いつだったか正確な日にちは忘れてしまったが、諏訪先生が人類学の展示を行うことが決まり、その企画とデザインを担当することになり、会話を続けてきた。
当初から、諏訪さんがどんな展示をやろうと考えているのか、漠然としながらも、かなり具体的な展示物、展示アイデアを語っていたことを覚えている。
ラミダスの発見。それにまつわる写真、映像、解説。自分の研究現場の様子-フィールド・ワーク。そのほか発見資料(レプリカ)の初公開。CT解析などを用いた先端的な二次的研究。
先ごろキュレーションを終え、データベース化され公開している、縄文の骨に関わる標本と内容。そこから展開されている研究。人類学の「骨をみる」観点からも楽しめるような、研究に関わる展示、等。
そして、見せ方に関してもいくつか提案があった。例えば小さいラミダスの歯を、宝石のように展示してはどうか?標本整理に不可欠な平箱を、山のように使って展示をしたらどうか。
人類の系譜をその時間、空間の広がりがわかるように展示してはどうか。研究者として、日ごろ接しているものから出るアイデアは豊富だった。その話のなかで常に言うことが、「自分が展示で紹介したいのは研究の現場であり、
通常実践している研究そのもの」ということだった。これは諏訪さんの性格だろうが、われわれに何かを提示する約束をするときには、「このときなら準備ができている」
「中途半端なものをお見せしてもしょうがない」と言われることが幾度かあった。そして、多くのものを並べ、小さいものを並べ、個々の見方、多くのものの見方を教えてくれた。
また、研究室のメンバーの標本への接し方、骨の見方、判断の仕方、これを見ているうちに次第にわかってきた。というよりも、教えられてしまった。