東京大学植物標本室に関係した人々

大場秀章・秋山忍


七 第二次世界大戦後の植物標本室


 第二次世界大戦までどの位の標本が収蔵されていたのか、これをはっきり示す資料はない。終戦後の一時期には分類学も停滞したが、原寛が教授となり、新たな発展の時代を迎える。原教授は狭隘化した標本室の改善を目的に、自然史関係の資料を収集する自然史博物館構想を抱いていた。このような希望は当時の理学部二号館にあった自然史の他分野の研究者の間にもあり、やがてこれがひとつの声となり、昭和四一(一九六六一年に、現総合研究博物館の前身にあたる総合研究資料館が誕生した。

 原教授は戦争で中断していた海外での植物研究の実現に務めた。海外での学術研究の計画は東京大学の他の分野にもあり、前川文夫教授はアンデスの植物の研究を手掛けた。植物園の橋本保や前川教授に指導を受けた西田誠、小野幹雄らがこの調査に参加した。

 原教授は生涯の研究を通じて、日本植物の進化に関連した植物相に着目している。そのひとつは北アメリカ東部と周北極地域であり、他は中国とヒマラヤ地域であった。

 原教授が海外での学術研究を意図した時点では中国は鎖国的状況にあったため、まずヒマラヤに注目したのである。こうして昭和三五(一九六〇)年から東京大学インド植物調査が開始されることになった。原教授とそれに協力した金井弘夫(元国立科学博物館植物研究部長)、大橋広好現東北大学教授らはこの地域の植物標本と文献の収集に努めた。このような努力は現在にも引き継がれ総合研究博物館を中心に研究が進められている。

 昭和五七(一九八二)年に京都大学から東京大学に移った岩槻邦男教授は東京大学でも東南アジアとマレーシア地域の植物相の多様性の解明に向けた調査を続けた。さらに中国西南部とインドシナへとその関心を広げた。現在東京大学植物標本室にはおよそ一七〇万点のおし葉標本が収蔵される。この標本数は膨大なものだが、世界の植物学研究センターの役割りをはたしている、英国の王立キュー植物園、ロンドン自然史博物館、パリの自然史博物館、ロシアのコマロフ植物研究所、米国のスミソニアン研究所など五〇〇万点を超える標本を収蔵する施設には到底及ばない。しかし、アジアにおいては中国の北京市にある中国科学院の標本館、インドのベンガル州ハウラにあるインド国立植物標本館、シンガポール植物園、ジャワのボゴールのインドネシア国立植物標本館などとともに重要な植物標本館のひとつとなっている。世界の大学の植物標本室としては世界で一一番目の規模にある。

 東京大学植物標本室は国際的にTIという略号で知られている。アジアの植物、ヒマラヤの植物の研究はTIの標本を用いずにはできない。そのため年間この標本室を訪れる研究者は多く、平均二〇〇人に達し、海外の研究機関への標本の貸出点数も毎年一二〇〇点を超えている。

 しかし、植物標本室は現在総合研究博物館と小石川植物園に二分されている。収蔵スペースの不足のためであるが、利用や管理上、大きな支障になっている。当博物館でも植物園でも標本室での標本収蔵状況は最悪に近い。スペースの不足のため、標本箱の間隔は狭く、それがために標本の出し入れ時に標本が傷む。標本箱内はすでに満杯状況にあり、新しい標本を収蔵すれば破損を起こしかねない。こうした現況を改善し、より広範囲な研究に標本を役立てることが切に望まれる。      (おおば ひであき・あきやま しのぶ)

伊藤洋出征
24(a)伊藤洋出征のときの記念写真
昭和12(1937)年
前列左から佐竹義輔、中井猛之進、伊藤洋、本田正次、前川文夫 後列左から原寛、佐藤正己、木村陽二郎、百瀬静男、津山尚、辻部正信
藤井健次郎先生80歳賀宴
24(b)藤井健次郎先生80歳賀宴のときの記念写真
昭和21(1946)年
前列左から石川光春、中井猛之進、柴田桂太、藤井健次郎、武田久吉、田原正人、大賀一郎 次列左から本田正次、向坂道治、盛永俊太郎、中野治房、山羽儀兵、島地威雄、保井コノ、小倉謙
本田正次教授肖像画
25 本田正次教授肖像画、安達眞太郎画、1957年1月

本田正次採集標本
26 本田正次採集標本
ジャニンジン Cardamine impatiens(アブラナ科)


小倉謙教授肖像画
27 小倉謙教授肖像画、安達眞太郎画、1956年

小倉謙
28(a)小倉謙 岡山大学で開かれた日本シダ学会での講演

小倉謙
28(b)小倉謙 採取した硅化木と共に

植物学教室分類学野外実習
29 植物学教室分類学野外実習
原寛(左から2人目)、木村陽二郎(左端)


原寛、北村四郎、久内清孝
30 左から原寛、北村四郎、久内清孝


参考文献
原寛(1943)理学博士中井猛之進教授略歴(植物学雑誌五七巻:137−139)
早田文藏(1931)再び故松村先生を憶ふ(植物学雑誌四五巻501−503)
牧野富太郎(1928)創めて我東京帝国大学理学部のHerbariumの基礎を築いた人(植物研究雑誌五巻(315)−(317))
松村任三(1900)故理学博士矢田部良吉君の略伝(植物学雑誌一四巻(一)−(四))
中井英夫(1971)幻想庭園(草月一九七一年七月号)
中井猛之進(1915)理学博士松村任三氏植物学上の事跡の概略(植物学雑誌二九巻(342)−(348))
小倉謙(1940)東京帝国大学理学部植物学教室沿革附理学部附属植物園沿革(東京帝国大学理学部植物学教室)
大場秀章(1988)日光地方の植物研究の歴史(栃木県立博物館研究報告特別号、五二)
山田幸男(1934)故早田文藏先生小伝(植物学雑誌四八巻493−503)


アズマイチゲの標本
原寛 1957年採集
アズマイチゲの標本
前川文夫 1937年採集
31(a)アズマイチゲ Anemone raddeana(キンポウゲ科)の標本

ハタザオの標本
Greatrex 1930年採集
ハタザオの標本
中嶋壽三大正14(1925)年採集
31(b)ハタザオ Turritis glad(アブラナ科)の標本

ジャニンジンの標本
岡国夫 1966年採集
ジャニンジンの標本
長井真隆 1959年採集
ジャニンジンの標本
伊延敏行 昭和23(1948)年採集
32 ジャニンジン Cardamine impatiens(アブラナ科)の標本

サンリンソウの標本
伊藤洋 1931年採集
サンリンソウの標本
服部静夫 1922年採集
サンリンソウの標本
水島正美 1951年採集
サンリンソウの標本
久内清孝 1936年採集
33 サンリンソウ Anemone stolonifera(キンポウゲ科)の標本

サンショウバラの標本
早田文藏 1924年採集
サンショウバラの標本
冨樫誠 1962年採集
サンショウバラの標本
澤田武吉 1924年採集
34 サンショウバラ Rosa hirtula(バラ科)の標本

モミジイチゴカの標本
籾山泰 1932年採集
モミジイチゴカの標本
小倉謙 大正4(1915)年採集
モミジイチゴカの標本
津山尚 1935年採集
モミジイチゴカの標本
佐竹義輔 1935年採集
35 モミジイチゴカ Rubus palmatus(バラ科)の標本

Deutzia staminea
Deutzia stamineaの標本

Saxifraga diversifolia γ.moorcroftiana
Saxifraga diversifolia
γ.moorcroftianaのタイプ標本
Corydalis asterostigma
Corydalis asterostigmaのタイプ標本

36 外国の標本室より交換により入手した標本


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