ある部外者から見た植物園の機能

福田泰二


東京大学理学部附属植物園に筆者はこれまで一度も勤務したことがなく、したがってその数育・研究にも管理・運営にも責任をもった経験がない。自身の研究材料、学生の実験材料、講義用の標本などさまざまな目的で植物を分けていただいたり、学外実習のために小石川本園でも日光分園でもいろいろな施設を使わせていただいたり、研究・教育・趣味などのために多くの植物を撮影させていただいたり、植物園の恩恵を受けたことは数え切れないほどある。

 もっとも、その代わりに植物園に関係のある仕事をおおせつかることも少なかったとは言えず、今回の執筆のお誘いはその一環でもあろう。そのような立場の筆者としては、植物園を正面に見据えて一文を書く資格も能力もないし、それはしかるべき人が書くはずであるから、ここでは側面からあるいは斜めに見た植物園について書かせていただく。

 まず、大学の附属に限らず植物園一般の機能としては、植物を通じての社会教育が第一であろう。木陰で散策をしたり芝生で弁当を食べたりする場所としての機能は、確かに植物園が果たしているものではあるが、それは植物園に限らず公園一般のものなので、ここでは除外する。植物園は、散歩や食事の場所を提供するだけでなく、植物に関する情報を入園者に提供するべきであるし、現にどこの植物園でもしている。その情報の大部分は、植物の名前である。どの園でも決して充分とは言えないが、植物に名札をつけてある。ところで、植物の名を知ることは植物を知るための一つの入り口ではあるが、それで植物がわかったような勘違いをしてはいけない。植物について知るべきことは、名前のほかに山ほどある。名前は人間がつけたものであるが、植物にはそれ自身がもっているさまざまな性質があり、どちらを知ることがより本質的かというと当然後者であろう。もちろん、名前をつけないでその植物の性質を論ずるわけにはいかないので、名前は必要ではあるが、それで事が済んだのではない。

 園によっては、名札に和名、学名、科名のほかに分布域が書かれていたり、薬用植物園ではその植物のどの部分にどんな効能があるかが示されるなど、園の目的によって工夫がされている。小石川植物園では、精子発見のイチョウ、メタセコイアの林、メンデルのブドウなど限られたものだけではあるが、植物学的ならびに歴史的意義を解説したやや丁寧な立て札が設けられている。また、少々勉強したいと思う入園者には、季節ごとに目につきやすい植物についての解説を書いたパンフレットを有料で配布している。小石川のほかいくつかの植物園では、ときどき講演会などを開いて、入園者と対面できる社会教育も実施している。最低限ともいうべき名札の設置から対面教育までのさまざまな形態で情報を発信することが、植物園の社会に対する機能であり、人員と費用の許す範囲でいかに効果を挙げるかを、各園とも一層工夫してほしいものである。

 いま人員と費用と書いたが、植物園で何よりも重要なものは植物である。植物は極めて多様であり、その多くは分布域が限られていて、普通には私たちは見ることができない。それらを集めて植えてあることが、最も大切である。必ずしも稀少なものでなくても、多様なものを見た入園者は、無意識のうちにも植物の多様性に気づく。それも一つの社会教育である。たとえば、根は地下にあるものとばかり思っていた人が地上の茎から垂れ下がった根や地面から上向きに突き出た根を見るとびっくりする。その驚きが好奇心に変わればそこには植物学への入り口の一つがある。植物園としては、ありふれた植物をなるべく洩らさずに植えると同時に、人目を驚かす奇妙なものも一方では植えておいてほしい。奇妙なものは概して熱帯や砂漠などに多く、その育成には温室などの設備を要する。小石川植物園の場合は、温室はもともと研究者のために作られ、見学者のための通路も確保されていないので、この点に問題があるが、露地でも育つ奇妙なものの例として北アメリカ原産のヌマスギを挙げておこう。これは、地下を横走する根の所々が上向きに偏心肥大し、タケノコのように地上に出ることによって湿地の中の酸素不足を補う特徴がある。新宿御苑には巨木があり、その周辺にはこの特殊な根が何本も立っていて奇観を呈する。しかも、それぞれの上端が平らになってタケノコというよりキノコに似て一層おもしろいので何枚も撮影したが、いずれも失敗作となった。なぜなら、キノコ状になるのはヌマスギ本来の性質ではなく心ない入園者が上に立って遊ぶからであることが後日わかった。小石川植物園では、木も若いためタケノコの数も少なく高さも低いが、正常に育ちつつあるものを見ることができる。

 この例は、入園者のマナーと園の管理方法にかかわる問題であると同時に、植物を観察するには人為の影響を受けていないものを見なければならないことを示している。本当は自生地で見るのが最もよいことになる。しかし、近縁の種類間の比較をしようと思うと、それらの自生地は近接しているとは限らず、園内に両者が植えてあれば比較観察が容易になる。その典型的な例として、三種のプラタナスについて述べる。プラタナスは属の学名Platanusの英語読みによる名で、和名はスズカケノキ属である。この属は日本には自生しないが世界に数種があり、その一種スズカケノキは西アジアを中心に分布する。アメリカスズカケノキはその名のとおり北アメリカに自生する。この両者の交配で生まれた雑種をカエデバスズカケノキといい、街路樹や公園樹として私たちに最も身近なものの一つである。それ以外の種は日本にはほとんど植えられていない。上記の三種の区別点としては、葉の形、実のつきかた、樹皮の模様などが本に書いてある。小石川植物園では、雑種を含めた三種が一目で見渡せる所に植えてあるので、比較観察には好都合で、自然界にそんな場所はありえない。これが植物園の強みである。小石川のさらに強いことには、それらの木が街路樹のような若木でなく、充分に老成した大木になっている。そこで初めてわかることだが、大木になると幹の基部の形態に三種それぞれの特徴が現われるのである。これを観察できることは長い歴史をもつ植物園ならではといえよう。

 どんな植物園でも、世界中のあらゆる植物を植えることは不可能なので、何を植えておくべきかが問題になる。竹類植物園、水生植物園、薬用植物園など、園の目的に応じて植えるべきものが限られる場合もあるが、日本の理学部附属植物園としては、日本を中心として東アジアの、そして世界の植物の中から、その多様性を示すような植物をできるだけ多く、しかも配置を考えて植えておくことになろう。

 そのような場所としての植物園は、筆者などにとっても、研究と教育の両面でまことにありがたい。あるときはマダガスカル原産のフチベニタコノキを小石川の温室から一枝ゆずり受けて葉の配列を詳細に観察することができたし、学生を引き連れて学外実習の場として利用させていただいたことも何回もある。とくに日光分園では、庁舎に宿泊する許可を得て、野外と園内の両方でそれぞれの長所を活かした学外実習をして大いに効果を挙げた。これは、一般市民に対する機能ではないが、部外者に対する機能の一つとして、今後も続けてほしいものである。

サクラ林
1 サクラ林
サクラの満開と日曜日と晴天とが重なると、大変なにぎわいになる。もちろん、酒類や遊具類の持込みはお断りしている

イロハカエデの並木
2 イロハカエデの並木
温室の南側に沿った散策路で、所々にベンチがあり、木陰に休むこともできる。つきあたりに精子発見のイチョウがあり、その幹の基部と記念碑が遠くに見えている

観覧券
3 早春の小石川植物園の一角
奥に見える幹をまっすぐに伸ばした林はアケボノスギ(メタセコイア)、手前は刈り込まれたチョウセンレンギョウの花盛り

精子発見のイチョウ
4 精子発見のイチョウがギンナンをつけているところ
ギンナンがつくのだから雌株で、これが精子発見の材料植物となったことに疑問をもたれるかも知れない。しかし、雄株から飛来して雌株の胚珠に入り込んだ花粉が約四カ月後に精子を作るのだから、精子を観察するためには雌株から材料を採集しなければならない

精子発見のイチョウ
5 精子発見のイチョウの早春の姿
葉がないので枝ぶりがよくわかる。写真は一九七八年三月撮影のものだが、現在と比較してみるのもおもしろい。根元の石碑は、一九五六年に精子発見六〇周年を記念して置かれたもので、当時の園長、小倉謙教授の筆による。木製の解説板は今では金属製に変えられている

温室
6 温室を外からみたところ

温室の内部
7 温室の内部
最も丈が高いのはタビビトノキ。手前の池にはシマフトイ、ウォーターポピーなどが見える
もともと研究者用に作られた温室なので通路が狭く、見学者を入れるのには不向きだが、曜日と時間を限って、できるだけ見学者を受け入れるようにしている


温室を訪れた学生達
8 他大学の学外実習で温室を訪れた学生達
技官の説明で植物を観察しながらメモをとっている。通路が狭いので大勢での見学は無理だが、少人数であれば貴重な体験をすることができる

植物分類標本園
9 植物分類標本園
植物の分類体系を生きた植物によって具体的に理解することができるように約五〇〇種の代表的な高等植物が植えてある。その配列はおおむねエンダラーの分類体系に従っている

薬園保存園
10 薬園保存園
本植物園はもと徳川幕府の薬園であったため、園内の随所にサネブトナツメ、カリン、サンシュユなど薬用に供された樹木が残っている。往時を記念し、当時ここで薬用に栽培されていたコガネバナ・オウレン・マオウなど約一二〇種の草本性の薬用植物を栽培して観察に供している

甘藷試作跡
11 甘藷試作跡
青木昆陽(通称甘藷先生)は、江戸付近でも甘藷(サツマイモ)の栽培ができるならば、利益も多大で救荒植物としても役立つと考え、享保二〇(一七三五)年に幕府に進言し許可を得て、この地で栽培を試みた。この試作は成功し、やがて全国的に甘藷が栽培される端緒となった。大正一〇(一九二一)年この業績をたたえ記念碑が建てられた

柴田先生の記念碑
12 柴田先生の記念碑
日本における近代生理化学の生みの親であった本学植物生理学教授柴田桂太先生(昭和二四年一一月一九日没)の一三忌にあたり、記念事業として記念碑が、植物園内にある柴田記念館(旧柴田研究室)に隣接して昭和三七年一一月一七日に設置された。(制作:彫刻家三坂一郎氏)

スズカケノキ
13 スズカケノキ
アメリカスズカケノキ
14 アメリカスズカケノキ
カエデパスズカケノキ
15 両者の雑種カエデパスズカケノキ

13〜15 スズカケノキ属の三種
葉の形、実のつき方、樹皮の模様が異るほか、大木になると幹の基部の形にもそれぞれの特徴が現れる。小石川植物園では、この三種の大木が一目で見渡せる所にあり、容易に比較観察することができる

鉢場
16 研究用の植物や系統保存すべき植物の鉢植えが所せましと並べられた鉢場。ここは一般の入園者は立入禁止となっている

メンデル葡萄
17 メンデル葡萄
遺伝学の基礎を築いたメンデルGregor J Mendel(1822-1884)が実験に用いた由緒あるブドウの分枝で、「メンデル葡萄」と呼ばれている。これは第二代園長、三好學教授が大正二(一九一三)年チェコスロバキア(現在のチェコ)のブルノーにメンデルが在職したケーニギン修道院を訪ね、旧実験園に残っていたブドウの分譲を申し出、その翌年に同地のブルカート博士から送られてきたものである

ハナショウブ園
18 ハナショウブ園の一部
江戸時代以来のさまざまな園芸品種があつめられ、六月上旬ごろには花盛りとなる

旧東京医学校本館
119 旧東京医学校本館
明治九年一一月に竣工し、明治一〇年の東京大学創設にともない、東京大学医学部の本館となった。明治一八年に理学部に移管され、植物学教室もその一部を使用した。現在、小石川植物園北西端に移築され保存されている


 ところで、一般市民や植物の研究および教育に携わる者に対する上述のような機能をもつ植物園が、都会の中にあるべき必要性と大学の附属であるべき必要性については、ときどき疑問の声を耳にする。そのつど私なりに答えていることを、以下に少し書いてみたい。まず都会にある意義を考える。水族館やプラネタリウムなどが都会にあっても誰も疑問をもたないのと同様に、植物園も都会にあって少しも不思議はない。もちろん郊外や山村にもあるのはなお結構だが、多くの人が気軽に行ける所にある方が社会教育の効率はよいはずである。専門家でない人が特別な意気込みを持たなくても知的好奇心をいくらか満たすことができる場所として、プラネタリウムや水族館などと同じく、都会に必要なものの一つであろう。植物に関する知識は、天体や水生動物に関する知識と同様に、一握りの学者だけがもつべきものではなく、人間の精神文化の一部分であり、学者と一般人とが程度の差こそあれそれを共有するための媒体として植物園をとらえると、それは都会に(も)なくてはならない。都会で植物園を維持するには、帰化植物の侵入や大気汚染に対抗して植物を育成しなければならないなど、多くの困難を伴うに違いないが、それらを克服してほしいし、一般市民もそれを応援するような文化をもつ国でありたい。

 次に大学の附属としての意義であるが、これは上に述べたことと一部重複する。植物に関する知識は、研究者たちの絶え間ない努力によって常に進歩している。植物に名前をつけることだけであれば、日本のような狭い国土に多くの人が住んでいる所で、高等植物の未命名種がこれから発見される可能性は多くはない。しかし、植物のもつ性質については、まだわからないことが多いし、現にどんどん解明されつつある。それらの成果を、一握りの研究者が独占せず広く社会に発信する場の一つとして、大学附属の植物園はそれなりの機能を果たすべきである。小石川植物園は充分とは言えないまでも前述の講演会を開くなどしてその努力をしてきたし、今後も一層の努力をしてほしいと思う。大学附属の植物園の意義としては、植物を研究する人にとって、標本や文献とともに生きた植物を集めた施設が必要であることが最も本質的に違いないが、これについては部外者は書く立場にない。

 ここまで、主として小石川植物園を念頭に浮かべながら、植物園の機能についてやや堅く述べてきたが、一方ではもっと柔らかく考える必要もあろう。部外者ではありながら同業者に近い立場で、発信する側についてとかく書いたが、受信する側すなわち入園者についても少し考えよう。いくら高尚な情報を発信しても、受信されなければ意味がない。現実の入園者は、幼稚園の団体を含めてじつに多様である。植物に何の関心もないに等しい人が大半かもしれない。そのような人の目を少しだけでも植物に向けさせることも、植物園の機能の一部であろう。いや、最も大切なことかもしれない。その意味では、植物園はだれが見ても美しい、そして楽しい場所でなければならない。小石川植物園は、早春のウメ、春のサクラ、初夏のハナショウブ、等々季節ごとに心なごむ所ではあるが、単なる観光名所とは違って、園としてはそればかりに力を注いでもいられまい。

 このような多くの重い課題を背負いつつ、東京大学理学部附属植物園がますます充実発展されることを心から願うものである。    (ふくだ やすじ)



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