第ニ部

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時空間エクスペディシオン

イラク・イランの調査
イラク・イランの調査

イラク、テル・サラサート2号丘の発掘調査(1956年)。
東京大学が派遣した戦後最初の海外学術調査の舞台となった遺跡である。

テル・サラサート出土物の分配交渉(1957年)テル・サラサート2号丘発掘現場を訪れた英国の調査団(1956年)
テル・サラサート出土物の分配交渉(1957年)。当時のイラク国古物法にしたがい、出土物の半分が東京大学に分与された。テル・サラサート2号丘発掘現場を訪れた英国の調査団(1956年)。左端がロンドン大学のM.マロワン教授で、その右の女性は夫人で推理作家のアガサ・クリスティ。
イラク・イランの調査「土器片」 イラク・イランの調査「壷」
イラク・イランの調査「土器片」

ギャプ遺跡は1959年に調査された。小さな遺跡であるが、神殿址が見つかっている。出土した彩文土器には動物の文様が目立つ。これはイランの先史時代土器一般を通じてみられる特徴である。
【イラン ギャプ/前4500〜4000年頃/最大13.7cm/総合研究博物館考古美術部門】
イラク・イランの調査「壷」

口縁部内側と器面外側に羽状の刻み文様がつけられている。この土器はウバイド期の終末にあたるが、この頃になると、それ以前に多かった彩文土器が少なくなり、代わって文様の簡略化、無文化が進む。
【土器/イラク テル・サラサート2号丘/前5000〜4000年頃/高さ17.1cm/総合研究博物館考古美術部門】
イラク・イランの調査「石皿」 イラク・イランの調査「台付鉢」
イラク・イランの調査「石皿」

【石器/イラク テル・サラサート2号丘/前5000〜4000年頃/長さ54.5cm/総合研究博物館考古美術部門】

「磨石」

【石器/イラク テル・サラサート2号丘/前5000〜4000年頃/長さ28cm/総合研究博物館考古美術部門】
磨石と石皿はセットにしてもちいられた。中近東地域では紀元前8000年頃にはムギ類の栽培が始まっており、世界最古の農耕発祥の地として知られている。ムギ類は磨石と石皿で製粉されてパンがつくられた。

イラク・イランの調査「台付鉢」

北メソポタミアでニネヴェ5期といわれる時代の彩文土器。器面を埋め尽くすように彩文が描かれているのが特徴。土器の製作にはロクロが使われるようになった。
【土器/イラク テル・サラサート5号丘/前3000〜2500年頃/高さ23.4cm/総合研究博物館考古美術部門】
イラク・イランの調査「鏡」 ネックレス
イラク・イランの調査「鏡」

【青銅/イラン ハッサニ・マハレT4号墓/3世紀中頃/直径11.8cm/総合研究博物館考古美術部門】

「ネックレス」

【ガラス・石・ファイアンス/イラン ハッサニ・マハレT4号墓/3世紀中頃/長さ約40cm/総合研究博物館考古美術部門】
ハッサニ・マハレ遺跡はカスピ海南のデーラマン盆地にある。東京大学の調査団はここで1960年から64年にかけて古墳墓を集中的に調査した。これはササン朝ペルシャ期の墓からみつかった副葬品の一部。
イラク・イランの調査「針」「小刀」「はさみ」 イラク・イランの調査「獲物を射る帝王」
(上)イラク・イランの調査「針」
【青銅/イラン ハッサニ・マハレT7号墓/3世紀中頃/長さ11.6cm/総合研究博物館考古美術部門】
(中)「小刀」イラン
【鉄/ハッサニ・マハレT7号墓/3世紀中頃/長さ13.0cm/総合研究博物館考古美術部門】
(下)「はさみ」
【鉄/イラン ハッサニ・マハレT7号墓/3世紀中頃/長さ11.7cm/総合研究博物館考古美術部門】
これもササン朝ペルシャ期の墓の副葬品の一部。はさみは日本の和ばさみと同類であって、東西アジアの文化交流が知られる。ヒツジの毛を刈り取るための道具だと解釈されている。この墓からは突起装飾をもったガラス器も出土している。それは骨董市場ではなく科学的な発掘で得られた最初の例であった。実物はテヘランの博物館にある。
イラク・イランの調査「獲物を射る帝王」

ターク・イ・ブスターンとは楽園のアーチを意味する。イラン西北部にある歴代ササン朝帝王たちの避暑地である。高さ約9mにも達するいくつかの洞窟が岸壁にうがたれ、その中に帝王の浮き彫りが描かれた。これはアルダシール3世(628-630)を描写したものとされる。東京大学の調査団はステレオカメラを用いた地上実体写真測量によって、それらの浮き彫りの詳細な立体図を作成した。
【イラン ターク・イ・ブスターン/7世紀/総合研究博物館考古美術部門】
アンデスの調査 コトシュ遺跡の調査で使用されたジープ
アンデスの調査

ペルー、コトシュ遺跡の発掘風景(1960年)。この遺跡でアンデス最古の神殿址がみつかった。

コトシュ遺跡の調査で使用されたジープ。当時は自動車を含むほとんど全ての調査資材が日本から持ちこまれた。
アンデスの調査「石皿」「磨石」 アンデスの調査「トウモロコシ」
アンデスの調査「石皿」

【石器/ペルー コトシュ/前1800〜700年頃/28.5cm×14.6cm/総合研究博物館文化人類部門】

「磨石」

【石器/ペルー コトシュ/前1800〜700年頃/直径9.5cm/総合研究博物館文化人類部門】
石皿と磨石は製粉具として用いられた。メソポタミアではムギ類製粉用であったのに対し、アンデスではトウモロコシ用に使われた。

アンデスの調査「トウモロコシ」

【植物遺存体/ペルー チャンカイ/1000〜1450年頃/長さ15.5cm/総合研究博物館文化人類部門】

アンデスの調査「ラクダ科動物文様深鉢」 アンデスの調査「人物付きネガティブ文様鉢」 アンデスの調査「三角鉢」
アンデスの調査
「ラクダ科動物文様深鉢」

アンデス地帯に生息する大型動物は少ない。これにはリャマが描かれているらしい。その上下には投げ遣りが表現されていることから、狩猟もしくは宗教的な儀礼を表わしていると考えられる。ナスカ期。
【土器/ペルー 南海岸/1〜700年頃/高さ9.0cm/総合研究博物館文化人類部門】

アンデスの調査
「人物付きネガティブ文様鉢」

中央の人物の周囲には肩をくんだ子供らしき人々が巡っている。中央の人物の後ろに口があり、注ぎ口は肩を組む人の背についている。レクワイ期。
【土器/ペルー 北高地/1〜700年頃/高さ18.0cm/総合研究博物館文化人類部門】

アンデスの調査「三角鉢」

円形ではなく三角形をした特異な土器。口縁部には波状の高まりが三カ所あり、うち二カ所の胴部には内側から押し出した丸みがついている。ワイラヒルカ期に属する。
【土器/ペルー シヤコト/前1800〜1300年頃/高さ21.0cm/総合研究博物館文化人類部門】

アンデスの調査「十四人面金冠」 アンデスの調査「布」
アンデスの調査「十四人面金冠」

1989年の調査で、この遺跡の神殿の中央基壇の下にあった墓から見つかった埋葬品の一つ。老人男性にともなっていた。金の板に六角形の窓を一段七つで二段にして開け、窓に人面を金の紐でつり下げている。窓枠のつくりは、明らかに篭細工の形をしている。篭目から人間の頚が見えているという図式である。展示品は実物と同成分の金で精巧につくられた複製模型である。実物は、ペルーの国立博物館に保管されている。
【模型/ペルー クントゥルワシ/前750〜450年頃/高さ18cm/総合研究博物館文化人類部門】

アンデスの調査「布」

アンデスの織物は紀元前1800年頃の形成期からの伝統をもっており、多様な発展を遂げた。これは、平織りに幾何学文が縫いとられたもの。
【織物/ペルー チャンカイ/1000〜1450年頃/23.0cm×25.2cm/総合研究博物館文化人類部門】

アンデスの調査「メドゥーサ」
アンデスの調査「メドゥーサ」

形成期には大規模な祭司建造物が盛んにつくられ、それらはしばしば石彫で飾られた。これはチャビン・デ・ワンタルの神殿でみつかったものの拓本。ギリシャ神話のメドゥーサのように髪が蛇として表現されている。右手に男性を象徴するストロンブス貝、左手に女性と結びつけられるスポンディルス貝をもっている。両性の融合を表しているらしい。
【石彫拓本/ペルー チャビン・デ・ワンタル/前800〜250年頃/68cm×68cm/総合研究博物館文化人類部門】

ヒマラヤの調査ネパール東部ジャルジャル・ヒマール
ヒマラヤの調査キャンプ地ヒマラヤの調査標本作製
ヒマラヤの調査

(上)キャラバンを組んで調査に出発する。荷物の運搬には現地の人々の協力を得る。ネパール東部ジャルジャル・ヒマール(1977年)。

(下右)キャンプ地。後ろは岩山、高山帯の草原。ネパール東部ジャルジャル・ヒマール(1977年)。

(下左)標本作製。野外で採集した植物を新聞紙に押しつけて押し葉を作製している。ネパール中部マンシャンディ・コラ(1983年)。

ヒマラヤの調査「おしば標本」 ヒマラヤの調査「おしば標本」
ヒマラヤの調査「おしば標本」

東京大学のヒマラヤ植物調査団によって新しく発見された植物の一つ。これは日本のアマドコロやナルコユリに近い植物。
【ナルコユリの一種/Polygonatum singalilense H.Hara/種子植物・ユリ科/シッキムMigothang−Nayathang 標高3300〜3900m/1960年6月1日採集/総合研究博物館植物部門】

ヒマラヤの調査「おしば標本」

高山植物は平地の植物に比べて矮小化していることが多い。ヒマラヤの高山植物にもこの一般則はあてはまる。
【イブキトラノオの一種/Bistorta diopetes H.Ohba & S.Akiyama/種子植物・タデ科/ネパール東部Jaljale Himal (around Banduke)/標高4150m/1991年7月25日〜8月3日採集/総合研究博物館植物部門】

ヒマラヤの調査 洪積世人類の調査
ヒマラヤの調査

(右上)洪積世人類の調査
発掘前のアムッド洞窟。洞内から外をみる(1961年)。洞窟はイスラエルのガリレー湖畔にある。1961年の発掘で保存のよいネアンデルタール人成人男性の化石骨がみつかった。人骨はアムッド一号とよばれている。

(右下)洪積世人類の調査
「アムッド一号人骨」

アムッド一号人骨の出土状態。土圧で粉々になっていた(1961年)。身体を左に曲げた状態で埋葬されていた。死者の埋葬が始まるのは人類進化史上でもネアンデルタール人以降のことである。【ネアンデルタール人/イスラエル アムッド/5万年前頃/総合研究博物館人類先史部門】

(上)洪積世人類の調査
「ネアンデルタール人頭骨の成長復元」

東京大学の調査団は1993年、シリアのデデリエ洞窟でも保存のよいネアンデルタール人化石を発見している。それは幼児骨であった。この図は、アムッドの成人骨との比較研究にもとづき、ネアンデルタール人の成長パタンをコンピュータで推定復元したもの。

洪積世人類の調査「アムッドの石器」 洪積世人類の調査「イヌ」
洪積世人類の調査「アムッドの石器」

アムッドのネアンデルタール人は洞窟で大量の石器を製作した。発掘されたものだけでも、数万点に達している。使用痕の研究によって、それらは木材の加工や獣の解体に用いられたことがわかっている。
【フリント/イスラエル アムッド/5万年前頃/総合研究博物館人類先史部門】

洪積世人類の調査「イヌ」

シリアのドゥアラ洞窟でも1970年から84年にかけて人類調査がおこなわれた。ここでは人骨は見つからなかったが、石器にともなって動物化石が発見された。中には、イヌ科の骨が含まれていた。それは、オオカミにしては小さすぎるしジャッカルよりは骨太である。むしろ家畜化されたイヌと似ていることから、世界最古の家イヌとの説も出されている。
【Canis sp./左下顎骨/シリア ドゥアラ/10〜5万年前/長さ12.0cm/総合研究博物館人類先史部門】


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