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[新聞錦絵の情報社会]


新聞錦絵とその歴史的展開

基本形としての『東京日々新聞』

新聞錦絵は、明治七年(一八七四)に東京で誕生した視覚的ニュース・メディアである。錦絵と呼ばれた多色刷り浮世絵版画の技術を基盤に、文明の利器として刊行され始めてまもない新聞の記事を、当時の有名浮世絵師が絵にしてみせるアイディアで人気となった。その最初が『東京日々新聞』と題する新聞錦絵のシリーズである。これは明治五年(一八七二)に創刊された日刊紙『東京日日新聞』の記事をもとにしてつくられたものである。

東京日々新聞大錦(開板予告)
図97 東京日々新聞大錦
図97

絵師・一恵斎芳幾の名と、文章を担当する六人の名が掲げられ、童蒙婦女に勧懲の道を教えるという創刊の趣旨が述べられている。具足屋発行で定価六厘で売られたと記されている。

東京日々新聞大錦(開板予告)

編集記者六名左ノ/文間ニ境界ヲ設ケテ戯号ヲ掲グ
山々亭有人/点化老人/温克堂龍吟/百九里散人/巴山人/転々堂主人
知見(ちけん)を拡充(かうじう)し開化(かいくわ)を進(すすむ)るハ新聞に無若(しくハなし)。/該有益(そのいうえき)なるは更(さら)に嘴(くちばし)を容(いる)べからずと。投書(とうしょ)の/論(ろん)の始(はじめ)に記(かけ)る定例(おさだまり)の文章(もんく)に拠(よ)り。童蒙(どうもう)/婦女(ふじょ)に勧懲(かんちょう)の道(ミち)を教(おしゆ)る一助(いちじょ)にと。思(おも)ひ付た/る版元(はんもと)が家居(いえゐ)に近き源冶店(げんやだな)に。名誉(めいよ)ハ轟(ひびき)し/国芳翁(くによしおう)が。門弟中(もんていちう)の一恵斎芳幾大人(いっけいさいよしいくうじ)ハ多(た)/端(たん)により壬申巳釆揮毫(おととしこのかたきがう)を断ち。妙手(みやうしゆ)を/廃(すて)しを惜(おし)ミしに。中絶(ひさしぶり)にて採出(とりだ)したれバ。先生(せんせい)/自ら拙劣(つたな)しと。謙遜(ひげ)して言へど中々に往昔(むかし)/に弥増(いやま)す巧(たくミ)の丹青(たんせい)。写真(しゃしん)に逼(せま)る花走(りうかう)乃。/新図(しんづ)を/穿(うが)ち旧弊(きうへい)を/洗(あら)ふて日毎(ひごと)/に組換(うへかへ)る。鉛版器械(かっぱんきかい)の運転(うんてん)より。神速(はやき)を競(きそ)ふ/て昨日(きのう)の椿事(ちんじ)を。今日発兌(けふうりいだ)す日々新聞(にちにちしんぶん)。各府(かくふ)/県下(けんくわ)の義士貞婦(ぎしていふ)。孝子(こうし)の賞典兇徒(しょうてんけうと)の天誅(てんちう)。開(かい)/化(か)に導く巷談街説(かうだんかいせつ)。遺漏(もらす)ことなく画(かけ)たれ/バ数号(すごう)をかさねて御購求愛顧(おんもとめあいご)を冀(ねが)/ふと蔵梓主(はんもと)に換(かはっ)て寸言(ちょっと)と陳述(のぶ)/る者は東京木挽坊(とうけいこびきちやう)に奇寓(きぐう)する隠士(いんし)

 

図98 東京日々新聞第四百三十一号
図98

東京日々新聞 第四百三十一号

(強盗に川へ突き落とされた娘が助けられる) 永代橋のたもとで娘が船頭に助けられた場面を絵にしたもの。遠景に別の船が描かれ、奥行きのある画面になっている。赤い囲み枠と題号を掲げる天使がこのシリーズの基本デザインである。

東京日々新聞 第四百三十一号

盆過(ぼんすぎ)て宵闇(よいやミ)くらき永代(ゑいだい)の、橋間(はしま)をぬける家根舩(やねふね)の、小べりを/かすりて橋上(きやうぢやう)より投入(なげこま)れたる女子(をなご)あり、苦(くる)しき声(こゑ)を/あげ汐(しほ)にたすけてたべと呀(さけ)ぶのミ/せん術波間(すべなみま)にただよふを、舩(ふね)より三浦(ミうら)/某君(なにかしキミ)が、夫たすけよと情(なだけ)のひと言(こと)、/舩人こころ得(え)/力(ちから)を尽(つく)/して漸(やうや)く舩(ふね)/に引揚(ひきあげ)つ、さて/さまざまと介抱(かいほう)なし、/入水(じゅすい)の子細(しさい)を尋聞(たづねきく)に、是(これ)ハ中橋(なかハし)/和泉町(いづミちよう)なる浅野又兵衛(あさのまたべゑ)が召仕(めしつかひ)にて、/安房国館山町(あハのくにたてやままち)、小柴茂七(こしばもしち)が娘(むすめ)やすとて、本年十七/年五カ月になれる者(もの)なりけふしも深川(ふかがは)に所要(しよよう)/ありて、赴(おもむ)きし帰るさ、永代橋のたゞ中にて、四十(よそ)/歳余(じあまり)の斬髪男(ざんぎりおとこ)、矢庭(やにハ)にやすを引捕(ひきとらへ)、懐中(くわいちう)の/金三円を奪取(うばいとり)、あまつさへ川中(かハなか)へ、うち込(こま)れ/たるよしなるにぞ、三浦君、いたく憐(あハれ)ミ玉ひて、しるべの方へ/送(おく)り遣(つかハ)せよなど、側(かたハら)の人々(ひとびと)に命(めい)じたまふ程(ほど)に、舩(ふね)ハ浜(はま)/町(ちよう)の河岸(かし)につきぬ、折(をり)から十七日の月もはや本所方(ほんじようかた)に/さしのぼりて夜(よ)ハ初更(しよかう)にぞなりにける

點化老人識


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