明治10年4月東京開成学校と東京医学校が合併し、法理文学部と医学部からなる東京大学が誕生する。同年7月には工部大学校が正式に開校。明治14年には法学部、理学部、医学部、文学部の四学部体制となり、翌年駒場キャンパスにも農学校の流れを汲む駒場農学校が誕生する。大学では西欧から招かれた外国人教師が各分野で主導的な立場にたち、若い学生の教育にあたる。優秀な学生たちは海外への留学を経て、早くも10年代後半には、日本人教育者の第一世代を形成するようになる。 明治19年3月に帝国大学が創設されると、外国人教師離れが加速された。 |
前頁へ | 表紙に戻る | 次頁へ |