先の報告では、土器を型式的に分類して紹介したが、ここでは、各土器型式の出土状況を、各区、各層ごとに定量的な形で記述し、各土器型式の層位的、あるいは平面的な分布状況について検討を加えることにしたい。
Fig. 151は、出土区・層の判明する破片総体について、前期、中期、後期に大別し、その比率をグラフ化したものである。この中には、出土地点がわからないものや、不明確なものは含まれていない。また、破片数は接合前の状態で算定しており、同一個体の破片を重複してカウントしている場合がある。問題となるのは、破片を分類する際の精度であるが、結論から言って、本資料においては一部のものを除き、小破片でも大別時期ごとに分類することは容易であった。各期の土器片の特徴を簡単に要約しておくと、前期の土器では、胎土に砂粒の混入少なく、器壁は薄く、器面調整は不徹底で、しばしば器内外に指頭圧痕が残る。縄文の目は細かく、きちんと撚り合わされた原体が用いられている。色調は中期に比してやや暗い感じのものが多い。中期の土器は、胎土に砂粒の混入が顕著で、器壁は厚く、器内面にはナデ調整が加えられる。前期に比して縄文の条は太く、撚りのゆるい粗い縄文が特徴的に見られる。また、表面の磨滅した破片が多く見られる点も注意された。後期の土器は器面調整に特徴があり、巻貝条痕、ミガキなど、前・中期の土器には見られない調整手法を伴っている。
表にしたがって各区の状況について見ていくと、1~3、5、10、11区では、より下層から前・中期の土器が多く出土し、より上層からは後期の破片が多く出土する。4、7、9、12、13区では、下層から上層まで、一貫して前期の土器が圧倒的多数を占めている。6区では下層に前期の土器が多く、上層に中期の土器が多い。8区でも、下層に前期の土器が多く、上層に中期の土器が多いが、中期土器が半数近くを占める4 層に対して、3層では逆に前期土器が多く、不整合を生じている。このような例外はあるが、総じて下層からはより古い時期の土器が、上層からはより新しい時期の土器が出土する傾向を認めることができ、土器の出土傾向から見た場合、彦崎貝塚の層位はおおむね整合的な堆積状況を示していると言える。
次に、もうすこし詳しく、各群別の土器の出土状況について見ていくことにしたい。ここでは、量的にある程度まとまって出土している前期の第1、2、3群、中期の第7、8、10群、後期の第12、13、14群について検討を加えることにする。なお、多数にのぼる後期の無文土器(第15群)は、個々の破片について帰属時期を特定できないため割愛したが、その出土傾向は後期の第12、13、14群の出土傾向に沿ったものとなっている。
Fig. 152には、各区・各層における各群土器の出土点数をグラフ化したものを示した。この点数は、口縁部破片から算定される個体数に基づいたものであるが、区・層を越えて接合する個体については、その個体に属する破片が出土したそれぞれの区・層に対して1を加えているため、点数の総計は、実際の個体数の総計よりも多くなっている。また、ここでも出土地点、層位の不明確な個体は除外している。このグラフに基づいて、まず、前期の各群土器の出土状況について見ると、第1群(磯の森式)は12 区6 層で主体を占め、5層からも出土するが、5層より上位では第2群(彦崎Z1式)が主体をなす。また、第2群は調査区北側にあたる11~13区から集中的に出土しており、一方、南側の1~10 区では第3 群が多く出土していて、両者の分布範囲にはずれがある。第2 群と第3群は、層位的にはっきりと分離できる出土状況を示さないが、第3群が主体となる4 区、9区の最下層では、第2群の占有率が高くなっていることは注目される。
続いて中期の各群土器の出土状況であるが、中期土器の主体を占める第7群(船元Ⅰ―Ⅱ式)は、6、10、11区からまとまって出土しており、前期土器に比して出土量のピークが、より上層にずれる傾向を認めることができる。一方、第8群(船元Ⅲ式)、第10群(里木Ⅲ式)は出土点数が少なく、このグラフから立ち入った検討に進むことは難しい。しかし、6、8区において第8群が見られず、第7群とともに第10群が出土している点は注目される。これは、胴部破片まで含めた場合でも同様である。
最後に後期土器について見ると、第12群(彦崎K1 式)は10、11区から集中的に出土する一方、第13群は1、3、5、10区に分布の中心があり、両者は10区を境として分布域を違えている。第14群は出土量が少ないが、6区3層から単純な形で出土している。上記のような各土器型式の出土状況を総合すると、まず、彦崎貝塚の開始期にあたる磯の森式(第1群)期には、北側の12区を中心に小規模な分布域が形成される。続く彦崎Z1式(第2群)期も、これを踏襲して、11~13区方面に分布の主体を置くが、南側に寄った4区や7、9区などでも比較的まとまった出土が認められる。一方、彦崎Z2式(第3群)期では、北側の11~13区への分布の広がりは希薄になり、7、9区、4区、5区に分布の中心がある。以上、第1~3群の前期土器は、全体として、工事によって破壊された崖面に沿って濃密な分布を示す一方、台地内側への広がりは希薄なものとなっている。これに対して、中期の第7、8、10群は、10、11区や6、8区など、前期段階の遺物分布の縁辺部でまとまった出土が認められる。また、後期の彦崎K1式(第12群)も、10、11区に分布の中心を置き、やはり中期段階の遺物分布を踏襲している。続く彦崎K2式(第13群)は、1、3、5区など、台地内側で多く出土しており、前・中期段階で遺物分布が希薄であった一帯を埋めるような形をとる。
以上のような出土傾向は、池葉須が報文において述べている層位的状況とも整合的であり、また、従来の各型式の編年観とも矛盾しない。
(山崎真治)
Fig. 151 Stratigraphic occurrence of Jomon pottery by period
Fig. 152 Stratigraphic occurrence of Jomon pottery by group