これらの標本は、明治26年 (1883) 以来、 本学に人類学講座が開講されて以来、 歴代の研究者によって収集・研究されてきたものである。 古人骨・化石人骨は日本の更新世後期、縄文時代、弥生時代、古墳時代、 中世、近世の各時代のものを含み、その数は約1万体にのぼり、 学内外の研究者に常時活用されている。 土器・石器標本は日本の先史学研究に欠かせないものが多数ある。 その中には E.S.モースによる大森貝塚発掘品、 最初の弥生式土器など学史的にも重要なものがあり、これらを含め現在、 6遺跡出土の191点の標本が重要文化財に指定されている。 また、本部門は古人類・先史人類学分野の海外学術調査に対して 基地的役割を果たしており、 また、海外調査と関連した標本研究の場としても機能している。 これらの多岐に渡る標本研究活動の一部は大学博物館「研究報告」として 別表のごとく出版されてきた。
また、本部門収蔵の標本類は当館における研究利用の他、 出版物・展示など学外での社会教育利用の頻度も高い。 このため、今後は最新の画像システムを活用した 簡便な一般利用システムを開発することが望ましく、 今回のデジタルミュージアム展に合わせ、 QTVRムービーによる立体物の三次元画像データベースの運用を試みた。
No. 3 : 日本縄文時代人骨型録 (1979)
No. 13 : 長谷部言人博士収集犬科動物資料カタログ (1986)
Nos. 18-21 : 鳥居龍蔵博士撮影写真資料カタログ第1〜4部 (1990)
No. 25 : 縄文時代土偶その他土製品カタログ (1991)
No. 30 : モンゴロイド系諸民族の初期映像記録 (1994)
No. 1 : Report of the Reconnaissance Survery on Paleolithic Sites in Lebanon and Syria. H. Suzuki and I. Kobori (1971)
No. 4 : Report of the Investigation of the Kamitakatsu Shell-Midden Site. T. Akazawa (1972)
No. 5 : The Paleolithic Site at Douara Cave in Syria, Part 1. H. Suzuki and F. Takai (1973)
No. 6 : The Paleolithic Site at Douara Cave in Syria, Part 2. H. Suzuki and F. Takai (1973)
No. 11 : Statistical and Comparative Studies of the Australian Aboriginal Dentition. K. Hanihara (1976)
No. 14 : Paleolithic Site of the Douara Cave and Paleogeography of Palmyra Basin in Syria, Part 1. K. Hanihara and Y. Sakaguchi (1978)
No. 16 : Paleolithic Site of the Douara Cave and Paleogeography of Palmyra Basin in Syria, Part 2. K. Hanihara and T. Akazawa (1979)
No. 18 : Seasonal Dating of Growth-line Counting of the Clam, Meretrix lusoria: Toward a Reconstruction of Prehistoric Shell-collecting activities in Japan. H. Koike (1980)
No. 19 : The Minatogawa Man. H. Suzuki and K. Hanihara (1982)
No. 21 : Paleolithic Site of the Douara Cave and Paleogeography of Palmyra Basin in Syria, Part 3. K. Hanihara and T. Akazawa (1978)
No. 22 : Geographic Variation in Modern Japanese Somatometric Data and Its Interpretation. M. Kouchi (1983)
No. 23 : Paleopathological and Paleoepidemiological Study of Osseous Syphilis in Skulls of the Edo Period. T. Suzuki (1984)
No. 26 : Shovelling: A Statistical Analysis of its Morphology. Y.Mizoguchi (1985)
No. 27 : Prehistoric Hunter - Gatherers in Japan - New Research Methods. T. Akazawa a nd C. M. Aikens (1986)
No. 29 : Paleolithic Site of the Douara Cave and Paleogeography of Palmyra Basin in Syria, Part 4. T. Akazawa and Y. Sakaguchi (1987)
縄文時代晩期、愛知県伊川津貝塚より出土。 1940年に鈴木尚によって、三体合葬の中の一体として報告された。 上顎切歯に典型的な叉状研歯が見られる。
叉状研歯のある頭蓋骨に関する詳細は、デジタルミュージアム
「動く大地とその生物」の
「叉状研歯のある縄文時代頭蓋骨」の項*を参照して下さい。*東京大学総合研究博物館データベースのサイト内に再構築されました。(2017年2月 記)
富山県朝日貝塚で発見された土器である。 古くから縄文土器の優品として知られるが、発掘が古く、 記録が不十分で発見に至るデータに乏しい。
全体 (高さ37.2cm、底部は欠損) が隅々まで装飾されているにもかかわらず 決してうるさくなく、過度の煩雑さを感じさせないのは、 非常に繁縟に装飾されている頭部と単純な文様のリズミカルな繰り返しで 埋め尽くされている胴部という見事な融合のせいか。
詳細は、デジタルミュージアム
「東アジアの形態世界」の
「深鉢形土器」の項*を参照して下さい。*東京大学総合研究博物館データベースのサイト内に再構築されました。(2017年2月 記)
この人物埴輪 (高さ59.8cm) は、明治28年、 現在の栃木県宇都宮市省宮町菖蒲塚の辺りで発見されたといわれる。 胸部に直径3cmほどの小さなもりあがりがあり、 それが乳房と解釈され女子像とみられている。 この優雅な姿かたちは、一度盗難に遭い、 窃盗した人間が古物商に持ち込むために 念入りに復元したこととも関係している。 よく見るとその苦労の跡が見えてくる。
詳細は、デジタルミュージアム
「東アジアの形態世界」の
「埴輪女子像」の項*を参照して下さい。*東京大学総合研究博物館データベースのサイト内に再構築されました。(2017年2月 記)
沖縄県の港川から1970年に発掘された化石人骨4体分中、 最も保存が良いのが一号人骨である。 年代は約17000年前、東アジアを代表する現代型ホモ・サピエンス化石である。
詳細は、デジタルミュージアム
「動く大地とその生物」の
「港川人1号人骨」の項*を参照して下さい。*東京大学総合研究博物館データベースのサイト内に再構築されました。(2017年2月 記)
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