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微小貝の分類学

佐々木 猛智


貝類は昆虫、甲殻類とならんで動物の標本収集対象の御三家の一つであり、分類学的研究は無脊椎動物の中では進んでいる方である。その現生種の種数は世界中で6万種とも10万種ともいわれており、日本でも最近出版されたカタログによれば1万近い種が既に記載されている。ところが、この1万種という数字はかなり不満足な数字である。現実には少し調査に出かければ同定できない貝類が今でも多数採集される。私の予想では、少なくともさらに2000種ほどの未知の種があると思われる。

日本の周辺域では未知の貝類の宝庫は2つある。1つは大陸棚よりも深場(およそ水深200m以深)に生息する深海の貝類である。調査船による底生生物採集では、耳掻きで地球の表面をすくい取るような作業であるため、生物相を明らかにするために時間がかかり、大・中型の種にでさえ未知の種がある。

もうひとつの重要課題が微小貝である。浅海域の大型貝類は、もちろん重箱の隅をつつけば細かい問題はいくらでもあるが、大抵は記載が終わった種である。例えば、3cmを越える貝を採ってきた場合、同定できないということはほとんどない。一方、貝類の分類で最も大変なものは1cm以下の貝類である。さらに深海の微小貝となると未だ誰も手をつけていない状態に近い。

実は「微小貝」という言葉ははっきりと定義されたものではなくその用法は研究者によって異なる。人によっては1cm以下であったり、5mm以下であったりする。マニアックな人になると2mm以上は「大きい」と言ったりする。ただし、海洋生物学では底生生物の大きさは採集に用いるふるいのメッシュサイズの規格に基づいて、1mm以上をマクロベントス、1mm以下をメイオベントス(メイオとは「より小さい」という意味のギリシャ語に由来する)と呼び分けている。従って、1mm以上のマクロベントスに含まれる小型種を「微小貝」、メイオレベルの貝類を特に「超微小貝」と呼ぶのがよいかもしれない。

微小貝についてよく受ける質問は「地球上で最も小さい貝はどのくらいの大きさですか?」である。私の知る限り、答えはオマロジア科に属する平巻の巻貝の1種で、殻径0.4mmより大きくなることはないとされている。その類似種は日本にも分布しているが、日本産の種ではもう少し大きくなる(図1)。

微小貝類の代表例
図1 1mmにも到達しない微小貝類の代表例。左:Orbitestella属(オービテステラ科)の1種。
殻径0.74mm。右:Ammonicera属(オマロジア科)の1種。殻径0.7mm。
どちらも1992年5月に屋久島湯泊海岸の潮間帯岩礁域から採集。

ところが実際には0.4mmよりも更に小さい「究極の微小貝」が存在する。それは上記の種の幼生がもつ貝殻(原殻と呼ばれる)であり、大きさは約0.15mmである。この0.15mmという値は大分部の貝類の卵サイズよりも小さく、今のところこれよりも微小な貝殻は発見されていない。従って、海底の堆積物を0.15mmくらいの大きさにまで分画して探せば、ある場所に生息する全ての貝類の全個体を完璧に採集できるであろう。もっとも、成貝だけを採集するつもりであれば、通常は0.6mmくらいの網目で十分である。

微小貝の研究は以前は特殊な研究者のものでしかなかった。むしろマニアックな研究者の趣味的な研究という雰囲気さえあった。しかし、最近では種の多様性の重要性が再認識され、圧倒的に種数が多い小型種の存在を無視できなくなってきている。例えば、海底洞窟の群集のように大部分が数ミリ以下の小型動物だけから成る特殊な例も発見されており、微小貝研究の重要性を示す一例である。

一方で、系統・進化の研究においても、1990年頃から解剖学的に上位分類群間のギャップを埋める微小貝類が発見され注目を集めた。また、化石記録ではカンブリア紀の初期の貝類は全て1〜2mmの大きさであったことが知られている。このように考えると、微小貝という存在は特殊な例外などではなく、むしろ貝類の進化の出発点であったといえる。

多くの微小貝が扱いが面倒というだけの理由で不当に放置されてきたが、人間の目の基準で差別すること自体が不自然であり、科学的ではない。微小生物は環境問題や保全生物学の基礎資料としても重要であり、博物館標本として欠かせない。

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(本館助手/動物分類学)

  

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Ouroboros 第9号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成11年11月25日
編者:西秋良宏/発行者:川口昭彦/デザイン:坂村健