今回の整理作業開始時の標本状態は、安里ら(安里1994, 安里他1996, 1997)に記述されている収蔵状況と実質的に同じである。今回の作業では、土器については、安里らが言及している、棚番号PD-5-8-5と平箱番号PE-8-9-21とPE-8-10-1からPE-8-10-6、PE-8-10-8、PE-8-10-9収蔵の標本を、石器については、棚番号PA-8-10と平箱番号PE-8-10-7、PE-8-10-9、PE-8-10-14、PE-8-10-16、PE-8-10-19の標本を対象とした。
整理確認の後、土器、石器標本共に、若干の統合と移動を施した。特に土器標本では、複数の平箱にわたり、互いに接合する荻堂資料と思われる破片が複雑に収蔵されていた。そのため、接合作業の後、系統だって番号を付し(下記に詳述)PE-8-10-1からPE-8-10-9の平箱に(接合により大型化した土器個体はPD-5-8-5に)新規に整理統合した。また、主としてPE-8-10-8とPE-8-10-9には、荻堂資料のみならず、伊波貝塚出土と考えられる土器標本が若干数混在していた。ただし、これらは注記の違いにより識別可能なものも多い。石器標本については、主な標本移動として、棚番号PA-8-10と平箱番号PE-8-10-7のものをPE-8-9-21の平箱にまとめた。また、平箱PE-8-10-14にある石器には注記がなく、荻堂以外の遺跡から採取された可能性も排除できない(下記参照)。
松村(1920a)の報告時に部分復元されていた土器標本18点(松村の第四、五図版掲載)は、1点(第四図版6に掲載、本標本資料報告のEQ08-29)を除き、接合部位が多く破損していた。また、それ以外にも、接合された破片を含む口縁部標本6点(松村の第六図版2,3,5,6,12,13、本標本資料報告のEQ08-66, 15, 65, 36-2, 19, 51)が破損していた。
かつて接合された、あるいは接合面がはがれた資料を見ると、黒色、半透明、白色といった複数種類の接着剤が使用されているが、それぞれの由来は今のところ不明である。これら古く劣化した接着剤は再接着の際に可能な限り除去したが、中にはタール状の黒灰色の樹脂が用いられたものがあり、土器表面にその飛沫が付着しているものもある(EQ08-20他)。これは拓本を採るとボタン状貼付文と誤解されかねないが、強固に付着しており、今回の整理作業ではそのままとした。
先述の通り、松村(1920a)の報告書では、部分復元された18個体が写真掲載されているが、石膏を加えた器形復元は、松村の第四図版6に示されている1点(EQ08-29)にだけに施されている。この個体には人類学教室原番号の2224が付されており、1950年の八幡一郎の論文中に掲載された写真では、石膏による器形復元がさらに進んでいる。現在は、石膏部に着色が施された状態で収蔵されている。
従来から存在する注記は大きく6種類に分けられる。
今回の調査と整理作業では、松村(1920a)にある図版と記載、資料ごとの注記と付随情報、さらには土器資料の文様と胎土の性状を手掛かりに、荻堂貝塚出土資料と判断できる資料を選出した。土器資料については、さらに接合を試み、適宜石膏を用いた器形復元を行った。以上の整理確認の後、新たな標本番号「EQ08-XX」(XXは番号)を設定し、合わせて当該資料の概要について本標本資料報告の一覧リストとしてまとめた。また、そのほかの属性と共に、今回選出した全点について、実測図と写真を図版に示した。
今回の調査では、特に接合に重点を置き、松村(1920a)の報告書に写真が掲載された39点のうち、破損した資料、接合が損なわれた資料について、ほぼ当時の状態まで回復することができた。中には新たに接合し、さらに大型化した資料が5点ある。また、接合状態を安定化するため、18点の資料について、石膏を用いた器形復元を行った。
上記の1)もしくは2)の番号を伴う注記標本は、枝番号を含めて76点(接合後の点数)あり、松村(1920a)に掲載された全67の拓本図版に対応する土器個体を全て確認することができた。それ以外に、荻堂とだけ注記された標本が51点認められた。さらに注記はないものの、荻堂貝塚資料と同じ平箱と紙箱に収納されており、胎土・文様が荻堂貝塚資料と類似するもの、あるいは荻堂貝塚出土資料から破損によって分離した砕片の可能性があるもの、合計46点に番号を付した。注記がない無文の胴部破片については、荻堂貝塚資料の可能性が高い資料であっても今回は割愛した。
以上の173点の標本について実測図の作成と写真撮影を行った。実測記録としては、縦断面の実測図と外面の拓本を作成した。内面に調整痕跡が認められるものは内面の拓本も作成した。口縁部上面に文様のあるものは拓本を作成した。なお、2001年に胎土分析が報告された土器片については、一部切除された直線的な切断面を持つが、今回はそのまま作図して掲載した。調査対象となった11点のうち6点は、採取前の図が当該報告書に掲載されている(橋本・矢作2001: 302)。写真は外面と内面を撮影し、口縁部上面に文様のあるものは俯瞰写真も撮影した。
今回の調査では、「荻堂」と黒字で注記され、荻堂貝塚出土とみなされる石器25点(石斧標本13点と磨石・敲石標本12点)が認められた。これらのうち8点は、松村(1920a)に写真が掲載されており(石斧4点、槌石4点)、注記の字体の共通性から、25点全てが松村(1920a)と関連すると思われる。
これらに加え、『中城間切荻堂村ノ後「ナンジャジー」ヨリ携出ス』と注記された石斧1点が認められた。この石器資料は鳥居(1905a, b, c)の調査と関連する可能性がある。
さらに、注記はないがメモやラベルの情報から、以下の20点を調査に含めることにした。
以上の合計46点について、実測図の作成と写真撮影を行った。実測図は原則として上面、左側面、下面の俯瞰を作成した。側面や下面、上下端に敲打痕や調整痕跡があるもの、凹みが作出される等、縦断面図を作成する必要があると判断されたものはその部位の図も作成した。写真は上面、左側面、下面を撮影した。
荻堂貝塚の土器・石器標本には、これまでに松村(1920a)の図版における番号、安里ら(安里他1996、安里他1997)の土器番号・資料番号、パリノサーヴェイの胎土分析に用いられた番号(Palyno No.)といった、複数の番号の設定がある。特に、安里他(1997)による一括番号は、土器資料の接合前の収蔵に即したため、実際の個体区分と対応しない。そのため、本標本資料報告では、注記情報と整理作業後の土器標本の接合状況に基づき、図化と写真撮影の対象とした全ての標本について、当館の人類先史部門における荻堂貝塚の遺跡番号である「EQ」に整理年度の「08」を加え、新たな通し番号シリーズとして「EQ08番号」を設定することとした。
特に、接合作業の結果、「荻堂XX」「荻堂1/XX」「XX」「1/XX」の注記のある資料について松村(1920a)との対応を確認することができた意義は大きい。これらと「荻堂」とだけ注記されている資料、さらに注記はないが荻堂貝塚資料である可能性が高い資料にEQ08番号を設定した。石器標本も同様に、「荻堂」と黒字で注記されている標本、「荻堂」と記されたメモ書きを付随した標本にEQ08番号を設定した。
土器標本については、以下のルールで標本番号を設定した。
石器標本については、以下のルールで標本番号を設定した。
双方とも、資料のまとまりごとに、石斧、磨石・敲石、その他の順に番号を付した。