第2部 展示解説 動物界


軟体動物の分類と系統関係

佐々木 猛智

 

軟体動物学の歴史と東京大学

 軟体動物の分類は古代から試みられてきた。例えば、アリストテレスは「動物誌」の中で軟体動物、 特に頭足類について詳しく記述している。その中にはタコに吸盤が1列のものと2列のものがある ことが書かれているが、それは現在の分類学でも重要な分類形質のひとつとされている。

 しかし、現在の分類学の基礎が確立されたのは、18世紀以降である。それまでは世界各地でばらばら の名称で呼ばれていた生物にリンネは、統一的な名前(学名)を与えるルールを提唱した。リンネの学 名と分類体系は誰もが容易に理解できる点で優れていた。リンネ以降、世界中の貝類がヨーロッパと アメリカの分類学者によって記載された。学名の命名では優先権を設けている。そのため命名をとも なう分類学的研究では、欧米の古い博物館に収蔵される標本 (タイプ標本)との比較が欠かせない。

 欧米の主要な博物館では膨大なコレクションが完壁に整理され、データベース化されている。こうした 研究環境の整備は 18 世紀から現在まで恒常的に継続されてきたがゆえに可能なのであり、一朝一夕に できるものではない。 20 世紀に入って現生軟体動物の分類学の集大成である“ Handbuch der systematischen Weichtierkunde(1929-1935)" 、化石軟体動物の“ Treatise on Invertebrate Paleontology (1960-1971, 1996)" などの体系的な教科書の大作が出版されたのは、そうした蓄積に もとづく成果である。

 日本を含むアジアでの分類学の研究は欧米に較べ出遅れた。しかし、東京大学では、帝国大学の創設と 同時にいち早く軟体動物についての分類学的研究を開始し、成果を蓄積してきた。

 東京大学での軟体動物学に最も重要な貢献をしてきたのは古生物学であった。地質学教室の横山又次郎博士は日本全国の貝化石を研究し、日本の新生代から知られる代表的な貝類のほとんどすべ てを独力で記載した。さらに小林貞一博士は研究の範囲を朝鮮半島やアジアの各地に広げ、カンプリ ア紀を含む古生代品重要な化石を記載した。松本達郎博士は北海道やサハリンの白亜紀のアンモナイ ト類を研究し、白亜系の化石層序を確立した。その他にも多数の研究者の標本が登録され、総合研究 博物館の地史古生物部門は化石軟体動物のタイプ標本の数では国内で最大のコレクションを所蔵する。

 動物学の分野では、大森貝塚を発見したモースが巨額も収集し、貝類標本のスケッチも残しているが、 標本は米国に持ち帰られた。後に赴任し動物学と医学を教えたデーデルラインが収集した動物コレクションも残念ながら国内には残されていない。動物学教室はかつて世界中の員類を集めたコレクション を保有していた。これは戦前のものとしては他に例を見ない規模の貴重なコレクションで、一旦廃棄 されかかり現在、本館地史古生物部門に収蔵されている。その他のコレクションとしては、日本の頭足類の分類学を確立した佐々木望の標本が動物部門に所蔵されている。

 1962年には東京大学に海洋研究所が設立され、白鳳丸、淡青丸の2隻の研究船による海洋の調査研究 が始まった。海洋研究所の堀越増興博士と土田英治氏は研究船を駆使して、日本周辺だけでなく世界 各地の深海の貝類の研究を行った。過去には著しく断片的な情報しかなかった深海の貝類相が次々に解明された。その過程で集められた標本は本館に収められており、それは二度と再収集することのできない第一級の貴重なコレクションである。

 このように、東京大学は軟体動物の研究において長い伝統と歴史を誇っており、その過程で収集された貴重な学術標本が本館に収蔵されている。

 

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