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[ニュースという物語]


東京絵入新聞絵入善悪双六

明治一四年(一八八一)一一月
東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
これは、遊びながら善悪の区別が学べるという双六だが、一コマ一コマのエピソードが、東京絵入新聞という新聞紙の「雑報 はなし」欄掲載のつづき物から選ばれている。絵は、そのつづき物の挿し絵を模写したもので、模写された挿し絵の掲載された号数が記されている。

東京絵入新聞絵入善悪双六 東京絵入新聞絵入善悪双六
図306

東京絵入新聞絵入善悪双六

{右端の列のみ}
少悪 千八百六十一号 斧五郎の噺 一上り 二お梅 三金之助 四錠次郎
「そん/なら/ふたり/で/まつ/て/ゐま/すよ
「船の/つがふで/すぐと/むかひに/くるよ
 
善 千八百五十五号 お濱のはなし 二お梅 三お録 五秋野 六上り
「まア/さうざう/しい/しつかに/おしな
「これがしづかに/されるものか/づうづうしい
 
少悪 千八百五十九号 増江のはなし 一錠次郎 四お金 五お栄 六お作
「このちく/しやうめ/よくも/おれを/だま/しやア/がつた/な/その
かはり/もの/も/ひつ/ぱいでたたき/のめして/やる/ぞ
「マアマア/わけをきいておくれ
 
少悪 千七百九十号 嘉六お君の噺 一浪花 二栄吉 三おきん 六仙右衛門
「わたしハ/かくご/を/して/をり/ます/どう/ぞ/いつ/しよ/に
「ハテ/ぜひもない/事じやなア
 
善 千八百十六号 小澤お久の噺 三寅吉 四浪花 五留吉 六お栄
「みやこの/女子ハ/また/かく/べつな/もの/じや
「すつきり/とし/た/よい/との/さんじや

 

しん板しんぶんづくし

「しんぶん」も「つくし」の対象になった。新聞錦絵と違い、一つの新聞記事を四場面、八場面などにわけて絵解きする。マンガに似ているが、実際には、切って折りたたんで豆本(ひいな本)にするのが一般的な楽しみ方だったようだ。

しん板しんぶんづくし
図307

新聞絵解つくし

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵

新聞絵解つくし
図308

 

洋語翻訳双六 明治七年(一八七四)

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
学校教育に浮世絵が利用されるようになると、「教育」の役に立つということを「売り」にするおもちゃ絵がたくさん現れる。これは、遊びながら西洋語が覚えられるという双六。「上がり」のコマに、「単語尽くし」と同じ形式の掛け図を使った教室風景が描かれている。

洋語翻訳双六
図309

 

開化団珍寿古録

明治一三年(一八八〇)
東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
「団珍」は、明治一〇年に創刊された明治の代表的諷刺雑誌『団団珍聞』の略称。そこに掲載された諷刺画(「狂画」)を選り抜いて双六にしている。たくさんの色を使った双六は江戸時代からあるが、ここでもアニリンの赤が強調されている。

開化団珍寿古録
図310

 

絵入新聞稚訓 第二号

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
こちらも新聞ダネをもとにしたおもちゃ絵。市井の庶民の逸話を、勧善懲悪的な教訓話として提示するのは、新聞錦絵にも共通するパターンで、特定の新聞記事に基づいた話かどうかには関わりなく、用いられる。

絵入新聞稚訓 第二号
図311

絵入新聞稚訓 第二号

この水底にハ/主がゐるといへる/妄説も古池をかへれハ/泥を動かせるものハ何ぞと/驚きて進ミかねたる人足の中に/憤発せし者が主の生体/見とどけくれんと土をかへせば/現出たる主ハ大蛇にあらずして/地震の子かとおもハるる六尺/あまりの大鯰押へる瓢の千なり/や万歳楽と幾とせか経る/古池ハ橋場なる総泉寺中の/鏡か池とて府下にきこえし名所なり
白川県の士族衛藤元礼の妹の/おけいハ兄元礼と老母との二人が/ときどき気の狂ふ病によつて折に/ふれさもなきことを苛酷い打擲に/あふこともあれど病者のこころにさからハず/貧しいくらしを女の手ひとつ糸とり/機をり賃仕事夜のまも/寝ずにつとめるハたくゐ稀/なる孝子なりとて/其県庁より御賞典の/お金をたまハりとなん
書画集会の無雅なる事薯蕷山水/葱の枯葉の四君子なんどを書まハし/自ら文人墨客と尊称したる/大天狗が発会とか追善とか乾揚る/咽をうるほすため卑劣をきわめし扇の/強売わづか毛氈一まいのせまい心に硯の/海の浅い知恵ゆゑ見識ハ低くて高きハ/鼻のミなるを開化の人から見るときハ是従前の/おもらひなれバ天愚の鼻をへし折て此悪弊ハ/やめさせたいもの
長崎県下西高村の土木勘左衛門ハ/養母と女房が争論をなだめる詞も酒のうへ女房の/肩をもちしとて有合ふ紐にて面をうち戸外へ/出るをとどめんと投かけて引く其紐が喉咽へかかり/つて一絞に母を殺して女房とはかり自ら縊れし/体にもてなし検屍をうけしが恠しまれ手鎖と/なつて押込のうちに我が家を出奔し/京大坂を経めぐりて盗をはたらき/ゐたりしが忍びて故郷へ戻りしころ/遂に縛めにつきたるハ/天の遁さぬところなるべし/転々堂主人記/木挽町/二丁目/高畠藍泉

 

教訓善悪図解 明治一三年(一八八〇)

交際義務の乳母、放蕩無頼乳母
東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
明治初期の「教育」のために用いられもした錦絵だが、その「教訓」の語り方は、その後出来上がっていく官製の「教育」とはずいぶん違っている。「教訓」と「教育」のずれを、新聞錦絵と新聞紙のずれと対応させて考えることもできるだろう。

教訓善悪図解
図312

教訓善悪図解
交際義務ノ乳母

「ばばやアばうやを
ねかしてしまツたら
おさしミてごぜんを
いただいておしまい
ヨ   

「サアばう
ちやんめし
あがれいまに
またどんどんが
おんもへまいり
ますよ
サアねんねんねんねん
ねんねこよ

 

教訓善悪図解
図313

教訓善悪図解

放蕩無頼乳母
おんば
「ヱヱまアほんにこのがきやアひとが
はなしをきかうとおもふのに
でるとかアちゃんかアちゃんと
うちへばかりいき
たかりやアがる
もう一ツつねるぞ

サアもう
ひとつか
サア
もうひとつか
コウコウコウコウ
またほへやアがる

「ハアハアハアハア
ばばアやア
ハアハアハアハア
おんば
「オイ
ちよいと
またいいとこで
しんすけ
さんにあつた
ねへおまへに
もうもう
あいたくつて
あいたくつてマア
またこのがきやア
がる
そうぞう
しい
はなしも
なにもてきやアしねへ
いめへましい
がき
だよ
をとこ
「わいい
あんべいにおすけどんにあつたけの
おめへにすこし
たのミてへ事かある
からこんやでも
いつけんのうちへぜひ
いつてくんねへヱ
ウム十二そうそう
きつとだせ


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