世直り細見
既成の江戸図を基に地震で崩れた箇所や焼失場所を示した色刷り大判かわら版。通常の江戸図は、北が上に置くものが一般的であるが、これは東を天としている。江戸の大災害を表現する手法の一部だろう。江戸城の内部は「御城」という文字と、葵の紋を書きこむのみであるが、この点に触れるものはほとんど見出されていないので、江戸城内の詳しい被害は不明である。
図166
世直り細見
江戸地震大火方角付
頃ハ十月二日の夜の事なりしが本丁辺に有徳の番人ありしが
家内上下とも睦間敷其身ハ常々観音を信じ夜毎ニ浅草
寺へ参詣いたしけるが今夜も早く参詣いたさんと思ひけるが
宵の口はからず用向あつて亥の刻頃に参詣いたし観世音に礼拝
し有がたさのあまり思ハずまどろミしが夢ともなくうつつともなく
忽然と白髪の貴僧一人あらハれ曰く汝常々神慮ニ叶ひ仏
意にそむかず故に今異変有といへども汝此なんをさけ得さすべし
悲かな濁世の人間此難のがるるもの稀なり見よ見よ今にと曰ふ
うちに忽天地震動し轟く音すさまじく筋に此御堂もゆり
崩かとおもひけれバ彼もの御僧の袂にすがり三衣の袖のすきまより
四方のありさまを見渡すに我が手のひらを見るがごとし目前に市
中五六部通りハ将棋倒しにことことく震崩せバ是がために押に折れ
即死或ハ半死半生のもの幾万人の其数しれずかくするうち諸
方の崩れし家々煙たち火もへ出忽出火となり△新吉原不残土手下
五十けん馬道通りさる若町不残聖天町山の宿不残京橋通り迄凡五十丁
程焼失浅草観音寺内本願寺御堂無事駒形堂辺より黒船丁迄南側
不残夫より下谷御成海道中程より上長者町広小路迄東側不残池のはた
かや丁より根津迄不残湯しま天神下御屋敷小石川ニてハりうけいばし
近辺御屋敷方町家とも焼すべて此辺大あれ深川六けん堀川西二丁ほど
夫より熊井戸より一の鳥居迄不残いせ崎町冬木丁京はしかじ町一丁
目一丁目五郎兵衛町畳町北紺屋町壱二丁目大根岸竹町南伝馬町二三丁
目具足町柳町鈴木丁
いなバ丁松川丁本材木町七八丁目八丁堀水谷丁辺
より鉄砲洲辺焼築地御堂残り芝ニてハしばい丁焼其外所々焼失場所数多
有之といへともあけで数えるニいとまあらず△凡火口三十八ヶ所ニ及是が為に苦しむ有
さまも斯やと計りあハれニも又恐しともいわん方なし其余家居大半ゆがミ或ハ
菱ニなり土蔵抔ハことことく土瓦ゆり落し鳥篭のことくニ成もあり或ハ崩
古今めづらしき大変前代未聞といひつべしかく有所に已前御僧の
曰く汝今こと返すべし此上ハ猶々仁義五常を守り家業大切ニ信心怠べからす汝が
家居ハ家内一統無事成べしと曰ひけるあら有がたや南無観世音是全御仏の妙助
なりあら尊候や南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と唱ふる声ニ忽ハ夢ハ覚ニけり
時ニ安政二年卯十月二日夜亥ノ刻より大地震ニ出火ハ四日申ノ刻ニ火鎮り申候
{袖下枠内}
御屋鋪方あらまし小川町辺松平駿河守様松平豊前守様榊原式部様堀田越中守様
内藤駿河守様戸田竹治郎様伊藤若狭守様御火消家敷其外御はた本方百騎△
西御本丸下会津様松平下総様内藤紀伊守様松平玄蕃御本丸下酒井雅楽頭
様森川出羽守様大名小路因州様遠藤但馬守様本多中務様永遠江守
様林大学頭様八代洲岸御火消屋敷近外桜田大毛利様大鍋様朽木近江守様
小笠原佐渡守様大南部様有馬備後守様亀井様伊藤様柳沢様薩州様御
装束屋敷此外御大名屋敷数多有之といへどもあげてかそへがたし
{袖}
安政二年乙卯十月二日夜亥ノ刻過より大地震にて出火遠方へしらせのため □此色印ハ出火場所
○此色印崩れそんじ
▲地震小ゆり度々今に
しづまり不申候
{奧}
右此度は異変相済候へバ向ふ両国
廻向院ニおいて地震大火に付即
死人くやうの為大せがき死人
凡一万五千三百余人と云
{印}「杉浦蔵画」ゆるがぬ御代 要之石寿栄
「仁義礼智忠信孝貞の中に孝行をもって第一とす」と始まる。何事かと思えば、「国元の親たちに我身の無事をしらせて安心さすべし」、そのためにこのかわら版を送れば、親は安心するという。要するに安否情報のマスプロ版である。江戸の災害かわら版には、国元への安否を知らせることが親孝行だとする宣伝文句を刷り込んだものが多く見受けられる。
図167 ゆるがぬ御代 要(かなめ)之(の)石(いし)寿(ず)栄(え)
仁義礼智忠信孝禎八行の中に孝行をもつて第一とす人界を得て孝なきハ禽獣にたもしか
ず鳩に礼有烏に孝あり羊ハひざまずいて乳をねむるとかや遠国他国より江戸へ縁付又は
奉公に出たる人々はやく国元の親たちに我身の無事をしらせて安心さすべし頃ハ安政
二年卯の十月二日の夜四ツ時過俄に大地震ゆり出し北ハ千住宿ゆり
倒れ小塚原やける新吉原ハ江戸丁弐丁目より出火して残ず焼大音寺
まへ田丁馬道焼南馬ミち少々のこる花川戸片かハ焼山の宿聖天丁
半ぶんやけ芝居丁三座とも焼金龍山浅草寺観音の御堂つつがなく
傾きもせず座ますハ大士の智力有がたし境内塔中摂社末社ゆり崩
茶屋丁並木丁大破損駒形丁すハ丁やける駒かた堂のこる
蔵前瓦丁辺一面にくづれ夫より下谷ハ坂本
残らずやけ田甫加藤様小笠原様
大破損六郷様少々鷲大明神
つつがなく一方ハ七軒丁中程より
出火して上野長者丁のこらず
焼上野御山内所々崩れ五條
天神無事池のはた中丁うら
通りくづれおもてどうりも
崩れたる家多し広小路
東がハ焼る同かや丁弐丁
目より一町目まて
やける也無縁坂松平
豊之丞様やけ本郷より
湯島切通し出火此所
加賀宰相様御人数をもつて
消口と取ゆしま天神の社
少々破損妻乞稲荷つつが
なし扨亦御成道ハ石川
主殿頭様井上筑後守様
小笠原左京大夫様御中屋敷
類焼筋違御門少々いたミ
神田どふりハ少々崩れ今川
橋より日本橋入間所々崩れる
日本ばしより南ハ通丁島東西とも少し野にて
夫より京橋南伝馬町弐丁目横丁より出火
して南鍛冶丁南大工丁畳丁五郎兵衛丁
具足丁竹丁柳丁因幡丁常盤丁鈴木丁
本材木丁八丁目迄やける又芝神明前大崩にて
源■[助力]丁露月丁迄高輪大地さけ津波
少々打上る田丁八幡宮大ひに崩れ三田春日(以下略)
十月興行二日取組
相撲の取組になぞらえて、地震の際の混乱を表現する趣向。勝敗も合わせて記す。地響—轟(勝印)、湊口—大洪波(引き分け)のごとくである。こうした表現で状況を思い描く想像力が働いたのであろう。
図168
{一段目}
地響
○ 轟
○大動
肝飛
△落壁
土煙
○橋渡
驚
○崩音
飛上り
潰家
○時声{二段目}
○無鉄炮
大怪我
○闇出柄
馳出シ
△薮中
押合
四方空
○ 紅
荒尾峯
○八方火
火事沙汰
○逃仕度{三段目}
追手風
○立退
○薬風呂
振逃
伊呂里
○大遽
○時不知
鳴渡
○小児嶽
怯虫
雲天井
○夜明{四段目}
△見舞合
震声
転庫
○敷レ石
動路々々
○寝不ケ関
大荒
○崩石
△大道山
野宿山
○長動
否戸山{五段目}
鳴音
○哀恐々々
○崩道
縄張
○動毎
外ケ内
○井戸崩
貰水
隅田川
○土手破
△湊口
大洪波{六段目}
首千切
○高櫓
山重ね
○名木唐
和尚山
○ 眩
○女小便
小鞠山
大社
○小揺
○山の手
不知火
地震出火 後日はなし
番附の形をとりながら、地震で「用いるもの」(はやって、忙しくなったもの)と「おあいだ」(暇になって稼ぎがないもの)との比較を試みる趣向。
図169 地震出火 後日はなし
行司 貰ひ溜た施行/蔵を震た財布
年寄 山出しの水口/役者の旅行
勧進元 家作十工/諸芸遊民
[用るもの]
大関 これで安心 穴蔵をたすけ
関脇 地めん内ニて 立退所そつくり
小結 くらをはなして 平ラ家の庭付
前頭 宗旨ろんなし なげこミの花筒
前頭 御間のよい 恙ない神社
前頭 焼場方角 読うり
前頭 出かけた場所も 吉原の仮宅
前頭 その日その日 かねかり(略)
[おあひだ]
大関 おやのなミだ 穴蔵をおとし
関脇 見るも表れ 一ツ家の額面
小結 だんだんへる 三階づくり
前頭 かこゐもいびつ なげいれの活花
前頭 うるさく来た 御めんのかんけ
前頭 二階ハけんのん 講談落語
前頭 ペンともいハぬ 町芸者
前頭 烏ハがアがア かねかし(略)
{枠外右}
安政二乙卯十月二日夜ヨリ 上下共甲乙なし
地震方々人逃状之事
地震を起こした鯰が一札入れる形を「奉公人請状」になぞらえて、地震後の状況を述べる趣向。鯰が捺印するのを、瓢箪が証人として付き添い、鹿島明神に差し出すものとしている。地震鯰絵のひとつに数えられる。
図170 地震方々人逃状之事
地ぢ震しん方ほう々ぼう人にん逃にけ状しやう之事
一此ゆり苦労と申者生得信濃国生須の荘
揺初村出生にて不慥なるふら付者ニ付荒魔ども
失人に相立異変沙汰人諸々方々にゆり出し
申候処めつほう也火災の儀ハ当卯十月二日夜より
翌三日午の下刻迄と相定困窮人の義ハ難渋無住と
相きハめ只今御ほどこしとしてさつま芋三俵はしたにてたべ
申候御救之義ハ七ケ所へ御建じま御恵に逢目島
可被下候事
一鹿島様御法度の義ハ申不及出家の八方相傾セ申間敷候
若此者お台所の女中方の寝息を考へ内証の地震致候歟
又ハゆり逃壁落致候ハハ急度したるかふばりの丸太を
取て早速らちあけ可申候
一愁患の義ハ一連たく宗にて寺ハ夜中ゆりあけ坂
道性寺市中まつぱたか騒動院大火に紛れ御座
なく候御発動切りしたん宗にてハこれなく候
若物音かたつきひあわひより瓦をふらし候義ハ
無之万一ゆりかへし等致候ハハ我等早速まかり出要石を
取てぎうと押へ付野田へ宿労さしかけ申間敷候地震の
たびゆつてむざんの如し
半性大地割下水
造作ざん年 家なしまご右衛門店
鹿島の神無月二日 つぶれやお土蔵
どさくさほんくらないけんのん橋
みじめや難十郎店
お小屋太助
世並直四郎様
鯰太平記混雑ばなし
東京大学地震研究所蔵
四丁の仮綴本。表紙絵は河鍋暁斎と考えられる。内容は、悪役大鯰が昔度々謀反を起こしたので、鹿島明神が天照大明神の命により、要石で押さえたが、安政二年神々が出雲に集まる留守に一味同心の者たちと謀反を起こした。鹿島神が出雲から引き返し漸く江戸市中の騒動も収まった。地震の騒動を軍記物に喩えた一席読切。
図171 鯰太平記混雑ばなし
鯰太平記混雑噺
市中隠士 大道散人戯作
地に居て乱を忘れずとかや爰に八万奈落のぬし鯰ぬら九郎
水底の揺高といへる者おのれか強力無双なるに慢り家蔵堂社
をおびやかし人命をそこね天道に違くことたびたびなれバそのむかし
鹿島太神経津主尊天照おん神の勅を蒙りはせ向て生捕給ひ
土の獄舎に押埋てかんじん要の磐石をおさへとし是を征し給ひしかバ
ゆるがぬ御代と栄えけるに時なるかな天なる哉頃ハ安政二年の初冬八百万の神々先をあらそひ出雲の国へ出陣ありし御留守にて幸なれ時こそ
来れと揺高ハ忽に逆意を震ひ謀叛の色を顕ハしつつ会文
をもて味方を招くに兼て期したる一味のめんめん先一番に馳来るハ
飛火野隼太家焼。その火のもえ出しにハ。火おどしの鎧にさしこの兜
頭巾をいただき。火柱の指物膝栗毛の弥二馬にもへたつ計りなる
紅の厚総かけ火勢盛んに馳加ハる二番にハ雷悟路五郎音高
二本角の前立打たりける兜に夕立おどしの鎧稲妻の太刀に虎の皮の
尻鞘がけ黒雲の小馬にまたがり一トぶち打て馳加ハる第三番にハ伊豆
国の住人突浪冠者。出水の太郎を始として異類異形の魔生のめんめん
(以下略)