主な標本の来歴について

ここでは目録No.185以降の標本について、おおよそ番号順に(1)蜷川式胤寄贈標本、(2)小樽・函館の標本、(3)海外の標本、(4)地質学関係者の寄贈標本、(5)人類学関係者の寄贈標本、(6)佐々木忠二郎寄贈標本の6つに大別して、来歴等を記述する。また、41~62ページに掲載した一覧の中から、それぞれ該当する部分を抜粋したものを、表2~4・6~11・13・14・16~28に掲載した。

(1)にながわのりたね寄贈標本


(2)小樽・函館の標本(No.297~304)


(3)海外の標本


(4)地質学関係者の寄贈標本


(5)坪井正五郎ほか人類学関係者の寄贈標本


(6)佐々木忠二郎寄贈標本(No.681~710ほか)


佐々木忠次郎(忠二郎)
『動物学雑誌』51巻7号
(1939年)より

博物場目録には「No.681¬-710, presented by C. Sasaki of Agricultural College, Komaba」と記されており、伊賀の土器・骨と日本各地の陶磁器が掲載されている。佐々木忠二郎が駒場農学校に着任した1882(明治15)年6月以降に寄贈されたと考えられる。なお、佐々木忠二郎は明治32(1899)年以降「忠次郎」を名乗っているが、本書では当時の資料に沿って原則として「忠二郎」を用いた。

① 伊賀(No. 555~557・681~682)

佐々木は1882(明治15)年夏に伊賀国名張郡青蓮寺村で塚穴(古墳)を調査し、同年の『東洋学芸雑誌』15号に「塚穴考」として報告している(佐々木1882)。報告には横穴式石室の古墳群(注26)と、須恵器とみられる出土品の図が掲載されている。

このときの出土品に該当するものとして、目録No.555~557(伊賀名張郡塚穴)の土器1点と骨3点、およびNo.681~682(Dolmen, Iga)の土器2点があるが(注27)、いずれも対応する標本は確認されていない(表27)。なお、ボストン美術館に展示されたモースの陶器コレクションにも、“From a dolmen in Iga discovered by Chujiro Sasaki” とある(Morse 1901, p.35)。伊賀の調査はちょうどモースが3度目の来日をした期間にあたっているため、佐々木から一部を譲り受けたとみられる。


注26)青蓮寺地区に分布する古墳群としては、根冷(1~8号)古墳、立岩(1~7号)古墳等がある(『名張市史』1974年、p.45)。

注27)このほかに目録No.136・137にも「Iga」の標本があり、標本資料報告116号では来歴不明としたが、佐々木寄贈品あるいは佐々木からモースを介して寄贈された可能性がある。

② 陶磁器(No.683~710)

目録には28点掲載されており、小山富士夫が同定した24点が現存することを再確認した(表28)。博物場番号注記と照合されたものが22点、番号注記が確認されないが目録の記述に一致するものが2点である。

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