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第5回新規収蔵品展

カワイルカ—絶滅の淵より—

高槻 成紀


写真1 漁師に抱き上げられたガンジスカワイルカ。
1974年パキスタンのインダス川支流で(神谷敏郎氏提供)。
写真2 4種の脳の比較。ラプラタカワイルカ(左上)
はほぼ同サイズの海のイルカ(左下)
に比べてもはるかに小さい。
右上はチンパンジー、右下はヒト(神谷敏郎氏提供)。
写真3 ヨウスコウカワイルカ(中国科学院水生生物研究所提供)。
世界には4種のカワイルカがいる。アジアに2種、南アメリカに2種である。アジアのものは中国の長江(揚子江)にいるヨウスコウカワイルカとインドのガンジス水系とインダス川にいるガンジスカワイルカ(ガンジスカワイルカとインダスカワイルカは現在では同一種とされている)、南アメリカのものはアマゾン水系にいるアマゾンカワイルカとラプラタ川にいるラプラタカワイルカである。

イルカといえば美しく、知能も高い小型のクジラとして人気がある。クジラは漢字で「鯨」と書くように魚の1種と考えられていた。それもかなり最近までそう信じられていた。生物学はかなり古い時代にこれを哺乳類の仲間であることをあきらかにしたが、それでも最近の分子進化学的研究によってイルカが有蹄類と共通の祖先から進化したのだということがあきらかにされたとき、一般の人々だけでなく生物学者自身も意外な感じをもった。

見ることさえむずかしいカワイルカの生物学的な知見は長いあいだ謎であった。1970年代になってアメリカ、スイス、フランスなどが研究に着手しはじめたが、ちょうど時を同じくして日本でもカワイルカの研究をしようという気運が持ち上がっていた。

東京大学では海洋研究所の西脇昌治教授をリーダーとして1969年をかわきりに海外調査隊を派遣した。第1次調査は東パキスタン(現在のバングラデシュ)のブラマプトラ水系でガンジスカワイルカを対象におこなわれた(写真1)。この調査でガンジスカワイルカの生きた個体4体を日本に持ち帰り、生理学的研究などで成果をあげた。

第2次調査は南アメリカでおこなわれた。ひとつはウルグアイでのラプラタカワイルカ、もうひとつはペルーでのアマゾンカワイルカの調査である。この調査ではラプラタカワイルカの30例の骨格標本や20例の脳の標本を採集した(写真2)。
第3次調査はパキスタンのインダス川でガンジスカワイルカについておこなわれた。調査の結果、ここのガンジスカワイルカは個体数が非常に少ないことがわかり、この実態は国際自然保護連合に報告されて、その後の保護運動のきっかけとなった。

当時、中国はまだ海外に門戸を開く姿勢が乏しかったので、ヨウスコウカワイルカの調査がおこなわれる状態にはなかった。しかし1981年になると中国科学院と南京師範大学との共同研究がおこなわれ、その後も継続されている。ヨウスコウカワイルカは長江(揚子江)の中流域に生息している。中国の第一級保護動物に指定されているものの、個体数はすでに100頭以下になったといわれており、絶滅が危惧されている(写真3)。

ところで、今回、カワイルカの展示資料を検討しながら思ったことがある。それはカワイルカの研究に東京大学がとりくんだという事実のおもしろさである。
評価は別として東京大学にはあるイメージがともなう。それは、たとえば「官」であり「権威」である。生命科学の分野においても東京大学はいわば手堅い実験生物学では他の追随を許さないが、リスクをともなう野外調査では必ずしもそうとはいえなかった。その東京大学においてカワイルカというという文字通り「雲をつかむような」研究対象をとりあげて海外調査をしたというのは意外に思われる。それは挑戦的とも思えるほどである。

このことには医学部解剖学教室のカラーが深くかかわっていたようである。西脇教授の海外調査には伏線があり、1965年に細川宏教授が同じ主旨の調査を申請していた。さらに興味深いのは、まだ戦後の混乱が残っていた1959年に、医学部で小川鼎三教授を中心に「雪男の謎を解く会」が開かれ、その年の12月に6名の学術探検隊がヒマラヤに行っている。この探検は不首尾に終わるのだが、小川隊長がそれではというのでインドのカルカッタでガンジスカワイルカの調査をしたというのである。

つまり東大のカワイルカ研究は小川教授の機転ともいえる決断にあったのであり、しかもそれが雪男調査の余録だったということになると、先にあげた東京大学のイメージとはまるで違う、夢を求めるラマンチャの男の行動のようである。実際、小川鼎三という人物はたいへん魅力的な人だったようで、そのことを知ることができたのもこの企画の収穫であった。

なお、この企画にはカワイルカ調査隊にも参加され、その後ヨウスコウカワイルカの研究と保護に尽力しておられる本館の神谷敏郎先生にご教示、ご協力いただきました。

 

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(本館助教授/動物生態学)

 

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Ouroboros 第14号
東京大学総合研究博物館ニュース
発行日:平成13年7月13日
編集人:西秋良宏/発行人:高橋 進/発行所:東京大学総合研究博物館