相対性理論における時間と宇宙の誕生
東京大学大学院理学系研究科
物理学専攻 教授
ビッグバン宇宙国際研究センター長

佐藤 勝彦

INDEX

はじめに
相対性理論 時間とは、空間とは?
タイムマシン
相対論的宇宙論
インフレーション
宇宙は“無”から生まれたのか? —虚時間からの宇宙創生—
ブレーン宇宙論
ダークエネルギー(暗黒エネルギー)
終わりに
はじめに
 この「時空展」が開催される前の年、2005年は国際連合によって「世界物理年」と定められた。多くの科学雑誌や新聞が特集を企画し、また日本物理学会をはじめ多くの学術団体が講演会やエベントを企画し、物理学のおもしろさを伝え物理学の普及活動を行った。2005年が世界物理年に選ばれたのはアインシュタインによってちょうど100年前の1905年に現代物理学の根幹をなすような重要な論文が発表されたからである。「相対性理論」、「光電効果」、「ブラウン運動」の論文である。(「相対性理論」は簡略化して相対論と記す。)「光電効果」の論文は後に続く物理学者によって「量子論」が建設されることになる重要なきっかけとなる論文である。良く語られるように、「相対論」と「量子論」は現代物理学をささえる2本の柱である。20世紀、この2本の柱の上に現代物理学の大系が建設され、化学や生物学、また地球科学、宇宙科学などの基礎科学が爆発的に進んだ。これにより、私たちの住んでいるこの自然世界がどのような世界なのか、極微の素粒子の世界から宇宙の果てまでわかってきた。そしてこの自然世界の中での人間の位置もわかってきた。またこのように爆発的に進んだ基礎科学の上に工学、医学、農学などが飛躍的に発展し、人間社会、また人間そのものあり方まで今変えようとしている。物理学者の手前みそではあるが、あらゆる科学・技術の土台として物理学は大きく人間社会に寄与していると考えている。
  ここでは、この自然世界の認識の中でも、大きなスケールの極限である宇宙の認識が、アインシュタインの相対論を中心とする物理学でいかに深まったかを見てみたい。
 中国淮南子によれば宇とは「四方上下」つまり空間であり、宙とは「往古来近」、つまり時間である。二つをあわせた宇宙とは時空ということになる。私たちが通常考える宇宙とは時空とその中に含まれるあらゆる物的存在をあわせたものといえるであろうが、漢字で書かれた宇宙という言葉は、欧米で宇宙を意味するコスモス(調和)という言葉より、科学的に適切なものといえるであろう。この小文では、まず相対論によって時間や空間の概念がいかに深まったかを振り返りたい。
  宇宙全体の構造・起源を研究する分野は宇宙論と呼ばれている。かつて宇宙論といえば実証性のない数学的理論だけでほとんど哲学と考えられていた時代があったが、今や宇宙論は観測の時代に突入している。アインシュタインの相対論にしたがって宇宙はビッグバンによって始まったという理論は、何十年も前に提唱されたもので決して新しくはない。しかし家庭で使われているビデオカメラにも使われているCCD8荷電結合素子)などの光電技術とコンピュータ技術を駆使したハイテクを駆使することにより、また人工衛星からの宇宙の観測によってビッグバンからわずか30万年しかたっていない頃の宇宙の姿を描き出しているのである。また究極の疑問とも言うべき宇宙の始まりや起源も相対論と量子論によって物理学の言葉で描き出されるようになってきたのである。後半では最近の観測的進歩や新たな理論の展開についてふれたい。
相対性理論 時間とは、空間とは?
聖アウグスチヌス 「時間とは何か?誰も私に問わなければ、私はそれを知っている。誰かそれを問う者に説明しようとすれば、私は知らないのである。」これは有名な聖アウグスチヌスの言葉である。なんとも無責任な言葉と思われるかも知れないが、私達は日常生活を通じて時間は「よく知っており」、なんら困ることはない。しかし、「時間とは何か説明せよ」と問われれば、しどろもどろになってしまう。
物理学のもっとも基本となる「力学」は物質が時間的に空間をどのように移動するかを記述する物理法則である。当然時間や空間とは何かということを明確に定義しておかねばならない。ニュートンはその力学大系を記述した「プリンキピア」 つまり「自然哲学の数学的原理」(1687)において時間とは「その本質において外界とは何ら関係することなく一様に流れ、これを持続とよぶことのできるもの。」、空間とは「その本質において外界とは何ら関係することなく常に 均質であり揺らがないもの。」と定義している。
 このように時間や空間を定義したニュートンの気持ちは良くわかるが、しかし、「これで良くわかりました」という定義ではないであろう。カントは「純粋理性批判」で時間、空間は「人間の先験的概念」だと述べている。私は時間や空間を人間は直感的には理解しているのだが、説明することは困難だといっているのだと解釈している。
 要するに時間は無限の過去から無限の未来にかけて一様に、物があろうとなかろうと、どこでも一様に流れている何かだ、空間も 四方上下どこまでも無限に続いており、物があろうとなかろうと、均質、つまり一様等方なのだという言うことである。 ニュートン的時間と空間、時空は 物質がその中で演舞する舞台であり、その舞台は石舞台であってその上で激しくジャンプしたり、どんとけっても何ら変形はしないものだと言うことである。物理学は時空という舞台の中で、物質がどのような規則、法則に従って演舞するのかを記述するものである。その舞台がへこんだり揺らいだりしたのでは、とてもきれいな数学的定式化などできない。ニュートンの偉大な点は、このように時空を「外界とは何ら関係することない一様なもの」と定義し、時間や空間を絶対的なもの、絶対時間、絶対空間としたことである。はっきりと時空は物理学の対象ではなく物質の演舞の舞台として、この絶対時空のもとに運動の法則、 ニュートンの運動方程式を記述したことだと言える。

アインシュタインは1905年に特殊相対性理論を、また1916年には一般相対性理論提唱し、時間や空間の概念を大きく変えた。一般相対性理論は特殊相対性理論をより普遍的、一般化したもので、 特殊相対性理論は一般相対性理論に包含される。以後特殊相対性理論や一般相対性理論をあわせて簡単に相対論と呼ぶ。相対論は一言でいえば、それは「時空」の物理学である。アインシュタインは時空はニュートンがプリンピアで定義したような石舞台では決してなく、トランポリンのように、へこむ舞台であることをしめしたのである。 そこで物質は床が重みでゆがむことも考慮して演舞しなければならい。それどころか限度を超えて重いと、この舞台の床は抜けてしまう。これがブラックホールである。
図解 相対性理論 佐藤勝彦監修 PHP研究所 より
トランポリンの上にボールを置いたときトランポリンがゆがむように時空は物質エネルギーの 存在によって曲がる。
2つの物体に働く重力は、あたかもこのゆがんだトランポリンの上で2つ のボールが互いに引き合うのと同じようなことである。
(図解 相対性理論 佐藤勝彦監修 PHP研究所 より)
 日常生活でも何か出来事が起こったとき、人にそれを伝えるためには「いつ」「どこで」ということを話さなければならない。「いつ」と言うとき西暦でも日本の年号を用いても良い。また「どこ」を言うのに 本郷3丁目の交差点から北へ何mといっても良いし、東経何度、北緯何度といっても良い。どのような時間や空間での位置表示を用いるかはその場合の便利さや慣習によって決めればよい。位置表示の仕方によって出来事や出来事の間の関係が変わることはない。物理学はこれらを普遍的にまた数学的に厳密に議論するために出来事(、これを「事象」と呼びぶ)の起こった時間や空間を定めるために「座標系」を用いる。日常の出来事と同じように座標系は記述したい事象によって、便利なように勝手に決めればよい。物理学の基本法則は、人間が勝手に決める座標によって変わることはもちろんあり得ない。すべての座標系は同格、平等なのである。このことを座標系の相対性原理という。アインシュタインが自分の理論を相対性理論と呼んだときの「相対」とは座標系の相対性なのである。1905年の特殊相対性理論では、等速度運動している座標系(慣性系と呼ぶ)の間の相対性を満たすようにすることができた。そして1916年の一般相対性理論ではじめて「すべての座標系」を平等にする理論が完成したのである。もっとも座標の相対性の概念はアインシュタイン以前のニュートン力学でも当然のことと考えられていた。特殊相対性理論の鍵となったのは「光の速さは、どんな速さでも運動している人から測っても同じ速さである。」(=光速度不変の原理)という観測事実である。電車の中で前方に歩いている人の速さは静止した地上から見ると電車の速さと歩く速さを加算したものであるというのが常識で実際日常に起こることでは正しく成立している。これを単純に適用すると電車の中で前方に向かって発射された光の速度は地面からみると電車の速度だけ加算されているべきであり、光速度不変の原理は成立しない。アインシュタインの偉大であることは、一件矛盾しているように思われる「相対性原理」と「光速度不変の原理」を電車の中の時間と地上の時間はそれぞれ違って良いと見抜き両者を共に成立する要にしたことである。「時間はみんな互いにちがっていい。」のである。ここから「浦島効果」が起こる。つまり地球に妻と子供を残して光速度に近い速度で宇宙旅行にでた青年の宇宙飛行士が、自分の時計で何年か後に地球に帰還したとき、妻はすでにお婆さん、子供ははるかに自分より年配の熟年のおじさんになっているようなことが起こる。
 この特殊相対性理論は「等速度で運動している座標系の相対性」という限られた座標系の平等性に基づくものであったのであったが、アインシュタインはこれを「すべての座標系の相対性原理」に拡張しようと考え、10余年この研究に明け暮れたのである。もっとも障害になったのが「重力」である。重力は万有引力とも呼ばれているように、どんな物質であろうとその質量に働く。電磁気力のように定められた電荷や磁荷に働くのではなく、すべての物質に働くため、うまく拡張できないのである。しかし、アインシュタインはこの性質から「重力で自由落下しているエレベータの中では重力は消える」ことを理解したのである。そして重力は物質の質量エネルギーによって時空がゆがむことによって引き起こされることを見抜き、これによって一般相対性理論は成功したのである。このように相対論は、実に当たり前の考えである座標系の「相対性原理」を貫徹することによって自然に導かれるのである。


アインシュタインの重力場の方程式


アインシュタインの重力場の方程式
 一般相対性理論の中核であるアインシュタイン方程式、重力場の方程式は物質の質量エネルギーによって時空がどのようにゆがむのかを与える方程式である。
  左辺は時間の進み方が変化したり空間が曲がってしまうことを表す時空の幾何学量である。右辺の  は物質の質量・エネルギーや運動量を表すエネルギー運動量テンソルと呼ばれる量である。cは光速度、πは円周率、Gは万有引力定数である。
方程式の意味は 物質のエネルギーに万有引力定数Gをかけたものが時空の曲がり方を決めるというものである。曲がった時空の中で物質は運動し、運動した物質がこの方程式にしたがって時空を決める。このように宇宙は物質と時空が一体となって発展・進化して行く。
タイムマシン
前の章に記したように「時間とはなにか」という問いかけに、相対論によってはじめて科学的に答えることができるようになった。しかし「相対論」だけで時間に関する疑問にすべて答えることができるわけではない。その一例がタイムマシン 問題である。タイムマシンはSFの永遠のテーマであるが、タイムマシンで未来に行くのは、何ら問題はないし、相対論はそれが可能であることを示している。前章で示した「浦島効果」効果はまさに未来にタイムトラベルすることである。光速に近いロケットでの宇宙旅行は、宇宙旅行から帰ると自分の息子より若くなる例からも明らかなように、必然的に「時間旅行」になってしまうのである。光速度に近いロケットは今はないので、このような時間旅行は不可能であるが、極わずかな未来への時間旅行は誰も行っているといる。新幹線のような高速度列車や飛行機旅行をしたとき、自分の時間の進み具合は遅れる。旅行中身につけていた腕時計は地上の時間より極わずか遅れているし、自分の老化は旅行しなかった人より進んでいないはずである。
  タイムマシンの問題は過去の世界への時間旅行である。よく知られているように「親殺しのパラドックス」が生じ論理的矛盾をきたす。つまり「過去に行って自分を生む前の母親を殺したらどうなるのか? 母親を殺せる自分は生まれず、従って母親を殺せることもないはずだ。」という矛盾である。しかし、驚いたことに相対論は過去の世界への時間旅行を禁止していない。1949年、「不完全定理」で有名なゲーデル(K.Goedell)は時間がループ状に閉じた宇宙のモデルをアインシュタイン方程式を解くことによって求めたのである。つまり時間は直線のように過去から未来にまっすぐ延びているのではなく、未来がいつか過去につながってしまうのである。アインシュタインはプリンストン高等研究所の同僚であるゲーデルが自分の方程式の解として、時間が直線的ではなく輪っかになるような解を発見したとき、おおきく動揺したといわれている。このような解があるということは過去にゆくことができるからである。輪っかのように時間が閉じた曲線状になったものを、時間的閉曲線(CTC:closed timelike curve)と呼ぶが、驚くことにアインシュタイン方程式の解として存在することが発見されたのである。しかし、その後もいくつか時間的閉曲線を持つ解が発見されたが、ゲーデルの宇宙のモデルを含めいずれも現実には存在しないようなモデルであるため、必ずしも深刻な問題として認識されなかった。
 だが、10数年ほど前、米国物理学会の会長も務めた著名な相対論研究者、ソーン(K.Thorne)が、具体的にタイムマシンの作り方の論文を書いたのである。二つの異なる場所を結ぶ、通行可能なワームホールを考える。ワームホールは2つの異なった空間を結ぶトンネルのような時空である。そしてBの入り口を光速に近い速さで振動させる。こうすると特殊相対論から静止している入り口,Aの近傍の時間に比べると振動している入り口Bの時間の進み方は遅くなる。例えば、振動していない方の時刻がすでに4時でも、振動している方はまだ2時ということも起こり得る。こうしておいてこの入り口に飛び込み、静止した入口から飛び出そう。自分の腕時計の時刻は2時であるが、出てきたところの時計の時刻は4時ということが起こる。つまり過去にタイムトラベルできたわけである。このようなことが実際可能なら、自分を生む前の母親を殺すことだってできる。このように何ら原理的には無理なくタイムマシンが作れるならば、親殺しのパラドックスが生じてしまうので、物理学者としてはその対策を考えなければならない。第1の考えかたは、相対論がタイムマシンを許しても、量子論がそれを禁ずるという立場である。漫画「どらえもん」では「タイムパトロール」がいて、タイムマシンを用いて歴史を変えようとする悪人を取り締まっていることになっている。いわば量子論がこの取り締まり官の役割をするであろうと言う立場である。ホーキング(S.Hawking)の時間順序保護仮説(Chronology Protection Conjecture)は、通行可能な負のエネンルギーを満たした、ワームホールは量子論的効果を考えるならば、不安定となりつぶれてしまうという仮説である。ソーンは、負のエネルギーをワームホールに満たし、安定な通行可能なものにすることができると主張しているが、ホーキングは、時間的閉曲線が存在するほど強く曲がった時空では量子的効果で、そこでの時空は発散してしまうと主張している。しかし、これは仮説という主張にも現れているように、決定的根拠があるわけではない。
ワームホールを使ったK.ソーンのタイムマシン
 ワームホールを使った K. ソーンのタイムマシン
ワームホールを使った K. ソーンのタイムマシン。
(「相対論を楽しむ本」 佐藤勝彦 監修 PHP文庫 より)
 第2の立場は、タイムマシンを量子論の多世界解釈と絡めてこの矛盾を避けようとする立場である。エベレットによって提唱された量子論の観測問題を解く解釈は世界は絶えず無限に分岐し続けており、無限の平行宇宙が存在する。量子コンピュータの研究者でもあるドイッチェ(D.Deutsch)とロックウッド(M.Lockwood)はタイムマシンで行くことのできる世界は他の平行宇宙であるとするのである。自分の未婚の頃の母親に対応する平行宇宙の女性を殺したとしても、その宇宙での自分に対応する人間は生まれなくなるが、それは自身の誕生とは無関係である。もちろん他の平行宇宙の若き頃の自分自身と会うこともできれば握手も、会話もできる。そして、そこから何ら因果律に反することは生じない。ドイッチェとロックウッドは次のように言い切る。「タイムトラベルに対するよくある異議は、物理的実在についての誤ったモデルに基づくものである。したがって、今持って時間旅行の概念を拒否しようとする者は、何か新しい物理学を作り上げるか、それとも新しい哲学的議論を展開する義務がある。」と。このように、多世界解釈の下では何ら論理的、因果的矛盾は生じない。しかし、他の平行宇宙から、年老いた私自身に対応する人物が、私を訪問してくれない限り、この理論を証明することもできない。
  相対論学者ノビコフ(I.Novikov)はいくらかかわった立場でCTCを考えている。リング状プールでは水が循環し周期的に水は元に返ってくるが、CTCが実在したとき、すべてが因果が周期的につながっているなら何ら矛盾は生じない(Principle of Self Consistency)。原因が結果を生み、それが原因となって新たな結果が生じ、それがリング状につながるなら、親殺しのパラドックスなど矛盾は生じない。しかし、その世界は奇妙な世界である。そこではすべては決定されており、自由意志は存在しない。ノビコフ等もこれを解決する方法があるわけではない。ただ「我々が自由意志と思っている者は実は幻想かもしれない」と言うにとどめている。
  このように時間の問題は相対論により科学的に議論ができるようになったものの、大きな謎も残されている。タイムマシン問題は量子論がこの問題に深く関わっていることは疑いのないことのように思われる。相対論を完全に量子論的にあつかう理論は量子重力理論と呼ばれているが、未だ実現していない。ホーキングは「タイムマシン問題は 量子重力理論の研究者のリクリエーションだ。」とジョークを言うが、多くの研究者は量子重力理論への鍵となるものとして研究しているのである。
相対論的宇宙論
 アインシュタインは、一般相対論を作り上げた時、自分の作り上げたこの理論が、物質世界全体を含む時空を科学的にとり扱うことのできる初めての理論であることを認識し、1917年、今日アインシュタインの静的宇宙モデルを作り上げた。アインシュタインは、自分の重力場の方程式、今日アインシュタイン方程式とも呼ばれている方程式を解いて、永遠不変変化することのない時空のモデルを作ろうとした。当時の天文学的常識では宇宙は永遠不変であり、また永遠不変であることは美しくもある。そのような宇宙のモデルを作ろうとしたことは自然であろう。宇宙は一様等方であるという高い対称性を仮定すると、この方程式は簡単に解くことができる。しかしこの方程式の解はすべて時間的に変化するものばかりで、時間的に変化しない解は存在しないことがわかった。アインシュタインの重力場の方程式はニュートンの万有引力の方程式の拡張であり、そこには斥力は一切存在しない。宇宙に存在する物質が互いに万有引力で引きあうのだから収縮するのは当たり前である。そこでアインシュタインはこの方程式を変形し、宇宙定数と呼ばれる定数を導入し新しい項を加えた。宇宙定数はΛというギリシャ文字でこの定数は書かれるので、Λ項とも呼ばれる。この宇宙定数は空間が互いに退けあうような斥力を及ぼす効果がある。つまり万有引力に対して、新たに宇宙斥力を導入しこの2つをバランスさせて、アインシュタインは静的な解を求めたのである。しかし、このモデルは山の頂上にいるようなもので、実に危なっかしい宇宙モデルである。確かに力が釣り合って静的な解が得られたものの、少しでも揺らぎが加わると収縮に転じたり、膨張に転ずる。しかしアインシュタインの宇宙は永遠に不変でなければならないという信念は強く、5年後の1922年、ロシアのA.フリードマンがすなおに、最初のアインシュタイン方程式を解き、今日のビッグバンモデルの基礎となった宇宙膨張の式を求めたときも、同意しなかった。フリードマンは当時もっとも物理学の分野で権威のあった学術誌、ドイツのZeitshrift fur Physikにこの論文を投稿した。 この論文のレフリーはアインシュタインだったが、フリードマンの論文は計算ちがいがあり誤っているとして、最初掲載不可と判定した。フリードマンの友人がアインシュタインを訪問し子細を説明した結果、アインシュタインは計算違いをしたのは自分であることを認め、論文は掲載されることになった。このように宇宙が永遠不変であるべきと言う信念は強く、フリードマンの計算が正しいと認めても、それは現実の宇宙を記述するものとは認めなかったようである。実際、フリードマンとは独立にアインシュタイン方程式を解き、同じく宇宙の膨張の解をえた、G.ルメートルに対しても極めて冷たい対応をしている。G.ルメートルはベルギーの神父で後にローマ法王庁の科学アカデミーの院長にもなった人である。今日宇宙定数入りの宇宙膨張の式がフリードマンの解に代わって標準的宇宙膨張の解となっているがこの解は、ルメートルの解、ルメートル宇宙モデルと呼ばれている。1927年、宇宙膨張の発見2年前、ルメートルがこの自分の求めた宇宙膨張の解をアインシュタインに示すと、アインシュタインは彼に「Your calculation is correct, but your physical insight is abominable.」つまり「あなたの計算は間違ってないだろうが、そんな解を信じるあなたの物理的見識はまったく忌まわしい」と突き放したというのである。
アインシュタインとルメートル
アインシュタインとルメートル
(ルベーン新大学 ルメートル博物館所蔵)
物理学の歴史の最高位に輝く科学者でも、人の子であり、それを神格化することは誤りであることを示す良き例である。科学の歴史は天才的科学者のパラダイムシフトで進歩するという史観が、たぶん元々の著者の意図を越えて歪曲されしばしば雑誌などに現れるが、科学研究の現場を知らない人のものであろう。今科学の研究は、いわば「群盲象をなでる」がごとく多くの研究者がそれどれの研究成果を発表し、それらを相互に伝えることで科学は進む。科学は一人の天才の脳によって進むのではなくなく、研究者の脳のネットワークによって進んでいる。
  そして2年後、ハッブルより宇宙膨張の観測事実をしめされ、アインシュタインは、素直に自らの誤りを認め有名な言葉「人生最大の不覚だった」を発することになったのである。
「私たちの住むこの宇宙は、今から137億年の昔、熱い火の玉として生まれた。この火の玉が膨張冷却する中でガスがかたまり銀河が作られ、その中で星が作られ豊かな構造を持った現在の宇宙が作られた。」これが今日の科学的な宇宙のモデル、ビッグバン宇宙モデルである。このモデルは、アインシュタインシュタインが当初誤りとしたA.フリードマンの解、宇宙が膨張、また収縮する解に基づいているのである。
これを決定的にしたのがハッブルの発見、宇宙が実際膨張している事実である。もっとも空間的に大きなスケールで宇宙を考えるときの基本構成要素となるのは、私たちとの住む銀河系のような、1,000億個の星の集団、銀河である。私たちの宇宙はこの銀河が100億光年を越えるスケールで満ちあふれている世界である。1929年、ハッブルは当時世界最大の望遠鏡を駆使し、より遠方にある銀河ほどより速いスピードで我々の銀河より遠ざかっているという法則を発見した。これがハッブルの法則である。宇宙膨張の発見である。ビッグバン宇宙モデルを支持する第二の観測事実は、宇宙を満たしているマイクロ波の宇宙背景放射の存在である。
1965年、アメリカのベル研究所のペンジャスとウイルソンは通信衛星のための装置の研究を進めている中で、宇宙全体から弱いマイクロ波の電波がやってきていることを発見した。1989年アメリカ航空宇宙局(NASA)は宇宙背景放射探査衛星(COBE)を打ち上げこの電波のスペクトルを精密に測定した。そのスペクトルはプランク分布と呼ばれる理想的“火の玉”から放出される電磁波のスペクトルであった。その温度は絶対温度で2.726Kという温度であった。この温度は火の玉どころか極低温であるが、それが存在することは、過去に遡るにつれて宇宙の温度が高くなること示している。過去の宇宙は圧縮された状態であるので、背景放射の存在は宇宙が超高温の火の玉として生まれた証拠なのである。
 それではこの火の玉宇宙はなぜ、どのようにして生まれたのだろうか?これは人類の歴史のはじまったころから問い続けてきた究極の疑問である。聖書の創世記にみられるように、世界の各地で、神話や物語として語られてきた課題である。宇宙全体の構造や進化を扱う学問は宇宙論とよばれる。しかしこの宇宙論が、神話や哲学の段階を脱して科学となったのは、アインシュタインの一般相対論成立以後である。なぜなら一般相対論以前においては、時間や空間は物理学の舞台であっても、決して物理学の対象ではなかったからである。時間空間をあわせて時空というが、一般相対論以前においては、物質がこの時空という舞台の中でどのように運動変化していくかを明らかにするのが物理学であったが、決してその舞台である時空そのものが物質の存在によって変化し、時間の進み方、空間の幾何学が変わってしまうなどと言うことは考えも及ばなかったことである。相対論の立場から宇宙と言えば、3次元の空間と1次元の時間を合わせた4次元時空と、そのなかに存在する物質的存在すべてを合わせた系である。 したがって、宇宙の創生とは入れ物である時空と物質の2つの創生を論じることである。
COBE衛星の描いた宇宙開闢から30−40万年しかたっていない宇宙の姿。
COBE衛星の描いた宇宙開闢から30−40万年しかたっていない宇宙の姿。
現在の宇宙創生と進化のパラダイム

現在の宇宙創生と進化のパラダイム。 "無"から生まれた宇宙は
インフレーションによってマクロな宇宙となった。
インフレーションの終了時巨大なエネルギーの解放によって
宇宙は火の玉宇宙となった。
インフレーション中仕込まれた量子揺らぎは成長し
銀河、銀河団など今日の豊かな宇宙の構造になった。
 ビッグバン理論は、相対論に基づいた理論であり、現在の宇宙の構造・進化を大筋で説明できるモデルある。したがって、このモデルは基本的には疑いのない確固としたものである。しかしこの理論では、宇宙は時空の計量が発散した、また無限のエネルギー密度をもった数学的特異点から生まれたことになっている。宇宙の昔に遡のぼっていけば、必ずこの特異点に至り、もはやそこから先には遡れないという時間の果てがはっきりと存在しているわけである。 しかし時間に果てがあるということは、一般相対論を十分理解している研究者にとっても、あまり気持ちの良いものではない。何とか、特異点から始まるこの解を拡張して特異点のない宇宙モデルが作れないか、多くの理論家が試みたのである。 しかしこの可能性を決定的につぶしてしまったのがペンローズとホーキングの特異点定理の証明である。ある当然な条件の基に、宇宙は必ず特異点から出発しなければならず、また収縮に転じた宇宙は同じく必ず特異点に帰らねばならないのである。宇宙は、物理学が有効性を失う特異点から、まさに“神の最初の一撃”によって始まったのである。 このように一般相対論に基づく特異点からの宇宙創生を認めるなら、物理学にできることは、いわば“神によって与えられた”初期値のもとに、以後宇宙がいかに進化するかを計算できるだけなのである。1980年以前においては、多くの研究者は初期値というものは物理法則で決まるものではなく物理学の対象外であると信じていた。しかし1980年代になって、力の統一理論に基づいて、またその刺激によって進められた素粒子論的宇宙論の研究から、宇宙の創生そのものについても物理学で語ることが可能なのだということが、わかってきたのでる。
 このような研究の中から描き出されてきた宇宙の創生・進化のパラダイムは以下のようなものである。
1) 宇宙は“無”の状態から量子重力的効果によって生まれた。
2) 生まれた直後のミクロな宇宙はそこに存在する真空のエネルギーの効果によって加速的急激な膨張を始めた。まもなく真空の相転移が起こり、真空のエネルギーは潜熱として開放され、宇宙はマクロな火の玉宇宙になった。(加速度的急激な膨張と引き続いて起こるエネルギーの解放による火の玉宇宙の創生のシナリオをインフレーションモデルという。)
3) インフレーション中に仕込まれた物質密度の揺らぎは、火玉宇宙の膨張と共に次第に成長し、銀河や銀河団など、現在の宇宙の構造へと成長し、今日の豊かな宇宙が作られた。

 もちろん、1)や2)の起こる時期は宇宙開闢10−44秒という様な、極端な宇宙初期のできごとであり、直接の検証ができる話ではない。したがって宇宙論研究者はこの描き出されて理論をシナリオと呼んだり、またパラダイムと言うわけである。このシナリオは、現在多くの科学者のパラダイムとなっており、学術論文はこのパラダイムの中でほとんど執筆されているわけである。パラダイムと言わざるを得ない理由は、1)や2)の出来事を記述する、確固とした理論が実はないことにもよっている。最先端の研究はすべてそうであるように、従来の理論では扱うことのできないことにも模索しながら進められているのである。 しかしそれにもかかわらず、標準的パラダイムとなっているのは、それだけ宇宙創生のシナリオとして説得性があり、観測とも基本的によく一致しているからである。

インフレーション
 宇宙の創生を研究するためには、もっとも物質としては小さな階層である素粒子の研究成果が必要である。宇宙という最も巨大な存在の起源が、逆に最もミクロな存在である素粒子の研究が基礎となると言うのは何とも逆説的であるが、まずその理由は、宇宙の創生期に遡るにつれ宇宙の温度が極めて高くなり、全ての物質は素粒子にまで分解されてしまっているからである。ミクロの極限である素粒子は当然量子論的に扱わねばならず、したがって宇宙の初期は量子論的な世界である。1980年代、物質世界の基本的な力を一つに統一しようとする統一理論が大きな進歩を遂げた。すべての力を統一する究極の統一理論は得られていないが、その基本的概念から力もまた生命の進化と同じように進化したという示唆が得られた。「宇宙が始まった時、1つの種類の力しかなかった、しかし宇宙が膨張し冷却する過程で力も枝別れを起こし現在の4つの力がうまれた」というシナリオが描きだされたのである(図)。 統一理論ではこの力の枝別れは、“真空の相転移”によっておこることになっている。通常カラッポの空間と考えている“真空”が物質と同様に相転移をおこすというのは理解し難いことであるが、物理学者の描いている真空は決して何にも物が無いカラッポの状態ではない。量子論的に真空を考えるならば真空も確定的に何もないということは許されず必ず揺らいでいなければならない。揺らぎを具体的に言うならば物理学的真空では電子とその反物質である陽電子、又陽子と反陽子というように物質粒子とその反物質粒子がペアで生々消滅を繰り返しているのである。この様に真空は何物も存在しない状態ではなく、物質が最も存在しない基底状態としての物理的な実体なのである。
ウロボロスの図。
ウロボロスの図。
もっとも大きな極限である宇宙の創生を理解するためには、その反対に物的存在としてもっとも小さな存在である素粒子の世界が分からなければならない。
統一理論は相転移前の真空は巨大な“真空”のエネルギ−を持つことを示唆している。現在の宇宙では真空のエネルギーは存在しないが、宇宙の始めには存在していたことになる。“真空のエネルギー”は アインシュタイン方程式のエネルギーの項に代入してやれば空間に対して“斥力”として働き宇宙を急激に膨張させる効果を持つことが直ちにわかる。驚いたことに、真空のエネルギーの役割はアインシュタインが、宇宙がつぶれてしまわないように、勝手に導入した宇宙斥力、宇宙定数とまったく同じ数学的に同じ役割をするのである。アインシュタインの宇宙定数は宇宙初期において復活したのである。しかしこの“真空のエネルギー”による宇宙斥力の強さはアインシュタインのものより何十桁も強く宇宙はこれまでの普通のビッグバンモデルとは比べものにならない急激な速さで膨張をすることになる。宇宙は“真空のエネルギー”によって殆ど瞬時に何十桁、何百桁と大きくなる。“真空のエネルギー”の著しい特徴はそのエネルギー密度は宇宙の体積がどれだけ大きくなろうと薄まることはなく常に密度は一定であることである。ということは宇宙の全内部エネルギー、体積x“真空のエネルギー密度”も何十桁、何百桁と増えることを意味している。真空のエネルギーの存在する真空はあたかもゴムのように引き延ばされると元の小さな状態に戻ろうとする負の圧力を持つ。真空というゴムを引き延ばしそのエネルギーを増大させたのは宇宙膨張であり、このエネルギーは宇宙の膨張からきている。つまり真空のエネルギーはアインシュタイン方程式を通じて急激な宇宙膨張をおこさせ、それによって自らの全エネルギーをも増大させるという機構によって、単に小さな宇宙の空間的大きさを大きくするというだけでなく、その内部にエネルギーを創ることをしているのである。 
 真空のエネルギーに働く斥力によって引き起こされる、急激な膨張はいつまでも続くのではない。真空の相転移の終了と共に、何百桁と増大した真空のエネルギーは潜熱として解放され普通の熱エネルギーとなる。これは水蒸気が水になるとき、また水が氷になるときに潜熱が解放されるのと同様である。宇宙はこの潜熱によって熱い火の玉となって膨張することになる。このモデルの提唱者の一人である私は当初指数関数的膨張宇宙モデルと呼んでいたが、今日、A.グースの巧みな命名に従ってインフレーション宇宙モデルと呼ばれている。 
  インフレ−ションモデルは、もともと標準モデルであるビッグバンモデルの困難を解決するために考えられた。そしてそれをうまく解決することで学問的には評価されている。しかし宇宙の創生という見地からみたとき、インフレーションは明かにビッグバン宇宙を作る重要なステップと見るべきであろう。その理由の第一は実際このインフレーションという急激な膨張によって、どんな小さな空間もマクロな空間、宇宙スケールにすることができるからである。第二にインフレーションによって宇宙の物質エネルギーが何百桁と増加することである。いずれもエネルギー保存を満たすアインシュタイン方程式と統一理論の式を基礎としているにもかかわらず、結果的には真空のエネルギーをもったミニ宇宙を巨大な現実のエネルギーに満ちた宇宙へと成長させるシナリオとなっているのである。増大したエネルギー分、宇宙のポテンシャルエネルギーとして負のエネルギーが隠されていることになっている。第三は宇宙膨張の原因を説明することができることである。宇宙の膨張は“神の最初の一撃”ではなく真空のエネルギーに働く“宇宙斥力”によって引き起こされたのである。
  インフレーションモデルの付随的ではあるが興味深い示唆は宇宙がインフレーションの過程でたくさん生まれることである。宇宙でインフレーションが進む時、因果関係もない異なった場所で同じように進とは考えられない。ある場所では早くある場所では遅くというように非一様に進む。大きなスケールでは宇宙は凸凹となり膨張が早く急激に起こった領域は元の宇宙から因果関係が切れた“子供”宇宙となる。さらにこの子宇宙の中でもインフレーションが進行するので、そこから更に“孫”宇宙が作られる。さらにこのプロセスは次から次へと続くので無限の宇宙が生まれることになる。
  このインフレーションモデルはいうまでもなく、完全な宇宙創生のシナリオではない。なぜならこのシナリオではどうしても最初の宇宙、ミニ宇宙と呼んだものははじめから存在しなければならないからである。しかしその様なミニ時空さえあればそれをビッグバン宇宙に成長させることができる。これによって量子的にミニ宇宙が創生されるならばそれが現実の宇宙へと成長することが可能になったのである。
インフレーション理論はこのように宇宙創生の機構の重要なステップであるが、観測的な裏付けがなければそれは、科学とはならない。1992年米国NASAの打ち上げたCOBE衛星は宇宙開闢から30万年しかたっていない頃の宇宙の姿を描きだした。宇宙では遠くを見ることは過去を観測することである。可視光や電波に対して現在の宇宙は透明なので過去の宇宙を観測できるが、しかし30万年以前の宇宙は高温のためガスが電離しており、それより以前の宇宙は不透明となり観測できない。
COBE、WMAP衛星の描いた
COBE、WMAP衛星の描いた
宇宙開闢から30−40万年しかたっていない宇宙の姿。
COBE衛星は電磁波で観測できるもっとも昔の姿を描きだしたのである。 インフレーション理論は現在の宇宙構造の種がインフレーション時の量子揺らぎから仕込まれることを予言しているが、予言通りの密度揺らぎが映っていたのである。これによりインフレーション理論は観測から強い支持が得られたのである。さらにNASAはCOBE衛星の後継機、WMAPを打ち上げ、2003年2月に、COBEより30倍より細かな宇宙初期の地図を発表したのである。COBE衛星の観測結果をさらに深め、相対論に基づく理論と組み合わせることで宇宙の年齢は137億年であることを示したのである。
宇宙は“無”から生まれたのか? —虚時間からの宇宙創生—
 インフレーション理論が提唱されてしばらくたった頃、宇宙は“無”の状態から生まれるのだというモデルがビレンケン(A.Vilenkin)によって提唱された。無からの創生という考えは言うまでもなく昔から宗教神話などで主張されていたことである。又存在を別の存在によって説明しても説明にならないことは論理的にも自明といえば自明である。そう考えれば無に存在の起源を求めなければならい。ビレンケンの業績はそれを科学の言葉で語ったことである。宇宙とは物質が満ちた時空多様体の事である。ビレンケンのいう“無”とはしたがって単に物質が存在しないという意味ではなく、その入れ物である時空−時間空間−も存在しない状態である。ビレンケンはこの“無”の状態から量子重力効果により極めて小さいがしかし真空のエネルギ−が高い状態にある、ミニ時空がトンネル効果により作られるモデルを示したのである。トンネル効果とは、物質が波の性質を持っているため本来通過できない山の内部をあたかも自分でトンネルを掘って通過してしまう量子論的効果である。量子宇宙は大きさゼロの状態からトンネルをくぐって出てくるまで、虚数の時間で膨張してゆく。トンネルからところで実時間となりインフレーション宇宙へとつながるのである。虚数の時間は元々トンネル効果の確率や経路積分の便宜から導入されたものである。実時間の前に虚数の時間として宇宙が始まったとすれば、始まりの時空の特異点も無くなる。虚時間は実は時間軸が空間軸と区別がつかないものになったという意味である。
安田講堂で講演する S.Hawking(1990)
安田講堂で講演する S.Hawking(1990)
実はインフレーション前のトンネルをくぐっている時代の宇宙は空間4時限の宇宙なのである。ホーキングは無境界仮説を提唱した頃、「虚時間を使うことは単なる数学的トリックにすぎず、実体や時間の本質については何も語っていないと言ってもかまいません。私のような実証主義者にとって、観測結果を説明する数学的モデルを定式化するのに、虚時間が役に立つかどうかだけが、可能な問いです。」とかたっている。しかし、1991年の東京での講演では「虚時間の概念は、次の世代には地球が丸いのと同様に自然だと考えられることになるでしょう。虚時間は世界を形作る何かなのです。」と言い切っている。虚数数の時間が存在するか否かという議論は不毛であるが、存在すると考えたほうが、論理の展開に便利ならばあると考えて研究を進めた方が生産的である。
ブレーン宇宙論
 宇宙創生の量子論の最近の話題は、多次元宇宙の創生である。超紐理論の進展、刺激により、多様なアプローチが進められている。従来の多次元宇宙モデルでは、時空となる4次元を除いた残りの次元は内部空間とよばれ小さな空間にならなければならないと考えられていた。なぜなら、通常のx、y、zという3時限の方向広大に広がっているなら、私たちはその方向にも移動でるはずであり、これは現実世界ではない。もし他の空間が素粒子でも潜り込めない、小さな丸まった小さな空間ならこの矛盾は存在しないからである。一方、3次元空間となる方向には膨張しなければならない。
最近の新たな、もっとも興味深い宇宙のモデルはブレーン宇宙モデルである。究極の統一理論となりうる超紐理論として考えられているM理論の示唆するところでは、高次元の空間の中に、3次元の膜が存在し、それが我々の住む宇宙である。この膜に垂直な方向は決して小さくなっていないが、物質はこの膜ないに閉じ込められていると考えるのである。
宇宙の多重発生。
宇宙の多重発生。
インフレーションは同時に宇宙が多量に生まれることも示唆している。
 スタインハート(P.Steinhard)と ツロック(N. Turok)はこの2枚が衝突することがビッグバンに対応するのではないかと考え、エキピロテイック宇宙モデル(Ekypyrotic Universe Model)というモデルを提唱している。彼らはこの衝突は一回ではなく無限に続くのではないかと考えたのである。 我々の宇宙に対応するブレーンがまず別のブレーンと衝突し、ビッグバンが起こる。宇宙はビッグバン後、通常の減速的膨張のあと、わずかに残存している真空のエネルギーによって加速度的な膨張をおこす。しかしやがて真空のエネルギーも小さくなり収縮に転じ再度2枚の膜は衝突を起こしビッグバンを起こす。つまりこのモデルは宇宙は膨張収縮を繰り返す振動宇宙モデルで、時間に始まりもなければ終わりもない。
現在ブレーン宇宙モデルは、多くの研究者の興味を引きつけ、大きく進展しつつある。これが新たなパラダイムとなるようなものとなるのか、一つの流行なのか現時点では判断できないが、たとえ後者であっても、このモデルが豊かな内容を持っていることは、確かである。
超ひも理論に基づき、ブレーン宇宙論が提唱されている。
超ひも理論に基づき、ブレーン宇宙論が提唱されている。この理論では私たちの宇宙は10次元の空間に浮かぶ“膜”のような世界である。
私たちはこの3次元の次元を持つ膜の中に閉じこめられており、外にゆくことはできないが、重力は音の世界にも及ぶ。
2枚の“膜”宇宙が衝突してビッグバン宇宙が生まれたとするモデルも提唱されている。
ダークエネルギー(暗黒エネルギー)
米国の科学雑誌、サイエンスは毎年、その年の科学の10大発見を発表しているが、1988年度の大発見のトップは、宇宙を加速度的に今膨張させている“宇宙斥力の発見”であった。カリフォルニア大学、バークレイ校のパーミュッタ(Seul. Perlmutter)をリーダとする超新星宇宙論プロジェクトチームと、オーストラリア、マウントストロム天文台のシュミット(Braian P.Schmidt)をリーダとする高赤方偏移超新星探査チームが独立に真空のエネルギーの量は宇宙の物質エネルギーの70%にもなることを示したのである。きわめて遠方の超新星の明るさからの測定から宇宙が再び加速度的な膨張を始めていることを発見したのである。また先ほど宇宙の年齢を137億年と決めた、宇宙背景放射観測衛星もまた、真空のエネルギーの量は宇宙の物質エネルギーの70%になることを示したのである。すでに宇宙初期に起こるインフレーションの説明の中で示したように、真空のエネルギーとは、アインシュタインの宇宙定数と同等である。驚くことにアインシュタインの提唱から80年後に見事に復活したのである。
いずれにせよ“宇宙斥力の発見”の発見は再び真空のエネルギーが宇宙の主なエネルギーとなり、宇宙は急激な膨張、“第2のインフレーション”を始めたことを意味する。この真空のエネルギーの正体はいったい何なのだろうか? 最近、正体不明の物質をダークマター(暗黒物質)と呼ぶのに対応して、この正体不明の真空のエネルギーをダークエネルギー(暗黒エネルギー)と呼ぶようになった。謎はその正体だけではない。なぜ我々は第2のインフレーションが始まったという宇宙の歴史の特別な時期に生きているのか? 偶然そのようなことが起こる確率は極めて小さい。そこには何らかの必然性があるはずである。この疑問は偶然一致問題(coincidence problem)と呼ばれる。 
本来何の関係もない量である両者の値は50桁、100桁違っていてもそのほうが自然なのである。物理学法則の必然的帰結として、例えば量子重力理論の帰結として現在の真空のエネルギー密度が導かれるなら、宇宙定数はもはや物理定数であり、“何故このような値をもつのか”という疑問は宇宙論の疑問ではなくなる。真空のエネルギーが存在するとその値として量子重力理論から推定される自然な値は、現在の真空のエネルギー密度より120桁も大きい。このような120桁の違いを、現在の物理学の範囲で人為的操作なしに自然に導くのはほとんど不可能であろう。この疑問は小ささの問題(smallness problem)と呼ばれている。
終わりに
 宇宙論研究は今二つの方向で進んでいる。第1は最近しばしば言われる精密宇宙論の方向である。20世紀末に宇宙論パラメータの基本的値はほぼ決まり、21世紀の課題はこれを精度よくきめ、かつインフレーションを含むビッグバン宇宙論を基に、宇宙進化の描像を明確に描き出すことである。宇宙背景放射観測衛星、WMAPは宇宙の年齢を137億年±2億年と有効数字3桁で決めた。ESAが2007年に打ち上げるPLANCK衛星は、宇宙の密度や曲率などの量、宇宙の進化の描像をさらに精密に決めることになる。また宇宙における構造形成、天体形成、化学進化の研究は、今爆発的に進みつつある。現在、すばる望遠鏡をはじめとする10メータクラスの巨大望遠鏡が世界で10台以上稼動する時代となっている。さらに、日本のX線天文衛星、「すざく」、赤外線観測衛星「あかり」をはじめとして宇宙空間から全波長での観測が進んでいる。宇宙論は、今はっきりと、“論”から天文学となったのである。21世紀前半には、観測によって豊かな宇宙進化の描像が天文学として描き出されるであろう。21世紀末には、COBEが宇宙開闢30万年ころの宇宙の地図を描いたように、重力波によってインフレーションの起こった頃の地図が描かれると夢見ることもできる。 
しかし、同時に期待したいことは、従来の理論に矛盾、もしくはそれまでの理論では説明することのできない観測が出てくることである。知の世界の体積が膨らめば当然それだけ、その表面、フロンテイア、も広がるのは当然である。実際、ダークマター、ダークエネルギーの問題は大きな謎である。我々は、我々の住んでいるこの宇宙を構成する物質の99%が何であるかをまったく知らない。第二の方向はこの謎へのチャレンジである。ダークマターの候補としては超対称性理論が予言するニュートラリーノをはじめとして各種の素粒子が考えられている。その直接検出を目指す実験も行われている。2007年に稼動するであろうLHCによって何らかの示唆が得られることを期待したい。一方ダークエネルギーの存在の“発見”はそれが正しいならば、宇宙論的意義以上に物理学の根幹にふれる発見である。
科学は矛盾や謎を解くことによって進む。これらの謎は21世紀宇宙論への鍵である。

参考文献
「アインシュタインの考えた宇宙」 佐藤勝彦 実業の日本社、 2005年
「相対論を楽しむ本」 佐藤勝彦    PHP文庫、PHP研究所 1998年
「宇宙96%の謎」 佐藤勝彦   実業の日本社、 2003年
「ホーキング、未来を語る」 S.ホーキング著、佐藤勝彦(訳) アーティストハウス 2001年
「ホーキング、宇宙のすべてを語る」 S.ホーキング著、佐藤勝彦(訳) ランダムハウス講談社 2005年 

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