【序文】

学問のアルケオロジー


西野嘉章 東京大学総合研究博物館



 東京大学創立120周年を記念して開かれる本展「学問のアルケオロジー」は、学内各所に残されている古い学術標本を一堂に集めて展示し、そのことを以て黎明期の大学における学問の歩みを包括的に振り返ることを眼目とする。近代国家の形成の過程で西欧から将来された諸学が日本社会のなかでどのような役割を担い、またそれらがどのような発展の軌跡を辿ってきたのか。21世紀の到来を目前にした今こそ、そのことに改めて想いを致してみる絶好の機会なのではないだろうか。というより、その軌跡に連なる様々な遺産の何たるかを今ここで確認しておくことは、来るべき学問の将来を見据える上で必要にして不可欠なことなのではないだろうか。

 東京大学には膨大な学術標本の蓄積がある。事実、学内最大の標本蓄積装置である総合研究博物館に250万点、大学全体としては600万点以上の学術標本が蓄積されていると言われているから。とはいえ、これはあくまで個別的な調査値を累積した数に過ぎず、その全貌を把握し得る視座などおいそれとは見いだし難い。資料として教室や研究室で利用されているものについてはともかく、調査や研究が終わったと見なされる学術標本については、個々の管理単位でさえ満足に現状を把握しきれていないのが実情だからである。

 創学以来120年の間にどれほどの学術標本が生み出されてきたことだろう。周知の通り、東京大学は大正12年の関東大震災で図書館の蔵書70万冊を焼失するなど、壊滅的な打撃を被った。もはや写真でしか窺い知ることは出来ないが、明治時代に創設された各部局の列品室や標本室も例外でなかった。以来、安田講堂の建設や図書館の再建などで大学は徐々に復興して行くものの、学術標本を恒久的に保存、管理、列品するための専用施設はけっきょく再建されるに至らなかった。そのため、スペースの狭隘化や管理者の不在などを理由に、せっかくの蒐集品を廃棄したり、散逸せしめたりしたこともあったという。大正以前の学術標本は、そうした災禍や不幸をかろうじて免れ、時間の流れ、分野の隔てを超えて、今われわれの前に姿を現そうとしている。


学術標本の定義


 学術標本というと、一般には自然史系の一次資料が連想されるかもしれない。しかし、それだけでは文化的あるいは歴史的に価値のある物品を取り逃がしかねない。文化史系の教育研究に資する一次資料もその範疇に含まねばならないし、また、教育研究の現場で使用された様々な道具や器具類、さらには試作品や実験品、教官や学生の使用した什器や備品も視野に収めねばならない。人文系諸学に使われる書籍や文書などの史・資料は図書と見なされ学術標本の範疇から除外されるのが普通であるが、これらもまた広義の意味で学術標本の一種に数えることができる。いずれにせよ、学術標本には、教育研究のために蒐集された各種の一次資料、またそれを実践するなかで生成されてきた副次的な資料、教育研究の環境をかたちづくるのに必要とされる様々な物品が含まれる。ひとことで言うなら、それは学術的環境と直接・間接の関わりを持つ「モノ」の総称であるということができそうである。

 学術標本には一般の博物館資料に無い特徴がある。まず、大学での教育研究活動を通じて蓄積されたものであるため、大学の学則に沿った学問の体制が内容と分類に反映されているということ。つぎに、専門研究者が自ら蒐集し、標本化した資料であるため、履歴を辿り得て、しかも学術的な記載を伴っているものが多いということ。学術標本のなかには教場で使用される「参照標本群」と呼ばれるものがあるが、それらに代表される系列的・体系的に整備されたコレクションもまた、学有品ならではのものである。さらにまた、大学が先端的な学術研究の場であるとするなら、そこで生成され、蓄積された「モノ」には、それの生み出された時代を先導する発想や着想が生かされているはずである。

 古来、発想の原点にはつねに「モノ」があった。今日の先端的な学術研究もまた、その多くは「モノ」を出発点として、実証の手立てとしている。研究対象となる「モノ」は形状や材質など変化に富む。加えて、その量。これはどの分野でも膨大な数に上る。そればかりではない。それら一次資料に端を発した二次、三次の付帯的資料が、それこそ毎日のように止むことなく生み出され、現在もなお学内各所に分散蓄積され続けている。学術標本は仮説や理論を生み出すための端緒である。と同時に、それらの妥当性や蓋然性を検証させてくれる唯一無二の物的証拠でもある。見ようによっては、大学にとってもっとも重要な遺産にして資源であるとさえ言い得る。


学術標本の来歴


 本展では明治期のものを中心に2000点以上の学術標本を目録化し、安田講堂での展示へ供することにした。総数600万点のなかの2000点、ということからすれば誠に微々たる数に過ぎない。しかし見方を換えるなら、近代社会の形成に直接であれ間接であれ寄与した歴史的な学術遺産が、いまなおそれだけ学内に残されているということでもある。これらの学術標本はその来歴に応じていくつかのカテゴリーに分類することができる。

 その第一は本展の第一部に主として纏められている。数はごく限られたものに過ぎない。明治10年4月に法理文学部と医学部の二学部から発足した東京大学が、それらの前身である東京開成学校や東京医学校などから移産・継承した学術標本がそれである。たとえば、総合研究博物館の岩石・鉱床部門に残されている約350点の鉱物標本群は、明治3年2月に発足した大阪理学所がドイツから購入し、その後第一大学区開成学校から東京開成学校を経て東京大学法理文学部博物場へもたらされたものである。

 第二は明治初期に来日した御雇外国人がそれぞれの母国から将来した学術標本の数々である。工部美術学校の画学教師フォンタネージと彫像学教師ラグーザらがイタリアから携えてきた教材、石膏像、写真などの美術教育関連資料や、医学系研究科に残されている各種の医療器具類がこの種の学術標本を代表する。

 第三のカテゴリーは第二の将来標本とも一部重複するが、教育資料として海外から購入された学術標本である。おそらくは初代教頭ヘンリー・ダイヤーの奨めによったのだろうが、工部大学校がイギリスから購入し、帝大工科大学を経て現在の工学系研究科産業機械工学専攻に受け継がれてきた機構モデル群、あるいは20世紀初めにドイツから購入され、大学院数理科学研究科に継承された幾何学模型群、大学院農学生命科学研究科獣医解剖学研究室のウシ・ウマ石膏模型群、大学院医学系研究科薬理学教室の生薬標本群など、イギリス、ドイツ、フランスなどから購入された多くの参照標本群がこのカテゴリーに属する。

 第四のカテゴリーは寄贈ないし交換になる学術標本である。大学と関わりのある篤志家からの寄贈もまた学術標本の形成に大きな寄与を為しており、たとえば、工科大学卒業生で横河電気創業者の横河民輔が東京帝国大学工学部へ寄贈した引手・釘隠のコレクション、安田保善社総長二代目安田善次郎が東京帝国大学経済学部へ寄贈した古札コレクションなどが前者の代表。後者に該当するものとしては、エドワード・S・モースの故郷である米国セーラムのピーボディ博物館との標本交換によって形成された人類学関連標本群がある。

 第五のカテゴリーは、ある意味で大学にとってもっとも重要なものとも言えるが、学内の教官・研究者・学生が国内外における調査や研究や試作や試行を通じて形成した学術標本である。たとえば、イタリア人教師に学んだ工部美術学校生の残した美術品や、医学系研究科に保存されている特異症例の液浸・模造標本群、工部省工学寮電信科卒業の帝大教授藤岡市助の開発した発電機や電灯球、動物学教室の最初の日本人教授箕作佳吉の作り上げた昆虫学や動物学の参照標本群といったものがこれに該当する。

 もちろん、こうした分類はあくまで便宜的なものに過ぎない。それぞれの部局や教室に残されている学術標本は、複雑な経緯を辿った学制改革の流れのなかで幾度となく集合・離散しており、現実には来歴に関する記録の失われているものも少なくない。そればかりでなく、こうした明治・大正期の学術標本は現在の大学における諸学の体制と学術研究上の要請に準じて分配・整理し直されているため、本来なら体系的な資料体として一個の塊をなしていたものが各所に散在するという好ましからぬ事態も生じている。学術標本のなかには、現在なお「生きた資料」として頻繁に利用されているものも多く、出自原則を維持しがたい面もないわけではないからである。


歴史的文化財としての学術標本


 しかし、それでも教育の現場で今なお使用に供されている学術標本は幸せである。なぜなら、古い学術標本の多くは学問の流れから取り残され、ある時は資料庫のなかで顧られることもなく放置され、ある時は出自とおよそ無縁な機関へ管理替され、最悪の場合には不用物としてむざむざ投棄されることすらあったからである。

 こうした過ちを二度と繰り返すことのないよう、われわれは本展を通じて、古い学術標本に対する認識を新たにすべきことをここに訴えたい。明治期の学術標本は、教室や研究室で使用された什器類を含め立派な歴史的文化財である。ばかりか、それらはどれもみな失われてしまった時代のアウラに包まれ、かつまた今時の人工物の持ち合わせぬ美しさを湛えている。機構モデルは動力学的なエネルギーの伝達原理をそのまま美しいフォルムに反映してみせているし、液浸標本は吹きガラスで封閉された飴色の透明世界のなかに自然物の驚異的な造形を封印してみせている。研究者の日々の作業のなかで機械的に記された標本ラベルや保存用の標本ケースにさえ、充分な節度と美意識の生きていた学術環境が、われわれとさほど遠くない時代にあったのである。

 近代社会は学問の細分化や分業化を推し進め、大学もまたそれへ積極的に加担してきた。結果として、今日のわれわれは自然物と人工物が隣り合う混沌とした学術環境を滅多に眼にしなくなった。しかし、学有財の公開展示という企図のなかでそれらを一堂に会してみると、19世紀の学術的な遺産がどれも出自や分野の違いを超えた美を共有していることに気づかずにいられない。これは、それらを生み出した人々の感受性を結ぶ様式的な統一性、審美的な通有性から醸し出される共感覚の所産であり、今日の学術環境から失われて久しいものなのである。



[例言]

一、本書は、「東京大学創立百二十周年記念東京大学展—学問の過去・現在・未来」第一部、「学問のアルケオロジー」(於安田講堂および附属図書館、平成9年10月16日より12月14日まで)の図録として作成したものである。

一、出品物の記載は原則として展示番号、名称、年代、素材、サイズ、所蔵先の順にしたがったが、標本の種類によってはこの限りではない。
 出品物のサイズはセンチメートルないしグラムで表記した。
 本文中に言及される本展展示作品については、展示番号を[ ]内に示した。



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