間」に実践を設定してもらったのは、それが子供たちが一同に介す唯一の時間だったからだ。治療中の彼らを支えるのは入院仲間であり、彼らといっしょに授業を受けることは精神的な支えにもなると考えたのだ。しかし、子供たちは治療の最中にあり、院内学級の出席率は不安定なのが常だ。朝に打った点滴で頭痛を起こしたり、授業の途中で体調が悪くなったりすることは常に想定され、こだま分教室でもベッドサイド授業と教室授業の併用で授業をまわしている。

当日の生徒が3人になったことによって、ワークショップの効果がそんなに変わるわけではなかった。しかし、我々があえて「こだまの時間」を設定し、仲間同士で共有してほしかった体験が、より多くの子供たちに共有してもらえないことは残念だった。実践後に、こだま分教室の先生方からも「もっと多くの子供たちにみせてあげたかった」という言葉が聞かれた。これは、院内学級の先生方が日々直面している問題なのだ。

 さらに、症状が重く、ベッドサイド授業しか受けられない子供も沢山いる。我々のプロジェクトの目的からいえば、こうした子供たちにこそ外部の人と接してもらいたいのだが、ベッドサイドの問題は博物館側が簡単にクリア出来る問題ではない。外部組織に属する人間が授業を受け持つには、正式な病院側の許可を必要とし、そこに到達するには時間と信頼関係が必要だ。今回は、ベッドサイドの子供たちへの授業は、こだま分教室の先生方にお願いした。そのためには、貴重なダイヤモンド・レプリカを数時間こだま分教室に貸し出す必要があった。正直、我々は貸し出しの許可は難しいと考えていた。しかし、博物館の田賀井篤平教授のご好意により特別にその許可をもらうことができたのだった。

病院、社会、そして博物館
子供たちが博物館を訪れるのではなく、彼らの日常的な空間に博物館という外部が入っていくという構造をつくること—それはすなわち院内学級と社会との回路をつくることを意味する。院内学級が内部で閉じこもらずに社会とつながっていくことは、子供たちが外部の人間と触れるだけでなく、外部の人間(今回で言えば我々や博物館)が病院の子供たちと接し、彼らに対する理解と認識を深めることを意味する。社会のノーマライゼーション(病いや障害を持つ人が地域で普通の生活を営むことを当然とする考え)は、こうしたことを積み重ねることで徐々に達成されていくのではないだろうか。

 また、博物館資源を病院で活用することは、病院と社会をつなぐことのみならず、博物館が社会とつながることをも意味する。博物館が社会の中で自らを開かれた組織にしていこうとするなら、自らを取り巻く社会と積極的に関わり、そこに内在する問題に取り組みながら社会との関係をつくっていく必要がある。病院は、そのほんの一例だ。

 最後に、この機会を与えてくださった東京都立北養護学校東大こだま分教室の先生方と東京大学総合研究博物館の先生方に厚くお礼申し上げる。また、本プロジェクトに惜しみないご協力をたまわった東京都立北擁護学校東大こだま分教室土屋忠之教諭、東京大学総合研究博物館西野嘉章教授、そして同館田賀井篤平教授に心から感謝したい。

 本プロジェクトは東京大学大学院情報学環メルプロジェクトの一環として平成14年度科学研究費補助金「循環型情報社会の創出を目指した協働的メディア・リテラシーの実践と理論に関する研究」(代表 水越伸)によって実現した。

 

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(東京大学大学院学際情報学府博士課程
/博物館学・メディア論)

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Ouroboros 第21号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成15年7月15日
編集人:高槻成紀/発行人:高橋 進/発行所:東京大学総合研究博物館