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東京大学総合研究博物館動物部門所蔵ウミトサカ類標本

今原幸光

(財) 黒潮生物研究財団 黒潮生物研究所 和歌山研究室

日本産ウミトサカ類の分類学的研究略史

 日本産ウミトサカ類 (刺胞動物門・花虫綱・八放サンゴ亜綱) の分類学的研究は、これまでの文献調査の結果からは、L.アガシーの助手であり米国の北太平洋探検航海でナチュラリストを務めたスティンプソンが、鹿児島湾から採集したウミキノコ属 Sarcophytonの一種を自ら新種記載したことに始まった (Stimpson, 1855)。次いで、ドイツ人動物学者のデーデルライン*5がヨーロッパに送った標本の中から、ベルン大学 (スイス) のスツダー*6が4新種を含むトゲトサカ属Dendronephthya 6種を発表した (Studer, 1888)。その後も、英ダブリン大学のライト (Edward Perceval Wright) と前述のスツダーが共著で英国世界周航探検船チャレンジャー号のコレクション*7の中から、20新種を含む28種のウミトサカ類を報告したり (Wright & Studer, 1889)、デーデルラインの弟子の1人であるドフライン*8の収集標本から20新種を含む33種を発表したキュケンタール*9らの外国人による研究が続いた (Kukenthal, 1906)。1906年には、米水産局の調査船アルバトロス号が日本周海調査航海を行い、膨大な数量の海産生物を採集したが、ウミトサカ類についてはアイオワ大学のナッチング (Charles C. Nutting) が35新種を含む102種を報告した (Nutting, 1912)。1909年 (明治42年) になり、東京大学動物学教室を卒業していた木下熊雄が、日本人として始めてサガミコエダTelesto sagamina、クダコエダT. tubulosa、ベニコエダParatelesto roseaの3新種を含むコエダ類4種の記載を行い (Kinoshita, 1909)、日本人による研究が始まった*10。その後、木下の後輩の大久保忠春がアミゴケSarcodictyon gotoiを新種記載したが (Okubo, 1929)、大久保の研究はこの論文以外には見当たらない。1937年 (昭和12年) になり、パラオ熱帯生物研究所滞在中に八放サンゴの多様性に興味をもつようになった京都大学の内海冨士夫が、チガイウミアザミHeteroxenia elisabethae についての論文を発表したのを皮切りに (Hiro, 1937)、1977年までに延べ50篇に及ぶ日本産八放サンゴに関する論文を発表した。これらの中で内海は、既知種の整理を進めると共に42新種を記載し、日本産ウミトサカ類の分類学を大きく進めた。この時代には、北海道大学の山田真弓と内田亨がベニウミショウロ属Metalcyonium 2新種の論文を発表し (Yamada, 1950; Uchida, 1969)、横浜国立大学の鈴木博もハナゴケ属Cornulariaに関する論文を発表しているが (Suzuki, 1971)、何れもその後の継続は見られなかった。1973年より今原の研究が始まり (Utinomi & Imahara, 1973; Imahara, 1977, 1991, 2006 等)、現在に至っている。

 なお、ライデンにあるオランダ国立自然史博物館には、シーボルトが日本から持ち帰ったタマノウトサカCladiella sphaerophoraの標本が保管されている (今原, 1999)。また、イェール大学ピーボディ自然史博物館にはモースの持ち帰った八放サンゴ類標本が保管されているが (今原, 2007)、これらの標本の存在はごく最近まで知られていなかった。

注釈

*5 デーデルライン (Ludwig H. P. Doderlein) は、東京医学校 (東京大学医学部の前身) 第3代目博物学教師として来日していたドイツ人海洋動物学者で、棘皮動物の分類学が専門であった。来日中には、相模湾産の深海動物を中心に、さまざまな分類群の動物標本を本国の専門家に送り、日本産海洋動物相の解明に大きく寄与した。

*6 スツダー (Theophil Studer) は、1874年から3年間をかけてドイツが行ったガゼーラ号による世界探検航海に乗船したベルン大学教授で、ウミトサカ類のほか甲殻類や棘皮動物についての論文も残している。

*7 チャレンジャー号のコレクションは、英国海軍哨戒艦チャレンジャー8世号が、1873年から3年半をかけて行った世界周航探検航海の採集標本である。1875年には横浜港に入港していて、その前後に房総半島沖から紀伊半島沖及び瀬戸内海で調査を行った。

*8 ドフライン (Franz Doflein) は、ドイツ領下であったシュトラスブール (現フランス領) でデーデルラインに学び、その後ミュンヘン動物学博物館勤務中に標本収集のために来日した。ミュンヘン動物学博物館の後ブレスラウ大学 (現ポーランドのブロツワフ) に移り、附属動物学博物館では、次のキュケンタールの後任館長を勤めた。

*9 キュケンタール (Willy Georg Kukenthal) は、反復説を唱えたヘッケルから動物学を学んだ後、それまでに報告されていたウミトサカ類、ヤギ類、ウミエラ類の全種について再検討を行い、八放サンゴの近代分類学の礎を築いた。イェーナ大学とブレスラウ大学で動物学教授を務めるとともに、ブレスラウ大学動物学博物館とフンボルト大学自然史博物館 (ベルリン自然史博物館) で館長を務めた。

*10 八放サンゴ亜綱全体については、1902年にダメサンゴParacorallium inutileを新種記載した岸上鎌吉の論文が日本人で最初の研究であった (Kishinouye, 1902)。

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