彦崎貝塚の位置する瀬戸内地域の縄文土器編年は、山内清男の研究(山内1937)を基礎として、鎌木義昌や倉敷考古館による一連の調査研究により、詳細が明らかにされている。Table 3には、特に彦崎貝塚資料に関連の深い、前期~後期の現行の編年を示しておく。
本地域の編年については、これまで多くの研究があるが、中でも、倉敷考古館による里木貝塚の調査報告(倉敷考古館1971)において示された編年は、縄文前・中期編年研究のひとつの到達点と言え、現行編年の基礎を形作ったものである。また、山内が後・晩期編年の基準資料として用いた、福田貝塚や高島黒土の資料については、近年詳細な整理報告が刊行されており、従来
不明確であった編年の具体的内容を覗い知ることができるようになった(泉・松井1989、矢野編2004)。
今回、彦崎貝塚資料の整理にあたって主要な目的としたのは、山内によって設定された彦崎諸型式の内容を、より具体的に把握することであった。幸い本資料については、上述のように調査当時の遺物の出土地区および層位を、注記やラベル等の情報によって復元することがある程度可能である。また、池葉須が報告において述べているように(池葉須1971)、彦崎貝塚では地点、層位を違えて様相の異なる各時期の土器が出土しており、山内が型式設定にあたって重視したのもこのような地点、層位ごとのまとまりであったと考えられる。したがって今回の報告にあたっては、彦崎諸型式に関する従来の研究を基礎としつつ、各区、各層における土器の出土状況を改めて検討した上で、型式分類を行った。なお、本資料中には、注記等の情報が欠落し、出土地点が不明確な資料も少量存在したが、これらのうち、接合関係から出土地区を推測しうるものについては、各区の図版中に組み込むことにした。また、同一個体の破片が複数の区・層にまたがる場合については、もっとも多くの破片が出土した地区・層の図版中に含めて掲載することとした。
その他、詳細については付載の観察表(Table 5)を参照していただきたい。本資料中の縄文土器は、総数15,723 点、重量にして約120kg にのぼり、前期から晩期にわたる各時期のものが含まれている。その内訳は、前期土器9,557 点(約62kg)、中期土器2,015 点(約22kg)、後期土器4,147 点(約37kg)、晩期土器4 点となり、今回はこれらを第1~16 群に分類した(Table 4)。第1~4 群が前期、第5~11 群が中期、第12~15 群が後期、第16 群が晩期の土器である。これら各群のうち、第2、3 群は、山内による彦崎Z1、Z2 式、同じく第12、13 群は彦崎K1、K2 式に相当するものであるが、これらについては後章において考察を加えているので、ここでは一括して概要のみを記す。
今回、土器(土製品を含む)として実測図を掲載したものは計1,631 点であり、1~1631 までの通し番号を付した。実測図の掲載順序は、まず資料の主体をなす1~13 区出土のものを前、中、後期の順に大別して掲載し、続けて、人骨に付帯する資料や14 区出土のもの、出土地点不明のものをまとめた。以下の解説もこの順序に従っている。ただし、1~13 区については、全体を一括して分類、報告することはせずに、地区、層位ごとの土器の出土状況を考慮して、任意に細区分を行っている。このため、記載が煩雑になったきらいがあるが、これは彦崎諸型式の実態を、できる限り客観性をもたせた形で報告しようと試みたためである。一方、写真図版は、図化した資料全てを網羅しているわけではなく、遺存状況の良い個体や、特に重要と思われる個体を選択し、型式分類に従って掲載している。遺物番号は、実測図に付した通し番号を踏襲しているが、詳細な対応関係については、観察表(Table 5)に記す通りである。
Table 2 Stratigraphy
Table 3 Jomon chronology for the Bisan―Seto region
Table 4 Classification of pottery
第1~4 群が前期に相当する。量的にみて主体をなすのは第3 群であり、第2 群がこれに次ぐ。
第1、2、3 群については、出土状況を考慮して、(1)11・12・13 区、(2)5・10 区、(3)1・2・3 区、(4)4 区、(5)7・9 区、(6)6・8 区の順に掲載した。また、第4 群は832 の一個体のみである。
なお、4 区、7・9 区、6・8 区については、おおまかな目安として上層、下層を区別した。すなわち、4 区については、主として3 層に属するものを下層、1、2 層に属するものを上層とし、7・9 区については4、5 層に属するものを下層、2、3 層および9 区ピットに属するものを上層とした。6、8 区については、5 層のものを下層とし、4 層以上のものを上層としてまとめた。ただし、各層間で接合するものも認められ、この上層、下層の区分は、明確な形で分離できるものではない。
薄手の器壁と、節が細長く密接する縄文(0 段多条)を特徴とする。一般に縄文の押捺は浅く、撚り方向の異なる原体をもちいた羽状縄文がしばしば認められる。明確に0 段3 本撚りと判断できるものは見られなかった。磯の森式に相当するものであるが、磯の森式の特徴としてあげられるC 字形の爪形文を伴うものは認められず、縄文施文のものと無文のもののみがある。これは個体数が少ないことに起因するのであろう。
第1 群土器は12 区6 層からまとまって出土しており、縄文施文をもつものをA 類、縄文を欠くものをB 類とする。
(1)11~13 区(Fig. 4、Pl. 1a:1~11)
12 区5、6 層からまとまって出土しており、11 区、13 区にも少量見られる。2 は、いわゆるさざなみ状口縁のように図示したが、小突起が2 個1 対となる可能性も強い。口縁上には細かな刻みが施される。5、6 はB 類の無文の口縁で、A 類とは異なり切っ先状の口縁形態を呈する。
(4)4 区(Fig. 21:308)
308 は胴部の小片であるが、縄文の特徴から第1 群に含められる。
(5)7・9 区(Fig. 33:441)
441 は遺存の悪い小破片であるが、外面には縄文がつけられており、内面には薄く条痕が残る。
(6)6・8 区(Fig. 55:701)
701 はやはり外面に縄文が施されるもので、内面は平滑に調整されている。
押引文、押圧文を特徴とする一群で、彦崎Z1 式に相当する。縄文はほとんど見られない。極めて薄手であり、胎土に砂粒の混入少なく、一般に硬質な焼成を示す。押引文は、両端がわずかに深くなる断面W 字形で、薄い器壁に対して深く押捺されており、内面にまで影響を与えて突部を形作るものも多い。器表面には器体成形時の指頭圧痕が顕著にみとめられるが、第3 群のように爪痕を残すものは全くない。この群に属する底部として確実な平底はなく、丸底となるものが見られる。深鉢のほかに、浅鉢や のような器形も目立ち、小型の土器には赤彩の施されたものもある。第2 群土器は3、5、10 区を除く各区から出土しており、特に11、12、13 区ではまとまっている。施文の特徴によってA~C 類に分類する。
A 類:押引文が施文されるもの。波状口縁をなすものが少量ある。
B 類:押圧文をもつもの。口縁直下内外面に押圧文を加えるものがあるが、施文は単純で装飾
的でない。
C 類:無文のもの。A、B 類と異なり、口縁に刻目を付したものが多く見られる。
(1)11~13 区(Fig. 5~8、Pl. 1b、2、3a:12~94)
A 類(12~46)
押引文によって直線文、弧線文などが描かれる。押引文の施文具形態や、施文方法にはいくつかのバリエーションが認められる。口縁を刻むものは少ない。12 は口縁部に3 条の直線的な押引文列がめぐる。内面は平滑に調整されており、この種の土器としてはやや特異なものである。17は強く突出する波頂部の破片。27は地に縄文をもつ。28は二尖の工具による平行沈線が施される。29は押引文ではなく、爪形の刺突文が施されるもので、類似の爪形刺突文は第3群B類にも見られる。30、31は本群としては厚手で、赤みの強い焼き上がりの土器である。ともに外面に赤彩が施され、胴部にまで押引文が及ぶ点でも共通するが、別個体である。30は口縁内面にも幅狭く赤彩が残る。33は縦に垂下する突帯上に、やや間隔をあけて刺突が施される。34は内面に押引文をもつと考えられる小破片。35には補修孔が観察される。
B 類(47~53)
47、48は口縁を外側に厚く作り、細かな刺突状の押圧文を加えている。47は浅鉢と考えられる。
C 類(54~85)
口縁を刻むもの(54~76)と刻まないもの(77~85)があり、前者の方が多数である。刻み目は棒状の工具によるものが多い。いずれも口縁に向かって直線的な立ち上がりを示すが、口縁端部をわずかに外反させたり、厚く作る傾向がある。56は口縁部の刻み目直下に押圧状の痕跡が見られ、B類に含められる可能性がある。
胴部(86~92、94)
86は底部に近い部分の破片で、弱く折れ曲がって底部に移行する。94には縄文が施されている。
底部(93)
93は第2群に伴うと考えられる丸底である。
(3)1~3 区(Fig. 18:230~233)
1、2区の最下層から1 点ずつと、1、2 区中間壁から2 点出土している。230 はA 類、231~233はC類。
(4)4 区(Fig. 21、Pl. 4b:296~307)
3、4層からの出土が多い。296は尖り気味の丸底に復元されるもので、多くの破片は最下層(4層)に属する。第2群としては器壁がやや厚く、焼き締まりはやや甘い。297~301 はA 類。297は、口縁直下の押引文列に沿って刺突がめぐる。口縁には刻みを付し、口縁直下内面には穀粒状の小さな刺突が施される。298は尖端の尖る波頂部の破片。301は地に縄文がつけられている。302~304はB類、305~307はC類。
(5)7・9 区(Fig. 33、34、Pl. 3b、4a、18b:442~486)
7・9 区下層(442~459)
442~448はA類。442は第2群としては厚く、口縁上端は平坦に作られている。外面にはやや幅の広い爪形状の押引文が施され、内面は平滑に調整される。443は無節L の縄文を地文とし、爪形の刺突文と細い押引文が施される。444も縄文(LR)地上に押引文を施すもので、口端部がやや厚く、口縁上面には細い爪痕が並ぶ。449~454はB類。449、450は縄文施文と押圧文を伴う。451は小型の浅鉢。454は外面に縄文、内面に押圧文を施し、口縁部には細い貼付文が見られる。455~457はC類。
7・9 区上層(460~486)
460~471はA類。472~477はB類で、480は外面に羽状縄文、内面に縄文と押圧文を施し、口縁上面に船形の刺突をもつ。481~486 はC類。
(6)6・8 区(Fig. 55:702~704)
702~704 はA 類。
いわゆる特殊突帯文を特徴とする薄手の土器を中心とした一群で、彦崎Z2 式に相当する。胴上部のくびれを境として、口縁部と胴部で湾曲をもってふくらむ深鉢形を主体とし、鉢形や 形のような小型の器形も少量認められる。器壁内外には、しばしば器体成形時の指頭圧痕や爪痕が見られる。これらの圧痕は、普通器面に対して水平方向に列をなしており、器体を成形する際、積み上げた粘土紐を順次指で押さえることによって生じたものと考えることができる。底部は径の大きな平底を基本とするが、丸底も存在する。縄文施文が盛行し、一般の斜行縄文に加えて羽状縄文、結節縄文なども見られる。ごく少量、赤彩を施したものも存在する。第3 群はすべての調査区から出土しているが、特に4、6、7、8、9区で多く、逆に11~13区では少ない。
この一群は、里木貝塚の報告において里木Ⅰ式とされたものに相当し(間壁・間壁1971)、これまで里木Ⅰ式と彦崎Z2 式は、ほぼ共通した内容の土器型式として捉えられてきた経緯がある。しかし、第8章で検討するように、細かくみると里木Ⅰ式は、彦崎Z2式の型式内容のうち、より後出的な特徴を示しており、両者は厳密に一致するものではない。したがって、ここで提示する彦崎Z2式の内容は、里木Ⅰ式の内容を補完するものと言えよう。第3群には非常に多様な内容の土器が含まれるが、主として文様上の特徴から、A~C類に分類して報告する。
A 類:いわゆる特殊突帯文土器。口縁部に縄文施文を伴う扁平な隆起帯を有し、胴部に特殊突帯文による装飾的な文様を配するのが基本である。胴部に特殊突帯文をもたないものでも、口縁に縄文帯を有するものはこの類に含めた。
B 類:口縁部下あるいは胴部に爪形刺突文を連続的に並べて加えるもの。
C 類:縄文施文のもの、無文のものを一括し、前者をC1 類、後者をC2 類とする。口縁に刻み目をつけたものも多い。量的に第3 群の大多数を占める類である。
(1)11~13 区(Fig. 9、10、Pl. 11b、12a、18b:95~137)
11 区から多く出土している。95~108 はA 類で、107 は羽状縄文地に突帯を伴わない押引文をもつ。109、110 はB 類。いずれも湾曲した口縁形態を呈し、口縁上面にも縄文が施される。109は縄文地に爪形刺突文をもつ。また、110 は刺突列の間に截痕列が観察される。111~116 はC類。111 は口縁上面に間隔をあけて船形の刺突文を施す。116 は一見後期の浅鉢のようであるが、器面調整が不徹底であり、土質、焼成などから見て第3 群に含められるものと考えられる。117~125 は胴部の破片。119 は外面に羽状縄文が施されるもので、内面には擦痕が顕著に残される。121~123 には結節縄文が観察される。124 は条に深浅のある縄文が見られるもの。125 は撚糸文の可能性がある。126~137 は底部。いずれも平底で、132 はやや強い上げ底になる。126 は外面立ち上がり部分に爪痕がはっきりと残されている。129 は底部外端に刻み目を施すもの。
(2)5・10 区(Fig. 11~17、Pl. 5、13、17b、18:138~229)
5・10 区では前期の土器としては第3 群のみが出土しており、かつB 類を欠いている。
A 類(138~163)
5・10 区出土のA 類に見られる特殊突帯文は、工具をきちんと押し引いた、節の間隔の狭いものを基本とする。138 は復元口径44cm を測る大型の土器で、上面観は隅丸方形となっており、いわゆる角形土器の形をとる。口縁断面は内側に厚く三角形をなし、太めの縄文地上に特殊突帯文で同心円文を中心とした装飾的な文様が描かれる。口縁部内面はだいたい平滑に調整されているが、胴部内面には顕著にケズリ痕が観察される。この個体は、かなり細かな破片となっていたが、同一個体の破片はほぼすべて接合して図のように復元された。139 は径の大きな上げ底の作りつけられた小型の土器で、縄文の目は細かく、胴部から底部に垂れ下がるように特殊突帯文が配される。141 は口縁下外面に低平な肥厚帯をもち、縄文が施される。口縁端は欠損しているが、特殊突帯文が貼付され、突起を形作っていたようである。143 はやはり口縁下外面がわずかに厚く作られ、縄文が施される。また内面にも板状の肥厚帯をもつ。縄文は節が細長く密接したもので、大歳山式の縄文に近似する。外面肥厚帯下には断面三角形の突帯が貼付され、間隔をあけてC 字状の刺突が施される。口縁部には鋸歯状の刻み目が付され、内面は平滑に調整されている。148 は突帯上を連続的に指でつまんだもののようで、突帯の断面は三角形をなしている。
C 類(164~202)
縄文施文のC1 類では口縁に刻み目をもたないものが多く、無文のC2 類では刻み目をもつものが多い。羽状縄文がわずかに認められる。164 は外面に節の太い縄文を施し、口縁上面には指頭によるとみられる連続的な押圧がつけられる。173 は、外面および口縁内側の肥厚帯上に縄文が施されており、全体に器体成形時の指頭圧痕が顕著に観察される。この土器も、やはり多数の小片から復元されたものであるが、同一個体の破片はほぼすべて接合して、全体の1/2 程度まで復元された。186 は口縁部を外側に厚く作り、縄文を施す。190 は、口縁部が折れ曲がって外側に張り出すもので、第3 群としては特異な器形である。
胴部(203~214)
203 は外面に縄文がつけられ、内面には擦痕が顕著に観察される。204~205、207~211 の縄文は、第3 群としては節が太く、長めの原体が用いられている。206 は器壁がやや厚く、縄文の目は細かい。
底部(215~229)
平底(215~227)と丸底(228、229)が見られる。215 は、底部外縁にハイガイと見られる二枚貝の殻頂を押しつけて、凹部を作出するもの。底面にはまばらに圧痕が観察されるが、何の圧痕であるかは不明。216 は底面近くに無節L、その上部に単節RL の縄文が施されている。217 は外面に複節(LRL)、底面に単節RL の縄文がつけられている。228、229 は丸底になると考えられるもので、下底部はやや平たく作られている。
(3)1~3 区(Fig. 18~20、Pl. 10b、11b、12a、17b:234~295)
234~247 はA 類。237 は内外に厚く、断面四角形に作られた口縁部外側に押圧を付し、口縁上面に楕円形の貼付文をもつ。口縁から縦に垂下する突帯がわずかに観察される。外面および突起部に赤彩が施されている。239 は内面にも縄文が施される。248 はB 類の小破片。胎土中には黒雲母が多く含まれる。249~279 はC 類。縄文施文のC1 類では、口縁内面の肥厚部の幅が広
く、また段の低平なものが多い。全体として口縁内面の段が弱いか低く、広いものが多い。260、266 には反撚りを用いた縄文が見られる。280~282 は胴部の破片。280 の縄文は単節RL であるが、太い条と細い条が交互にあらわれる特徴がある。283~295 は底部で、すべて平底になると考えられる。
(4)4 区(Fig. 21~32、Pl. 6、7、11、12a、14、15、17b、18b:309~440)
主として3 層に属するものを下層とし、1、2 層に属するものを上層としてまとめた。
下層(309~223)
309、310 は一応第3 群に含めたが特殊なものである。309 は、口縁上に船形の刺突を伴う小突起をもち、そこから縦に突帯が垂下する。突帯上には刺突が施されており、縄文の目は細かい。310 は器壁のやや厚いもので、沈線が施される。破片の左側には突帯が貼付されていたらしい痕跡が残る。311 はくの字形に屈曲する口縁部をもつもので、胴部の破片の一部は9 区からも出土している。320 は羽状縄文の合わせ目が菱形状にあしらわれたもの。322 には結節を伴う縄文が施されている。
上層(324~440)
A 類(324~351)
通常の羽状縄文は見られないが、口縁外面と、口縁上面あるいは内面で撚りの異なる縄文を用いたものがある。324 は撚りのゆるい縄文を地文とし、口縁部に縄文帯と特殊突帯文を配する。口縁部の縄文帯は、地に縄文を施した後に貼付されており(Pl. 48h)、口縁内面と頚部内面にも縄文が施される。口縁上の刻み目は爪痕を伴っており、指頭によるものと考えられる。内面はだいたい平滑に調整されている。一部の破片は5 区3 層からも出土している。325 も頚部内面に縄文がつけられている。327 の縄文はLR を主とするが、口縁上面の縄文はRL である。331、337 も口縁外面と上面、あるいは内面で撚りの異なる縄文が用いられている。332 はやや厚手で、内面に指頭圧痕が顕著に観察される。この個体も、一部の破片は5 区3 層からも出土している。349 は口縁部直下の破片と見られるが、平行する二条の突帯間に連弧状に突帯を配するもので、大歳山式に見られるモチーフに近似する。内面は平滑に調整されており、明るい色調である。6 区の723 と同一個体と考えられる。
B 類(352~355)
いずれも爪形の刺突が深く捺され、掻き寄せられた粘土が圧痕の下部に土手状の高まりを作っている。352 は刺突列の間に浅く引っ掻いたような痕跡が観察される。口縁部と胴部には羽状縄文が施されており、胴部の縄文は結節を伴っている。353、354 は口縁部に屈曲をもつ特異な器形。353 は波頂部下に縦の貼付文をもっているが、この貼付文は工具によるナゾリを伴わない。また内面にも縄文、刺突文が施されている。
C 類(356~405)
縄文施文のもの、無文のもの、ともに刻み目をもつものともたないものとが相半ばする。356 の縄文はRL を基調とするが、胴部のごく一部にLR が用いられている。RL に比してLR の縄文は目が細かい。縄文は、比較的整然と横位に帯状をなして加えられている。内面はだいたい平滑に調整されており、胴部内面には弱い段がめぐるが、これはちょうど粘土紐の接合部分にあたっている。357 は小型の鉢形で、底部の円盤を欠く。358~360、362、364、369 は、口縁内面にも縄文が施されるが、内面肥厚部の段はごく弱い。370 は口縁上面に刺突をもつもので、口縁上面から外面にかけて赤彩が残る。371 は口径44cm を測る大型の深鉢。縄文はRL で、胴下部では回転方向が乱れているが、一部LR の縄文が用いられているようである。372 は口縁の断面形が四角形となるもので、内端には押圧が加えられる。376も同種のもので、こちらは外端にも押圧が加えられている。378 は平縁の一部に突起をもつもので、突起は二個一対になるものと考えられる。380 は第3 群としては厚手で、口縁下に太い粘土紐を巻きつけている。縄文はLR で、節の繰り返しから0 段2 本撚りと判断される。386 は口縁部と胴部が直接接合しないが、胴部が張り、口縁の外反する鉢形になるものと考えられる。387 はやや厚手の無文土器で、胴部内面に段が形成される。口縁上面には、規則的に引っ掻いたような痕跡が観察される。388、389 は 形の浅い器形で丸底となる。388 は口縁に截痕状の鋭い刻み目を付し、内外面には幅の狭い工具で擦ったような痕跡が顕著に残されている。389 は口縁直下内外に押圧文がめぐる。
胴部(406~416)
411 にはLR と無節R を用いた羽状縄文、415 には無節L の縄文が施される。縄文部の破片は多量に出土しているが、無節の縄文はごく稀である。
底部(417~440)
全て底面が円盤状をなすものであるが、431 は円盤が下方に突出する特異なもので、不安定なつくりである。また、435 は立ち上がりの部分が丸みをおびている。底面に縄文を施すもの、底部外周に刻み、押圧を施すものも見られ、439 は外角が大きく刳り込まれており、いわゆる花弁状の底部に近い形をとる。
(5)7・9 区(Fig. 35~54、Pl. 8~10、12b、16、17a、18b:487~700)
主として4、5 層に属するものを下層とし、2、3 層および9 区ピットに属するものを上層とし
た。
下層(487~520)
資料数は少ないが、ある程度復元可能なものが4 個体ある。B 類は含まれていない。
A 類(487~501)
487 は、全面に羽状縄文の施された角形土器で、大きく波打つ波状口縁をなし、波頂部および波底部に縦の貼付文をもつ。この貼付文は、指でつまんで押しつけたもののようで、工具によるナゾリを伴わない。口縁部にはやや間隔を空けて3 条の縄文帯が加えられる。この縄文帯は、無文地上に貼付されており、上から二条目、三条目の縄文帯では、途中で縄文の撚り方向が変化している。口縁内面にはやや広めの段状部が設けられ、この部分にも縄文がつけられている。直接接合しないが胴下部に相当すると考えられる破片もあり、被熱による赤変が認められる。この個体を構成する破片のうち、出土地点の判明する40片中21 片が9 区4 層からの出土である。488 は遺存状況の悪い個体であるが、487 に似て、口縁外面には5 段にわたって縄文帯を配し、細かな縄文が羽状に施される。口縁に接して縦の貼付文をもつが、やはり工具によるナゾリを伴わない。口縁内帯はにぶく段をなし、縄文が施されている。胴部の文様構成は判然としないが、羽状縄文地上に細い突帯が連弧状にめぐらされるようで、突帯上には工具によるナデ引きが加えられる。この個体に属する破片のうち、出土地点の判明するものは23 片で、うち11 片が7・9 区下層出土。また1 片は、18 号人骨付帯のものである。489 は口縁上に蛇行するように特殊突帯文が加えら
れている。501 はいわゆる特殊突帯文とは違って、なでつけたような太い突帯をもつものである。
C 類(502~512)
504 は口端部のみに縄文を施す。薄手であるが、硬質な焼き上がりの土器で、口縁部内面には顕著に爪痕が残る。多くの破片は9 区4 層に属する。505 は、口縁部に棒状工具による刻み目をもつ無文土器。指頭圧痕が顕著で、胴部には横位の擦痕が観察される。出土地点の判明する破片の多くは7 区4 層に属する。509 は口縁上面に船形の刺突をともなう小突起をもつ。
胴部(517~519)
517 は羽状縄文を施した胴部破片。縄文の節は太く明瞭で、短い原体が用いられている。
底部(520)
下層に属する底部は1 点のみである。小型の平底で羽状縄文が施されている。
上層(521~700)
A 類(521~565)
口縁部の縄文帯は3 条程度のものが多く、羽状縄文が盛行する。口縁に押圧を加えたものが一点ある(525)が、刻み目を加えたものは見られない。この点はB、C 類との相違である。用いられる特殊突帯文は一般に細く、突帯上の押し引きは深く加えられる。また、押し引きの間隔が広く、結節の不明瞭なナデ引き状のものも多い。521 は、黄色味を帯びた明褐色を基調とした、焼きしまりの良い薄手の土器で、角形土器である。口縁部に縄文帯、頚胴部に特殊突帯文を配する。波頂部と波底部に加えられる縦の短い貼付文は、工具によるナゾリを伴う。胴部の特殊突帯文は、工具による押し引きが顕著で、突帯上の稜線は鋭く尖っており、両側の溝は深く刻まれている。口縁部内面には爪痕が著しく、頚部外面には指紋が明瞭に残されている(Pl. 48d、e、f、g)。頚部外面の指紋は、指先を下方に向けたもののようであり、口縁内面の爪形は左に開く逆C 字状をなす。これに似た痕跡は、左手を用いて拇指を器壁の内側に、示指を器壁の外側にあてて押さえつけた際に容易に得られる(したがって、作業位置は製作者から見ると遠位側の円周上にある)。一方、この個体の胴部では外面に爪痕が見られるので、拇指・示指の位置が口縁部、頚部とは逆
であった可能性がある。以上のような類推は、まだ憶測の域を出ないものであるが、この種の土器に見られる爪痕の位置や向きは、土器製作時の身振りの解明につながる可能性があり、今後さらに検討をすすめていく必要があろう。なお、この個体に属する破片の多くは7、9 区上層出土であり、口縁部破片の一部は4 区3 層からも出土している。537 は、強く湾曲する胴部の破片で、外面には羽状縄文地に特殊突帯文が同心円状に施される。内面には爪痕を伴う指頭圧痕がおびただしい。560、561 は外面に赤彩が施されている。
B 類(566)
566 は、口縁が外反するもので、A 類とは異なる器形をとる。口縁下に二条の爪形刺突列が加えられており、刺突文は、土器を正位に見た場合、右から左に向かって順次施文されている。刺突列の下位には引っ掻いたような痕跡が見られ、全体として、いわゆるハの字形爪形文に似る。
C 類(567~622)
無文のC2 類が縄文施文のC1 類よりも多数を占める。
567~586 は縄文施文のC1 類である。口縁を刻むものは少ない。縄文は細かく、短い原
体が用いられる。結節縄文や閉端の圧痕が観察されるものもある(568、574)。568 の口縁の刻み目には、二段LR の縄文原体の閉端が用いられている(Pl. 48j)。573、574 は口縁部と胴部に縄文が施され、頚部は無文のまま残される。575 は、口縁の小波頂部から垂下する縦の貼付文をもつ。貼付文の両脇は強くなでつけられている。口縁内面には隆帯状の高まりが作り出されており、この部分にも縄文が施される。586 は底部の円盤を欠損するが、径の大きな平底の作りつけられた鉢形土器で、外面胴上部と下部に無節L の縄文が施され、胴中位は無文のまま残されている。口縁上面には、粘土を掻き寄せたような痕跡が断続的に観察される。587~622 は縄文を欠くC2 類。口縁部が内湾するもの、直線的に立ち上がるもの、外反するものなど、器形上、いくつかのバリエーションが認められる。口縁に刻み目をつけたものが多く、刻み目の形状も、棒状工具によるもの、押圧状のもの、刺突状のものなど多様である。610、611、614、622 など、小型の土器も目立つ。597 は外面に粘土紐の接合痕が顕著に残される。611 は、口縁部内面に工具で引っ掻いたような痕跡が見られる。
胴部(623~665)
縄文施文のものでは、羽状縄文となるもの、閉端や結節部の圧痕が綾繰状に観察されるものが多く見られる。625 は、内面に指頭圧痕が横位に段をなしており、下方から上方へ順次切り合いが認められる。655、656 には無節L の縄文が施されている。
底部(666~700)
円盤底と丸底がある。668、692、694 など小型のものが目立つ。666、667、691 のように、底面からの立ち上がりがくの字状をなして強く内屈したものが特徴的に見られる。底面に縄文を施すもの、底部外端を刻むものも認められる。694 は底部外端の突出した部分に二枚貝殻頂によると見られる押捺が加えられている。699、700 は丸底となるもの。700は黒色を呈し、きめの細かい特徴的な胎土が用いられている。
(6)6・8 区(Fig. 55~62、Pl. 11b、12a、17b、18b:705~831)
5 層に属するものを下層とし、4 層以上のものを上層としてまとめた。
下層(705~714)
705 は6 区最下層出土。外面と口縁上面に縄文がつけられており、口縁上面には船形の刺突が見られる。706 は内面に押圧文がめぐる。
上層(715~831)
A 類(715~738)
719 は、断面三角形の口縁形態を呈し、節が細かく密接した縄文が施される。720、738 は突帯を伴わず、直接器面に押引文が加えられるもの。723 は349 と同一個体と考えられる。内面は平滑に調整されている。
B 類(739)
739 は口縁に刻み目を付し、口縁下外面に間隔をあけて爪形刺突文が加えられる。内面にも縄文が加えられるが、肥厚帯はない。
C 類(740~785)
754、755 は口縁上面に船形の刺突をもつもの。756、760 のように、口縁内面の肥厚帯が扁平で、幅の広いものが目立つ。762 は口縁部内面のほか、頚部内面にも縄文がつけられている。785 は小型の 形で、丸底になるものと考えられる。
胴部(786~800)
786 の縄文は長めの原体が用いられている。798 の縄文は、単節RL であるが、太い条と細い条が交互に繰り返される。799 には反撚りを用いた縄文(LL)がつけられている。
底部(801~831)
すべて平底で占められる。803 は底部外端が大きく刳り込まれ、いわゆる花弁状の底部となるもの。
条痕地に刺突文の加えられた薄手の土器で、同一個体とみられる小片が3 片ほどあり、うち2片を図示した。うち一片は4 区2 層出土。いずれも赤みを帯びた暗褐色を呈し、胎土に黒雲母を多く含む。地に薄く条痕が観察され、横位の沈線あるいは押引列に交差するように刺突が施される。弱く湾曲する部位の破片で、口縁部下に相当するものと思われる。本地域では類例を見ないものであるが、器形、文様上の特徴は、島根県下山遺跡で第二黒色土層から検出された押引文・刺突文を有する土器群などに近似し、こうした一群は、近年、「月崎下層式」と総称されている。
(柳浦2001)
第5~11 群に大別される。中期前葉~後葉の船元式を主としており、細別型式全般にわたる資料がある。また、明確に里木Ⅱ式と判断できる資料はなく、里木Ⅲ式に相当すると考えられる条痕地の土器がややまとまっている。前期や後期の土器に比して、中期土器では、器表面の摩滅したものが多く認められた。10、11 区、1~3 区、5、6 区で多く出土している。
第5、6 群は、点数が少ないので各区出土のものを一括して示し、第7 群以下は、(1)10~13 区、(2)1~5 区、(3)6~9 区の順に掲載する。
里木貝塚の報告で、船元Ⅰ式B 類とされたもので、近畿の鷹島式と同種のものである(間壁・間壁1971、巽・中村1969)。節が細長く密接した太い縄文と、扁平な隆帯上に押された爪形文を特徴とする。器壁の厚いものと薄いものがあり、胎土には砂粒の混入が顕著である。底面の形態が多角形を呈する、いわゆる角底もみられる。縄文の撚りはRL を主とし、節の中に繊維痕の観察されないものが多い。
834 は隆帯の断面が低い三角形を呈する。837 は縄文(RL)の条間に右下りの細線を加えている。839 は器厚8mm と厚く、胴部内面には横方向のケズリ痕が残る。840~842 はいわゆる角底。840 の縄文はLR で、節の中に繊維痕が観察できる。
いずれも小片であるが、里木貝塚の報告において、船元Ⅰ式A 類とされたものに相当する一群(間壁・間壁1971)。第7 群に比して条が細く、撚りのゆるい粗い縄文が用いられており、爪形文は隆帯を伴わない。薄手の土器であり、鷹島式のように器壁の厚いものは見られない。
848、849 はいわゆる連続爪形文である。850、851 の爪形文はやや押し引き状に施される。
ここで第7 群としたものは、里木貝塚の報告において船元Ⅰ式C 類とされた爪形文土器と、D類からH 類にわたる縄文施文の土器、および船元Ⅱ式を含めたものである(間壁・間壁1971)。したがって、かなり多様な内容となっているが、これは、本資料においては分類の線引きが難しいためである。文様上の特徴によってA~D 類に分類する。
A 類:粗い縄文地に爪形文、押引文を加えたもの。縄文の撚りはRL を主とする。
B 類:粗い縄文地上に隆線を貼付するもので、隆線上に爪形や刻目を加えたものも多い。
C 類:縄文施文の一群で、第7 群の主体を占める類である。口縁上に刻み目や押圧を付したものも多い。
D 類:縄文の使用されない条痕文・無文のもの。
(1)10~13 区(Fig. 65~70、Pl. 19b、20、21:853~919)
口縁部が内湾し、キャリパー状の器形をとると考えられるものと、口縁部が外反する形態のものが見られる。A、B 類では両者が相半ばするようであり、C 類では内湾口縁のものが多い。
A 類(爪形文・押引文)(853~872)
853 は隆線とC 字形の爪形文が併用される。爪形文は両端が深く、押し引きに近い形をとる。口縁内面をわずかに肥厚させ、縄文を施す。854、855 は厚手の土器で、粗い縄文地にΣ字状の押引文が施される。854 は内面にも押引文がめぐらされている。855 は口縁外面に粘土紐を貼り付けた肥厚帯をもち、内面にも縄文がつけられている。
B 類(隆線文)(873~887)
873 は、縄文地に爪形文を伴う太い隆線を波状に貼付する。口縁上面にも縄文が付されており、一部口縁内面にも及ぶ。874 の縄文は無節R で、口縁に沿って隆線を配する。また、口縁外端部を巻くように爪形文が施されている。879 は隆起線に沿って刺突が加えられる。
C 類(縄文)(888~894、896~918)
888~893 は口縁部に指頭あるいは二枚貝殻頂による押圧をもつもの。890 は口縁内面に粘土紐を貼り付けて明瞭な段を形成する。894、896~901 は口縁に爪形文あるいは刻み目をつけたもの。898 は口縁が外反するもので、C 類としては特異な器形である。小突起は2 個1対になるものと考えられる。
D 類(条痕文・無文)(895、919)
895 は胴部に縦位の条痕が観察される。また、口縁外端を巻くように爪形文が施される。
(2)1~5 区(Fig. 74~76、Pl. 20b、22:982~1015)
A・B 類(爪形文・押引文、隆線文)(982~996)
982~994 はA 類、995、996 はB 類。996 は押引文と隆線文が併用される。
C 類(縄文)(997~1001、1003~1015)
997~1001 は口縁部に二枚貝殻頂による押圧が施される。1003 の縄文は、LR の原体を斜位に回転させた縦走縄文となっている。口縁外角に刻み目を付し、一部内角にも刻みが施される。1008 は厚手の土器で、縄文は無節RR。原体末端を結びとめた結節部分の回転圧痕が綾繰状にあらわれる。口縁は内側に厚く、内面にも縄文が施される。
D 類(条痕文・無文)(1002)
1002 は口縁に二枚貝殻頂による押圧が見られ、外面にはやはり二枚貝によるとみられる縦方向の条痕が残される。
(3)6~9 区(Pl. 78~81、Pl. 20b、21、23:1046~1084)
1046~1050 はA 類、1051、1052 はB 類。1046、1048、1049 の縄文は、A、B 類一般に見られる粗い縄文とは異なり、きちんと撚り合わされた特徴を示している。1050 は無文地に押引文が施される。1051、1052 は太い隆線上に爪形文がつけられている。1053~1084 はC 類およびD 類。1053 は外面に縦位の二枚貝条痕を施す。口縁上には二枚貝殻頂の押圧が付され、内面は平滑に調整されている。1054 の縄文は無節L。1057 は口縁上に小突起をもつもので、小突起は2 個1対になるものと考えられる。底部は凹底。1063 は不明瞭であるが、網目状撚糸文の可能性がある。1064 は外面に二枚貝条痕が施される。1073 の縄文は無節R。口縁内面にも縄文がつけられている。1076 は口縁内面に粘土紐を貼付した段をもつ。縄文は撚り合わせの甘いRL。1083 は外面と口縁内面に雑描き状の条線が施されるもの。1084 は口縁内面に条線がつけられている。
粗い縄文地に突帯や条線、沈線を加えたもので、船元Ⅲ式に相当する(間壁・間壁1971)。地文の縄文を欠いたものもある。10、11 区から比較的多く出土しており、6~9 区からは出土していない。
(1)10~13 区(Fig. 70、71、Pl. 24:920~952)
920~927 は突帯と条線が併用されるもの。920 は突帯上を二尖の工具によってなぞっている。921~927 は突帯に沿って条線が施される。923 は内面にも条線が施されている。928 は突帯のみが貼付されるもの。929~947 は条線のみがつけられるもので、地に縄文を加えたものが多い。948~952 は太い沈線が加えられたもので、沈線の深いもの、浅いものが見られる。950、951、952 は里木貝塚の報告で、船元式E 類とされたものに相当すると考えられるが、951、952、および今回第11 群とした960 は、かつて鎌木義昌らによって福田C 式として提示された土器である(鎌木・高橋1965)。
(2)1~5 区(Fig. 76:1016~1018)
いずれも小片であるが、条線のみが観察される。
いわゆる深浅縄文を特徴とするもので、船元Ⅳ式の胴部片と考えられる(間壁・間壁1971)。一片のみであるが、Fig. 83―1099 もこの群に含められるものかも知れない。
条痕や沈線文を特徴とするもの。かなり多様な内容を含み、これらを一括してよいものか定かでないが、船元式や里木Ⅱ式とすることのできないもので、里木貝塚の報告において里木Ⅲ式とされたものに相当すると考えられる(間壁・間壁1971)。各区から少量づつ出土している。
(1)10~13 区(Fig. 72、Pl. 24b:954~959)
954 は粗雑なつくりの土器で、器表面にケズリ状の痕跡が顕著に残され、太めの沈線が加えられている。口縁上面は平坦に作り出されている。956 は目の細かい条痕地上に刺突文が加えられる。
(2)1~5 区(Fig. 76、Pl. 24b:1019~1021)
いずれも白みがかった明るい色調を呈する。1019 は交互刺突文をもつ口縁部片。里木Ⅱ式の可能性もあると思うが、口縁部下にはわずかに縦位の沈線文が観察され、撚糸文は認められない。1020、1021 は沈線文の施される破片で、表面はやや磨滅しているが、わずかに条痕が認められる。
(3)6~9 区(Fig. 82、Pl. 25:1085~1093)
かなり多様な内容のものを含む。1085 は強く内屈した口縁部に、左下りの細線を施す。薄く条痕が観察される。1086 は外面に沈線が施されるもの。赤みをおびた色調で、口縁上には刺突を伴う。1087 は口縁部を外側にやや厚く作り、まばらに角ばった刺突が加えられる。1088 は口縁外面に刺突列を配する。黒色を呈する硬質な焼き上がりの土器で、にぶい光沢をおびている。
1091 は、外面に細めの沈線によって渦巻文が描かれる。内面には顕著に条痕が残る。1093 は厚手の土器で橙色を呈し、内外面に部分的に条痕が観察される。
960 は東日本系の土器と見られるもので、直接接合しないが、同一個体に属する破片がふたつある。口縁部、胴部に隆帯によって囲まれた区画文を配し、区画内には沈線が充填される。やや赤みをおびた色調を呈するが、胎土は在地のものとみて差し支えない。この土器は、今回第8 群とした951、952 とともに、かつて鎌木義昌らによって、福田C 式として提示されたものである(鎌木・高橋1965)。
胴部破片と底部を一括して記載する。これらはどの群に伴うものか明確に指摘することができないが、多くは第7、8 群に伴うものと考えられる。底部は平底を基本とし、やや上げ底気味に作られたものも多い。
(1)10~13 区(Fig. 72、73:961~981)
981 は外面に縦方向の条痕がつけられた平底で、第10 群の底部であろうか。底部内面中央部には刺突状の圧痕が見られる。
(2)1~5 区(Fig. 76、77:1022~1045)
1022~1033 は第7 群の胴部と考えられる。1033 の縄文は無節R。内面には縦位の擦痕が顕著に残る。1034、1035 は内外面に条痕が観察されるもので、第10 群の胴部片か。
(3)6~9 区(Fig. 83、84:1094~1116)
1099 は、縄文の特徴から第9 群の胴部破片の可能性がある。6 区では、1100~1106 のように条痕のつけられた胴部片も多く、第10 群に属するものとみられる。1107 は底面にも縄文(RL)が施される。
第12~15 群に分類した。第15 群は、装飾をもたない無文土器を一括したもので、後期土器の7 割を占める。これを除いた有文土器について見ると、主体となるのは第13 群で、第12 群がこれに次ぎ、第14 群はごく少量である。底部については、各群に伴うものを識別することができないが、小型の上げ底が主体となっており、鉢や浅鉢などでは丸底となるものもある。中期土器に似て、10、11 区、1~5 区など、台地の内側に寄った部分から多く出土している。出土状況を考慮して、(1)10、11 区、(2)1、5 区、(3)2、3 区、(4)6~9 区、(5)4 区の順に掲載する。
厚く作り出された口縁部に、直線、斜線など、幾何学的な文様を施した縁帯文土器や、太めの沈線によって縁取られた磨消縄文土器を特徴とする一群で、彦崎K1 式に相当する。10、11 区から多く出土しており、後述する第13 群とは分布がずれている。A~E 類に分類して報告する。
A 類:いわゆる縁帯文土器で、幾何学的な沈線文、櫛歯状工具による条線文、直線的な磨消縄文を特徴とする。
B 類:口縁部に一条の沈線を加え、沈線に沿って縄文が施される。波頂部では内外面に沈線をめぐらせて文様集約部を形成している。厚手の土器であり、周防灘、豊後水道地域に分布する平城式と関連をもつものである。
C 類:太めの沈線によって縁取られた磨消縄文を特徴とする一群。浅鉢や鉢など浅い器形を主とし、内外面とも無文部はよく研磨され、滑沢をおびたものが多い。赤彩を施したもの、口縁に小突起を付したものも見られる。磨消縄文や橋状把手など、九州の鐘崎式の影響を認めることができる。
D 類:縄文以外に顕著な施文をみない一群。
E 類:胴部が強く膨らむもので、壷または注口土器と考えられる。
(1)10・11 区(Fig. 85~90、Pl. 26b、27―30、31a:1117~1173)
A 類(縁帯文系)(1117~1146)
1117 はいくつかの断片からなる個体であるが、何とか概形を窺い知ることのできるものである。口縁は大きく波打つ山の高い波状口縁をなし、以下、直線的に外反する頚部から丸くふくらむ胴部に続く。頚部と胴部の境には屈曲部が形成され、特に、内面には明瞭な稜線が見られる。口縁部は厚く、断面三角形をなし、平坦に作り出された口縁上面には条線が施される。この条線は、波頂部付近では斜位に密接して加えられ、文様集約部を形作っている。また、頚・胴部にも同一の工具による垂下条線が施される。この条線は三条程度が単位となるものとみられる。調整について見ると、外面では横方向の巻貝条痕ののちに、不徹底なナデが加えられており、内面ではナデを基調として一部にケズリ痕が観察される。また、頚部外面や胴部内面下半など一部にはミガキが加えられている。全体に、外面に比して内面は平滑に調整されている。1118 は口径の大きな平縁の深鉢。口縁上面には、一端が深く、もう一端が浅くなる短斜沈線を組み合わせた複合鋸歯文が施される。頚部から胴部にかけて強くくびれ、この部分に沈線が一条めぐらされる。胴部以下は直接接合しないが、並行沈線によって三角形状の区画文が描かれる同一個体片がある。胎土中には黒雲母が目立つ。1119~1122 は口縁外面に文様をもつもの。1121 は二条の沈線間に縄文と矢羽根状の細線が施される。1123~1132 は口縁上面、内面に文様帯をもつもので、1125、1127、1128 は頚部に垂下条線が加えられる。1132 は、口縁部は無文のまま残されるが、頚胴部間に段をもち、胴部には細線が施される。1133、1134は口縁部を外側に厚く作るもので、1133 はこの部分に条線が加えられる。1134 は頚部に浅い沈線によって渦状の文様が描かれるようである。1135、1136 は口縁端を欠損するが、口縁内面に肥厚帯をもつ類と見られる。断面の形状からみて、1135 は浅鉢になるかも知れない。1137~1146 はA 類の胴部片。やや太めの沈線(1140)や、細い条線(1138、1139)、蛇行文(1145)などのバリエーションを認めることができる。
B 類(平城系)(1147、1148)
1147 は、A 類に比して厚手で大型の深鉢。ゆるやかな波状口縁をなし、波頂部には沈線が絡みついて小突起を形作っている。口縁端部は外側にわずかに厚く、この部分に沈線と縄文が施される。胴部は直接接合しないが、直線的な頚部から、屈曲をもって丸くふくらむ無文の胴部に続くようである。1148 は厚手の胴部片で、下端に沈線が痕跡的に残る。小片なので判然としないが、B 類の胴部と考えられる。
C 類(鐘崎系)(1149~1167)
1149 は鐘崎式に酷似した橋状把手をもつ破片で、口縁部にはわらび手状の沈線が見られる。表面は摩滅しているが、縄文は施されていないようである。1150、1151 は、口縁上に沈線の絡みつく小突起が付されるもの。1150 には赤彩が施される。1152、1160 にも同種の小突起があったようであるが、欠損している。1153 は口縁が短く外反し、胴部のふくらむ鉢形。1159は、小片で判然としないが、内面に施文をもつものと判断した。1167 はこの種の土器としてはやや器壁が厚く、沈線は太く、あるいはB 類の胴部となるかも知れない。
D 類(縄文系)(1168~1171)
1168、1169 は口縁端を外側に厚く作り出し、縄文を施す。口縁端から内面にかけては丸みをもって移行する。1170、1171 はいわゆるベタ縄文の破片で、縄文原体(RL)を縦横に回転させることによって、縄文を羽状にあしらったもの。
E 類(注口土器、壷)(1172、1173)
いずれも断片であるが、注口土器あるいは壷と考えられる。1172 は破片上端に沈線が痕跡的に残る。1173 は頚部から胴部にかけての破片で、外面はよく研磨され、光沢をおびている。
(2)1・5 区(Fig. 98、Pl. 29a:1300~1307)
1300~1302 はA 類の口縁部。1301 は分厚い縁帯部に複合鋸歯文を施すもので、この種の土器の中ではやや特異な印象を受ける。1302 は口縁外面に横位の沈線をめぐらせ、これに沿って縦の短沈線が加えられる。1307 は口縁外面に幅狭く縄文が施されており、C 類またはD 類の口縁部であろう。
(3)2・3 区(Fig. 108:1466~1469)
1466~1468 はA 類で、1466 は波頂部下に貫通孔をもつ。1469 はD 類の口縁部と見られる。
(4)6~9 区(Fig. 111:1525)
1525 はA 類の口縁部で、胎土中には黒雲母が目立つ。
細い沈線、幅の狭い縄文帯、結節縄文や絡げ縄などを特徴とする薄手の土器で、彦崎K2 式に相当する。1、5、10 区から多く出土している。多様な器種構成に特徴があり、ここでは器種によって分類した上で、器形、文様による細分類を行うこととした。ただし、小片では深鉢と鉢の区別などに不明瞭な部分も残され、特に胴部片では器種を特定することが困難なものも少なくない。この点について、あらかじめお断りしておきたい。
深鉢
A 類:内湾口縁の深鉢で、口縁部に幅広い文様帯をもつ。B 類に比して山の高い波状口縁となるものが多い。
B 類:口頚部が直線的に外反する形態を示し、口縁部と胴部に縄文がつけられる。しばしば口縁内面にも縄文や沈線が施される。口縁の形態は、平縁かわずかに波状をなす。
鉢
口径に比して器高の低い形態で、丸い胴部に短く外反する口頚部が取り付けられる。深鉢
B 類に似て、口縁部と胴部に縄文が施される。底部は丸底となるようである。
浅鉢
A 類:口縁部が内湾する、 形の浅鉢。外面に文様が施される。
B 類:口縁部が直線的に外反する皿形の浅鉢で、口縁内面に文様をもつ。
注口・壷
胴部のふくらむ形態をとる精製の土器で、注口あるいは壷と考えられるもの。
(1)10・11 区(Fig. 90~92、Pl. 32、34、35b、36:1174~1200)
深鉢(1174~1193)
1174~1176 は深鉢A 類。1177~1179 は深鉢B 類で、1177 は器形を推測することのできる個体である。口縁部はやや厚く作られ、外面には目の細かな縄文が施される。内面に施文は見られない。頚・胴部の境は沈線をもって画され、無文部には幅の狭いミガキ痕が顕著に残る。1178、1179 は口縁内面に沈線と縄文が施されるタイプで、1179 は平坦につくられた口縁上面にも縄文がつけられている。1181~1193 は深鉢あるいは鉢の胴部片と考えられるもので、1181、1184 などは口縁に近い部分の破片かも知れない。1181 は細い沈線によって蛇行文が描かれる。1187 は磨研の著しい薄手の土器で、やや摩滅しているが弧状の磨消縄文が観察される。1190~1192 は注口土器の可能性もある小破片で、1191、1192 は沈線内に刺突が施されている。1193 の縄文は異節縄文とみられるものである(Pl. 49s)。
鉢(1194~1196)
1194 は、口縁内面に刺突をともなう沈線と、結節縄文をもつ。1195 には結節縄文が見られる。1196 は粗雑なつくりの土器で、口縁内面にも縄文が施される。丸底になるものと考えられる。
浅鉢(1197~1200)
すべて 形をなす浅鉢A 類である。1197 の縄文はRL。1198 には絡げ縄末端の回転によるとみられる、弧状の圧痕の繰り返しが認められる。1199 は口縁上面に縄文(LR)が施される。1200 はよく磨かれた精製の浅鉢で、縄文は二条おきに細い条があらわれる特徴がある。
(2)1・5 区(Fig. 98~101、Pl. 31b、32b、33、34a、36、37a:1308~1354)
深鉢(1308~1342)
1308~1323 は深鉢A 類、1324~1333 は深鉢B 類。1308 は口縁に沿って押引沈線文がめぐらされ、縄文がつけられている。1311 は強く湾曲した口縁部に結節縄文を施すもの(Pl. 49p)。口縁内面には稜線が形成される。1313 は先端の尖る波頂部の破片。1317 は、縄文地上にやや太めの沈線を3 条施し、沈線間の縄文を磨り消したもの。この縄文は絡げ縄を用いたものと見られる(Pl. 49:g)。また、1320 には複節縄文、1323 には巻貝の回転による擬似縄文がつけられている。1323 は注口土器かも知れない。1324 は口縁部外面に縄文を施し、下端を細沈線によって画する。第13 群としてはやや厚手の土器である。1325 は口縁端を外側に引き出し、押圧を加えたもの。口縁内面には縄文が施される。1327 は口縁部から胴部まで図上で復元しうる個体で、やや外削ぎ状に作り出された口縁部に縄文を施し、胴部にも縄文が加えられている。判然としないが、この縄文は異節縄文と考えられるものである。また、口縁の残存部分の形状から見て、この個体の口縁上面観は隅丸方形気味になるものと思われる。1328~1333 は口縁内面に縄文と沈線が施されるタイプである。1334~1342 は深鉢A・B 類の胴部と考えられるものである。1337 は複節縄文、1342 は巻貝擬似縄文である。
浅鉢(1343~1349)
1343~1346 は 形の浅鉢A 類。1343 は細い条線をもつもので、第13 群としては特異なものである。1344 の縄文は無節L。1347~1349 は皿形の浅鉢B 類で、口縁内面に縄文あるいは結節縄文がめぐる。1348、1349 は色調が異なるが、同一個体の可能性がある。
注口土器(1350~1354)
1350 は、ノの字状隆帯と二枚貝によると見られる細かな刻み目、細い沈線によって縁取られた巻貝擬似縄文を特徴とする破片で、胴部がくの字状に屈曲する大型の注口土器になるものとみられる。黒味の強い色調であるが、わずかに赤彩が残る。1351 は沈線間にD 字状の刺突文が施されるもの。1353 は沈線と刺突が施されるもので、無文部はよく研磨されている。1352、1353 は浅鉢等の可能性もある。1354 は注口部の破片。
(3)2・3 区(Fig. 108、Pl. 33、35b、36:1470~1484)
1470~1473 は深鉢A 類、1474~1479 は深鉢B 類。1479 は外面に広く縄文が施されるもので、朝顔形の器形になるかもしれない。1480~1482 は深鉢あるいは鉢の胴部破片と考えられる。1481 には、絡げ縄末端の回転によるとみられるU 字状の圧痕が連続的に見られる。1483 は口縁部と胴部に細かな縄文が施される丸底の鉢。無文部はよく研磨されており、精良なつくりである。1484 は内湾口縁の浅鉢。口縁部下で屈曲する器形となるようである。
(4)6~9 区(Fig. 111:1526)
浅鉢A 類の口縁と見られるもので、白っぽい色調を呈する。
出土量は少ないが、6 区からややまとまって出土しており、11 区1 層からも1 片出土している。縄文に替わって、沈線間に刻線や巻貝擬似縄文が加えられるもので、このような一群は彦崎K2式に含められることもあるが、彦崎貝塚では、彦崎K2 式とは出土地点を違えている。狭義の竹原式に相当するもので、近畿の元住吉山Ⅰ式にあたる。
(1)10・11 区(Fig. 91、Pl. 37b、38a:1180)
1180 は、口縁内面に細沈線と刻線文が施される小片。11 区1 層出土。
(4)6~9 区(Fig. 111、Pl. 37b、38:1527~1533)
1527、1528 は口縁部に横走沈線がめぐる。1529、1530 は口縁部が内屈する形態のもので、1530 は口縁部内面に弱く稜線が形成されている。1531 は連弧文の描かれた胴部片で、巻貝擬似縄文が充填されている。1532、1533 は胴部の小片であるが、第14 群に属するものではないかと思われる。
装飾をもたない無文土器で、条痕、ナデ、ケズリ、ミガキなどの調整痕が認められる。本来は第12、13、14 群のそれぞれに伴って、組成の一部をなすものであるが、個別に帰属時期を特定できないので、便宜的に一括して第15 群とした。ここでは、この無文土器総体について、器形によって深鉢・浅鉢に分類し、さらに口縁の形状によって細分類を試みた。こうした無文土器各類と有文土器との対応関係については、別項で改めて検討を加えることにする。
深鉢
深鉢は口頚部が外反する形態のもので占められ、内湾口縁のものは稀である。完形に復元できるものがないので、全体的な器形は不明瞭であるが、頚部でくびれるものが一般的で、くびれの強いもの、弱いものが認められる。また、器面調整については、条痕、ナデ、ケズリ、ミガキなどが、多くの場合併用されており、部位によっても調整手法、調整の状態は異なっている。基本的な傾向として、内面や外面胴部上半は横位、下半は縦位~斜位に調整されることが多く、一般に内面はナデ、ミガキによって、外面よりも平滑に調整されている。なお、条痕調整は巻貝によると見られるものが圧倒的多数で、ごく少量、二枚貝を用いたと考えられるものがある。小片が多いので、分類にあたっては口縁部の形状を重視し、以下のA~D の4 類に区分したが、実際の分類にあたっては、どの類に含めるか判断に迷うものも少なからず存在した。したがって、この分類も、厳密に見るといろいろと問題があるが、形態上のバリエーションをある程度定量的に示すために、敢えて分類を試みた(Fig. 164)。
A類(厚端口縁):口縁を厚く作るもので、口縁端の形状によって二者に区分することができる。
A1:口縁が外側に厚く作られ、縁帯状を呈するもの。
A2:口縁を内側に厚く作るもの。
B 類(尖端口縁):口縁端部を尖り気味に作り出すもの。
C 類(円端口縁):口縁端部を丸くおさめるもの。
D 類(角端口縁):口縁端部を平坦に作るもの。
浅鉢
浅鉢では、深鉢に比してミガキが多用され、概して丁寧なつくりのものが多い。浅鉢には、基本的な形態として、口縁が内湾する 形のものと、直線的に開く皿形のものがあり、量的には前者が主体を占めている。したがって、ここでは、特に前者の 形浅鉢について、先の深鉢での分類を援用して、A~D 類に分類した(Fig. 164)。
碗形浅鉢("碗"わんは土へんです。)
A 類(厚端口縁):口縁を内側に突出させたもの。
B 類(尖端口縁):口縁端部を尖り気味に作るもの。
C 類(円端口縁):口縁端部を丸くおさめるもの。
D 類(角端口縁):口縁端部を平坦に作るもの。
皿形浅鉢
(1)10・11 区(Fig. 93~97:1201~1292)
10、11 区出土の無文土器口縁部のうち、ごく小片であった10 区出土の深鉢9 点、浅鉢8 点を除いた92 点について図示した。浅鉢には口径が20cm を超える大きなものが目立つ。
深鉢(1201~1248)
A1 類(1201~1204)
A2 類(1205~1204)
B 類(1207~1222)
C 類(1223~1230)
D 類(1231~1248)
浅鉢(1249~1292)
碗形浅鉢(1249~1288)(*"碗"わんは土へんです。)
A 類(1249~1252)
B 類(1253~1268)
C 類(1269~1282)
D 類(1283~1288)
皿形浅鉢(1289~1292)
(2)1・5 区(Fig. 102~106:1355~1453)
1、5 区出土の無文土器口縁部のうち、1 区出土の2 点、5 区出土の8 点を除いた99 点について図示した。
深鉢(1355~1407)
A1 類(1355~1357)
A2 類(1358)
B 類(1359~1379)
C 類(1380~1383)
D 類(1384~1407)
浅鉢(1408~1453)
碗形浅鉢(1408~1439)(*"碗"わんは土へんです。)
B 類(1408~1418)
C 類(1419~1422)
D 類(1423~1439)
皿形浅鉢(1440~1453)
(3)2・3 区(Fig. 109、110:1485~1522)
3区出土の無文土器口縁部のうち、深鉢の口縁部小片3 点を除いた深鉢21 点、浅鉢16 点について図示した。1506 は無文深鉢の胴部片と考えられるもので、補修孔が見られる。
深鉢(1485~1505)
A2 類(1485)
32B 類(1486~1495)
C 類(1496~1497)
D 類(1498~1505)
浅鉢(1507~1522)
碗形浅鉢(1507~1519)(*"碗"わんは土へんです。)
B 類(1507~1509)
C 類(1520~1514)
D 類(1515~1519)
皿形浅鉢(1520~1522)
(4)6~9 区(Fig. 111:1534~1541)
深鉢(1534~1535)
浅鉢(1536~1541)
(5)4 区(Fig. 112:1543~1549)
深鉢(1543~1545)
浅鉢(1546~1549)
後期に属する底部を一括して記載する。底部についても、各群に伴うものを識別することができないが、全体として小型の上げ底を主体する。これらの底部は、主として深鉢に伴うものと考えられる。
(1)10・11 区(Fig. 97:1293~1299)
小型の凹底を主体とする。1294 は底部の円盤を欠損するが、径の大きな底部になるものとみられ、外面には縦方向の幅の狭いミガキ痕が顕著。1295 は底面中央にヘソ状の窪みがある。1297 は底部内面の立ち上がり部分に屈曲部が見られる。1298、1299 は平底である。
(2)1・5 区(Fig. 107:1454~1465)
小型の凹底を主体とする。1454~1458 のように、底面中央部にヘソ状の窪みをもつものが目立つ。
(3)2・3 区(Fig. 110:1523、1524)
1524 は分厚い粘土板よりなっており、丸底に近い形態になるものと思われる。内面は平滑に調整されているが、外面の調整は粗雑である。
(4)6~9 区(Fig. 111:1542)
彦崎貝塚資料中には、晩期に属するとみられる資料がごく少量あり、これを第16 群とする。
1550、1551 は深鉢と見られる破片で、口縁上面に連続的に押圧を加えたもの。1552 は浅鉢の破片かと思われる。1553 は屈曲部をもつ胴部破片であるが、第13 群(彦崎K2 式)の可能性もある。
1554~1571 は人骨に付帯する形で保管されていた資料である。人骨番号は(遠藤・遠藤1979)による。なお、この人骨番号と、池葉須による報告(池葉須1971)の人骨番号とは完全に一致するわけではない。
UMUT―AP―HB―130116、130117、130118(1―3 号)(1554~1561)
197 点の土器片があり、大部分は前期の土器片である。口縁部6 点と底部2 点が含まれ、これらはすべて図示した。この他に貝輪が3 点(3052、3053、3068)ある。1554 は第3 群A 類の胴部片。1555~1559 は無文口縁部片で、第3 群に属するものと考えられるが、1555 は第2群かも知れない。1560 は第3 群の底部。1561 は中期土器の底部であり、5 区2 層および試掘区出土と見られる破片と接合関係にある。
UMUT―AP―HB―130119(4 号)
図示できるものがないが、12 片の土器片があり、すべて前期に属する。
UMUT―AP―HB―130120(5 号)(1562~1564)
9 片の破片があり、すべて前期の土器片である。この他に石匙2 点(2033、2034)がある。1562 は口縁部に特殊突帯文を楕円形にめぐらせた小突起をもつ。1564 は突帯上を指でつまんで押しつけているようで、断面形は三角形をなしている。
UMUT―AP―HB―130121(6 号)(1565)
37 片の破片があり、1 片のみ後晩期の無文破片を含むが、他はすべて前期の土器片である。この他に釣針1 点(3004)がある。1565 は第3 群の無文土器口縁部の破片。
UMUT―AP―HB―130123~130125(8・9・10 号)(1566)
15 片の土器片があり、すべて前期に属する。1566 は第2 群A 類の口縁部片。
UMUT―AP―HB―130127(12 号)
図示できるものがないが、5 点の土器片があり、すべて前期のものである。
UMUT―AP―HB―130128(13 号)(1567)
3 点の破片があり、すべて前期の土器片である。1567 は第2 群または第3 群の無文土器の口縁部破片とみられる。
UMUT―AP―HB―130129(14 号)(1568)
25 点の土器片があり、すべて前期のものである。この他に貝輪2 点(3048、3071)がある。1568 は第3 群A 類の胴部片。
16 号(1569)
33 点の破片があり、1569 を含め2 点のみ後・晩期の無文破片が認められるが、他はすべて前期の土器片である。これらの土器片は、平箱資料中に含まれていたもので、「16 号人骨付近」と書かれたラベルが添付されていた。(遠藤・遠藤1979)において16 号とされるのは、UMUT―AP―HB―130130 であるが、これらの資料がそのまま、この16 号人骨に対応するものかどうかは不明である。
UMUT―AP―HB―130131(17 号)(1570)
1 点のみ前期の土器片があり、1570 は第3 群A 類の胴部片である。
UMUT―AP―HB―130132(18 号)
図示できないが、前期の土器片が1 点ある。
UMUT―AP―HB―130133(19 号)
図示できないが、2 点の破片があり、すべて前期に属する。
UMUT―AP―HB―130134(20 号)
図示できないが、前期の破片が1 点のみある。
UMUT―AP―HB―130136(22 号)(1571)12 点の破片があり、すべて前期のものである。
以下では、出土区の不明確な資料、および1~13 区までの区画とは地点の離れている14 区の資料について記載する。
1572~1613 は後期の土器片を主体とするもので、酒詰による試掘区出土資料の可能性がある。
1572~1574 は前期の第3 群、1575~1578 は中期の破片。1579 は第12 群C 類の破片とみられる。
1580~1583 は第13 群に属するものであろう。1584~1610 は第15 群で、1584~1600 は深鉢、
1600~1610 は浅鉢。1611~1613 は後期の底部である。
14 区では縄文土器の出土量は少ないが、図示しうるものとして、前期の第2 群(1614、1615)と後期あるいは晩期の小片(1616~1619)がある。1616~1617 は後期の破片と見られるが、1618~1619 は晩期に属する可能性がある。
1620、1621 は不明ピットの出土であるが、6、9 区にも同一個体片が見られる。
出土区を推測できない資料で、いずれも前期の第3 群に属すると見られる破片である。
4.7 土製品(つづきへ)