洋学機関の設立




嘉永6(1853)年のペリー来航を期に、幕府は蕃書調所を設立し、西洋の情報や技術を研究、移植するための機関となした。箕作玩甫と杉田成卿の2人の蘭学者の下に若き洋学者たちが集い、欧語辞典の編纂と海外文献の翻訳、出版、研究を行った。

蕃書調所は文久2(1862)年に洋書調所と改名、翌年には開成所となった。



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