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[新聞錦絵の情報社会]


東京日々新聞 第九百三十四号

(ふられ男が遊女と無理心中)
新聞錦絵によく取り上げられた話題の一つが、心中事件である。これは娼妓をかみそりで傷つけ自殺した男の事件。文の前半は事件とは直接関わりのない「色情」論が語られ、一種の道徳訓となっている。このような倫理道徳が語られるのも、新聞錦絵の特徴の一つである。

東京日々新聞 第九百三十四号

意より/情を生じ/情凝て煩/悩を生ず/煩悩より愚痴を生じ是を名づけて妄想と/いふ妄想の中に色情を生ず/此色情に四つあり互に思ひ/慕ハれて天にあらバ比翼の/鳥地に有らバ連理の枝と/玄宗真似を真情と言ひ去日/の情人ハ艮時の仇其日其日の風次第/ハ是そ所謂薄情にて不粋な人でも黄金さへあれバと枕の下へやる手さへ握/て掛るを慾情とす痴情ハ是と事かわり先方で何とも思ハぬを自分ではまる恋の淵行徳/舩の乗子なる早川伊太良と呼ぶ男あり新吉原龍ヶ崎屋の娼妓かしくと言へるに馴染て百夜ハ/愚千夜かけて通へど先方ハ空吹く風本年二月上旬かた例の如く遊宴に来が如何なる事故のあり/けるにや髪剃をもて疵を負せ其身も自殺なしけるよし是又痴情にせまりし事歟将外に/子細ありける事歟記者も知らず唯世の好男子の為に誌て後世の/戒に備ふ

待乳山麓/温克堂龍吟誌

東京日々新聞 第九百三十四号
図102

東京日々新聞 第千五十二号

東京日々新聞 第千五十二号

(稀代の孝行息子)
孝行息子、孝行娘の話は、官許のメディアとして新聞錦絵がよく取り上げた主題である。孝養を尽くした父親が亡くなってからもこの話の主人公は、朝夕位牌の前で生きている人に使えるが如く話をして茶飯を供えるので、地主の華族が感心して、若干のお金を恵まれたという。

東京日々新聞 第千五十二号

親を愛/するは子たる/者の常情なり/といへども。亦/あり難き此/孝子が年齢ハ四十に及べども。小児の/ごとく父を慕ひ起臥/飲食なにくれと心を/盡してよくつかへ。/閑隙ある/日は/脊におふて。東台。墨陀の花に/遊びて。親の心を悦ばし。幾十/かえりも変りなきハ浜松/県の貫属士族。田中金吾と/いふ者にて。輦下に久しく/寄留して芳名世上に/高くきこゆ

木挽街の隠士/轉々堂主人録

図103

対抗馬としての『郵便報知新聞』

新聞錦絵『東京日々新聞』のシリーズが評判になると、これに対抗して錦昇堂から『郵便報知新聞』と題する新聞錦絵のシリーズが発行された。これは明治五年(一八七二)に前島密の後援で創刊された日刊紙『郵便報知新聞』の記事に基づくもので、当時、芳幾のライバルであった大蘇芳年が絵筆をとった。

郵便報知新聞 開版予告

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵このシリーズの特徴である紫の枠組みを背景に、日章旗を掲げたアーチに絵師と版元の名が浮かび上がっている。右下には、新築間もない郵便報知新聞社社屋とみられる洋風の高楼が描かれている。

郵便報知新聞(開版予告)

新聞の紙世に稗益し内外の事理相通じ/遠近の人情相達して開花進歩に/効あるハ犬擲つ幼児だに善く知得て教示に/就しむるの台本たれとも唯人情事理は心に/感ず可く思に考ふ可くして目に触れ手に/取る能ざるの憾あれバ描きて以て之を諭すの/捷径なるに如かずと一魁芳年子か筆妙自由の画権を乞ひ肖逼図活の図像をもて/童蒙婦女を観[ママ]ばしめつゝ誘導の一助ならめと梓主ハ家号の笑顔に愛て匏庵亀州の/唾余を需め松林三遊の換舌を挙げて洩さず郵便の名の神速なるに頼り朝に報し夕に知る新聞数号の画様を嗣ぎ奇談異説に勧懲を寓し日に新らしき江湖機関/無尽演劇の運転自在の替る替るの出板を御待兼愛顧の余慶御購求を祈る板元に代りて/二州橋畔三層楼の一隅に屈す/茶華柳々述

郵便報知新聞(開版予告)
図104

郵便報知新聞 第四百八十一号

(老人に恥をかかせぬ風流芸者) ご隠居が惚れて贈った和歌にしゃれた返答で応じた深川芸者の話。当時人気の講談師・松林伯円が文章の筆者として署名しているので、声に出して調子よく読み聞かせるのを前提としていたのだろう。

郵便報知新聞 第四百八十一号

深川の唄妓小三ハ井上文雄翁の弟子にて/歌も達吟手迹も美事なりけれバ大に時に/誉ありし其妹の於いろも姉に続て此二芸/を能くする上に心ざまやさしく正しけれバすゑ/掛て頼む男の外更に移せる香をだにせ/ざりしを或る時去る大家の隠居の骸も/歌も腰折なるが人目を忍びて一葉の短冊/をいろが袂に入けれバ何やらんと見てけるに/ますらをが命にかけて思ふかな/君がひとよの露のなさけに/とありしかバいろハ呆れ果たりしが年寄/に赤愧かかせんもさすがに思ひその端に/一枝梨花壓[返り点二]海棠[返り点一]余所の見る目も/いかならんと認めて戻せしとそ

松林伯円記

郵便報知新聞 第四百八十一号
図105


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