新工夫絵花火
(田中芳男『拾帖』第三冊)
東京大学総合図書館蔵
印刷物とは紙である。切ったり貼ったり折ったりできるだけではない。燃やすこともできるのである。この絵花火は、黒船来航を告げるかわら版の形式を利用したもので、花火仕掛けのかわら版とも言える。黒船来航時に流行した。大砲の方に線香で火を付けると弾道を描いて火が伝わり、黒船に命中する。
図302 新工夫絵花火
{袋横の紙片}
えはなびたきよふはかみのうへを
ぬらしかべかはしらへはりをき
しるしのところよりせんこうにて
火をつけるなり{本体}
弘安四年辛己八月朔日元国蒙古の主忽必
烈の臣阿刺罕。苑文虎。 き都洪茶丘ホを首
として軍船四千余艘惣人数二十四万余。九州え
攻来る。帷康親王官軍を引率す武家には
北条時宗の臣宇津宮貞綱を大将として十八万
の兵にて防戦に進む此時。後宇多帝勅書を
神にささげ祈らせ給へハ不測や神風吹出し蒙古の賊
船忽ち粉砕し軍兵海底に沈むのこる兵へい三万人を
生捕博多において首を斬る此内わづか三人を赦し
元国にかへし主に事の始末をかたらしむ実に日本神国の
いさほし且ハ泰平の国恩片時も忘るべからずといふ
新板八百屋見世、道具つくし
(田中芳男『教育図雑集』)
東京大学総合図書館蔵
「つくし」は、幕末から明治期にかけてのおもちゃ絵の中でも、最もポピュラーなパターン。何らかの共通点を持つものを一堂に集める面白さ。また、「新板」という言い方には、古い版木の再利用でなく、新しい趣向や題材を取り入れているというニュアンスが含まれている。「新しさ」が商品価値になるという意味では、「新聞」を求める心の傾きにも通じる。
図303
しん板どうけ三十六歌仙
「つくし」ものには、このように画面を区切ったものも多い。この、狂歌を用いたかわら版も広い意味での「つくし」ものに含めてよいと考えられる。画面が区切られ狂歌が入っているものは、切り抜いてかるたにされることを想定していた。
図304 しん板どうけ三十六歌仙
天じ天王
あきれたよあんまり
こめのたかいので
かかアと子どもとくらしかねつつ柿本人丸
かミがたのひきやくハ
江戸へくだれども
とののかへりハ
いつやわからんはる丸大夫
をくひちのたんすハ
からでぼろもなし
あがきつまツて
ぢつにかなしきあべ仲まろ
女郎のはらへのぼりて
見ればかさツかき
よこねがでると
きんがつりふねせミ丸
こなやそばひきわり
までもやすくない
ひるもやしよくも
みそでけんやく参儀篁
ほどこしを
もらつた人ハあり
がたいだしたる人は
きんがつりふねぢとふ天王
はるすぎて
しよしきハだんだん
たかくなるなにニ
つけても事を
かく山山べ赤人
どこのうちに
はいりて見ても
米の事たかいたかいと
人がふりくつ中納言家持
かすかねの元より
あつきつらのかわ
りそくつもツて
ぐちとなりぬる喜せん法師
我うちハものの
たかいでばん太郎
やきいもばかり
よくうれるをわ小の小町
花の江戸ハ
あさ草ばかり
にぎやかで芝居
を見ればいつもはんぜう僧正へんぜう
あまつさへ子ども
のきものひちに
やりかかアの
すがたぼろで
見られん
単語図
「つくし」の形式は、『拾帖』や『教育図雑集』などの貼り込み帖を作った田中芳男らによって、教室の掛け図や教育錦絵といった形で、明治の学校教育に応用されていく。これはそうした流れの中で作られた「単語尽くし」を、さらに新聞錦絵のミニチュア版同様、ミニチュア版にしたもの。
図305