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石器・土器・金属器

(日本)


1 深鉢形土器


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日本
富山県朝日貝塚
縄文時代中期
高さ37.2cm、直径26.5cm
資料館人類・先史部門(EA. 2228)

古くから縄文土器の優品として知られる深鉢形土器。北陸の中期中葉「上山田式」に属する。

非常に繁縟な文様で器面を埋めつくすが、上部のふくらむ部分に文様のアクセントを置き、円筒形の下半分を同じ文様のリズミカルな繰り返しに統一することにより過度の煩雑さを抑え、バランスを確保している。非対称に位置する大小2個の把手もしゃれた感じに見えるが、実はもともと大1個、小3個、都合4個の把手と4個(?)の小波状突起が点対称の位置に配されていたことが破損部から知られ、これらを復元すると、相当にうるさい口縁装飾になり、全体のイメージも一変するであろう。

次いで全体のプロフィルに注目すると、器体は、内折する口縁部、外反する頚部、円筒形の胴部の3部分に分けられる。この形は上山田式土器において一般的な器形のひとつである。この3部分に対応する3つの文様帯配置は上山田式には少ないものであるが、後述するように、よく見ると、中段の文様と下段の文様はつながっているので、この土器の文様帯は、正確には口縁部の狭い文様帯と以下の胴部文様帯の2つになり、上山田式一般の文様帯配置の規則に外れない。この器形と文様帯に加え、細い刻み線を加えた、隆起線の間を半截竹管による半隆起線で埋めること、交互の深い刻みなどはみなこの型式の特徴的手法である。しかしこの土器を特徴づける、下段を同じ隆起線の繰り返しで埋めつくす装飾はほとんど類例が知られていない。この隆起線は大把手の下の渦巻きに発するもので、この渦巻きの上端から発する隆起線は横に伸びて1周したのち別の渦巻きに入って終わる。下端に発する隆起線は右方向に延びて約10周らせん状に胴部を回って隆起線を篭様に重ねた後、底部に達する。底部を欠損しているため正確な巻数は不明。

上山田式の隆起線は普通、渦巻きに発し少し水平に延びた後、第2の渦巻きを形成して終わる。つまり全体として大きなS字状をなすものが多いが、この土器の場合、延びた隆起線が胴部をらせん状に回って底部にまで達しているのである。

内面を観察すると、この隆起線と隆起線の間の谷に相当する位置にかすかな膨らみが認められ、これもらせん状に回っているが、これは器壁を作る際の巻き上げ成形の痕跡ではなく、文様としての隆起線貼付の際に外側から内側に押されてできた膨らみとみられる。なぜなら、この隆起線は上記のように渦巻きに発し、上から下に向かって巻き付けられ、内面の隆起もこれに対応しているが、それは一般に土器を作る場合の粘土の積上げの方向が下から上であるのと逆である。

この土器の胴部の隆起線の繰り返しは、篭の形象、あるいは器体をつくりあげるときの粘土の輪積みとの関係を思わせるが、上記のような観察から、そのような関係はなく、あくまで装飾として加えられたものと言わなければならない。

この土器を出土した富山県朝日貝塚は北陸地方の代表的な貝塚として知られ、1918年以来6回の発掘調査が行われている。縄文前期と中期の土器を主体とし、縄文後期の土器、弥生土器、古墳時代の土師器も出土している。地点によっては4枚の貝層が認められているが、発掘が古く、記録が不十分で、各貝層に含まれる土器型式や各貝層を構成する貝類など十分明確ではないが、上記4枚の貝層が認められた地点では第3の貝層から縄文前期末の朝日下層式が出土している。今回展示された深鉢形土器は大正13年、柴田常惠らの調査で出土したものらしい。

北陸の縄文土器編年の大網は、九学会連合「能登」の調査の後に山内清男によって示され、石川県の中期中葉に上山田の土器が、富山県の中期中葉に朝日貝塚上層の土器が置かれたが、その後は北陸の中期中葉を「上山田式」で代表させることが多く、とくに富山県については「天神山式」の型式名も用いられた。最近では小島俊彰が北陸の土器を「上山田・天神山式土器様式」の名でまとめた上で5段階に細分している。関東・中部高地の勝坂式に並行する形式である。

(今村啓爾)

参考文献

高堀勝喜、1955、「先史文化」『能登−自然・文化・社会』、九学会連合能登調査委員会
富山県立氷見高等学校歴史クラブ、1964、『富山県氷見地方考古学遺跡と遺物』
小島俊彰、1988、「上山田・天神山式土器様式」『縄文土器大観』三(中期II)、小学館


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