広島6景

5.寺と墓石 〜熱線の影を追って〜

(西向寺:現・中区大手町・・・爆心から70mなど)




 11日。爆心と元安橋の調査後、爆心近く大鉄塔の下にある西向寺の墓地へ行き、墓石の調査をした。墓石の上面のみ焼け跡があった。つまり、爆弾はこのほぼ真上で炸裂したのだ。

——「墓場 photo上面ノミ焼痕アリ」「photo H5, H6」「西向寺 真宗 大鉄塔ノ下」

 

 渡辺の被爆調査初日は、フィールドノートのどの記述を見ても橋と墓場ばかりである。橋と墓石の調査に明け暮れたと言っても過言ではない。橋については前項で水の都としての利点を取り上げたが、墓石に注目したのも、墓石はたいてい御影石(花崗岩)で造られるから、当然と言えば当然である。また、墓地には墓石が密集して建てられているので、障害物の有無という点では欠点があったが、直方体の墓石は熱線によって焼きつけられた影を測定するのに最もふさわしい形態と言えた。

 渡辺が初日に調査した墓石の記述は、次のとおりである。

◆西向寺(爆心から70m)「墓場 photo上面ノミ焼痕アリ」「photo H5,H6」「西向寺 真宗 大鉄塔ノ下」
◆西福院(爆心から550m)「墓場 N60°E カゲノ跡 photo」「photoH7、clinometer」「西福院(木挽町) 実円妙白大姉 実道教薫信士」
◆本経寺(爆心から890m)「墓場 跡著シカラズ 市庁マエ 本門法華宗 本逕寺」「方向N7°E 孔 gr. ニアリ」
◆国泰寺(爆心から490m)「墓 蔭 著シ」「photo H13、H14」「N17°W 50°dip」「日本銀行ヨコ」「国泰寺 大楠木 浅野家ノハカ」「granite mafic fused mafic」
◆「鳥居 多少 孔アリ granite」「附近墓場 西向キノ面ノミ散点状」
◆清住寺(爆心から520m)「墓跡 N55°W方向、36°dip」
◆「墓場 N75°W方向、46°dip 50°蔭顕著」

 当時、木挽町にあった西福院は現在西区己斐西町に、中町にあった国泰寺は現在西区己斐上に移転している。

 これだけこだわった墓石の調査であるが、広島の調査では2日目以降、渡辺が墓石を調査した形跡はない。実は、影から熱線の来た方向を求め爆心を求める調査は、物理班が主導して行ったものである。渡辺は、爆心地での物理班の作業様子を写真に取っているように、初日に物理班に同行して熱線の方向を決める調査に協力したようである。そして、初日の調査で爆心位置に決着がついたため、2日目以降は自分の興味のある場所・試料で参考程度に影の方向を記すのみになったのではないか。




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