江戸時代における加賀藩前田家上屋敷(本郷邸)の様子を示した屋敷図については、すでに『東京大学埋蔵文化財調査室発掘調査報告書4 第3分冊考察編』(東京大学埋蔵文化財調査室、一九九〇)の中で分析が行われている。我々は屋敷図を通して江戸時代中〜後期における本郷邸の平面構成についてはあらかたのことを知ることができる。しかし、残念なことに藩邸内の建築の立面に関する情報、すなわちどのような外観の建物がならんでいたかということを教えてくれる図面は伝わっていない。また明治元(一八六八)年の火災で御殿など主要建物の大半を焼失してしまったために、往時の様子を伝える古写真の存在も絶望的である。そのような状況の中で、江戸後期から明治にかけて制作された彩色木版画=錦絵は、加賀藩邸の外観を偲ぶ上で貴重な手掛かりを与えてくれる。従来の加賀藩上屋敷の建築に関する研究で中心として使用されてきたのは屋敷図である。史料としての信頼性を考えれば当然のことであるが、屋敷図に欠落している立面=外観についての情報を補う上で錦絵は有効活用されるべきであろう。限られた時間の中で、なるべく多くの錦絵を収集するよう努めた結果、錦絵に類する絵画作品も併せて一八種類の存在が明らかとなった。
表1・2に挙げたのは今回の調査で存在が確認できた絵画作品である。表1は錦絵で、制作時期別にみると、江戸後期のものが八種、明治初期のものが二種、明治中期に懐古的に描いたものが三種(『徳川盛世録』挿図を含む)である。表2には本郷邸を描いた泥絵を挙げた。泥絵とは江戸後期に西洋の油絵に似せて顔料を胡粉と混ぜて描いた量産品の絵画で、おもに土産物として売られていたものをいう。本郷邸を描いたものは三点を確認した。なお、ここでは割愛したが一七世紀半ば頃の本郷邸(当時下屋敷)が国立歴史民俗博物館蔵『江戸図屏風』の中に描かれている。
表に挙げた作品について全体的な特徴を述べると以下の通りである。
|
一、邸内を描いたものはなく、屋敷外から描いたものである
二、本郷通り側(西面)を描いたものが圧倒的に多く、春日通り側(南面)を描いたものは一枚のみである
三、本郷通り側を描いたもの全てに赤門が描かれる
四、描かれた時代は全て文政一〇(一八二七)年の溶姫御殿(御住居)造営以降である
|
また、屋敷図との比較検討の結果、明治初期までの作品は比較的正確に同時代の本郷邸の景観をうつしているのに対して、明治中期になってから江戸時代の様子を懐古的に描いた三作品は明治初期頃の景観を元にして想像で失われた建築を補ったものらしく、景観描写の正確性は著しく下がる。今回確認した全ての作品について、作品名、作者、落款、版形/寸法、版元、出版年、所蔵者/所載図書、解説、の八項目を記す。時間の都合上、調査が間に合わなかった事項もあるので御了承願いたい。
■1
作品名:『(狂句合)本郷』 作者:歌川広重(初代) 落款:応需 廣重画 版形:大判横一枚 寸法:未確認 版元:藤岡屋慶次郎(藤慶)、川口正蔵(川正) 出版年:天保末年(一八四〇頃)[極] 所蔵者/所載図書:日本浮世絵博物館=『広重 江戸風景版画大聚成』一七二頁、所蔵者不詳=『ぶんきょうの歴史物語』表紙 解説:初代広重(寛政九〜安政五)は歌川豊広門。文化九(一八一二)年九月に歌川広重と号する。当図は本郷通りを行き交う人々を前景に配し、背景に加賀藩上屋敷を描く。空には旭日が輝き、二羽の鶴が飛んでいる。鈴木重三『広重』(日本経済新聞社、一九七〇、一四〇頁)の解説によると、初版には画面上部に「狂句合 本郷のみそは氷室とかうじ室」という文字があったが、狂句のうち「本郷」の文字のみを残した後摺があり、この方には太陽を半円形にかえたものがあるという。日本浮世絵博物館蔵版は「本郷」以外の文字を削除したもので、『ぶんきょうの歴史物語』所載版は旭日の下半分を雲で隠して半円形にしたもの。当初記されていた狂句の意味であるが、「氷室」は『東都歳時記』に将軍家に毎年六月一日に氷(雪)を献上したという話の伝わる加賀藩上屋敷の氷室をさし、「かうじ(麹)室」は本郷通りの大店・高崎屋のものをさしていると思われ、本郷の見所が加賀藩上屋敷と高崎屋であるということであろう。
■2
作品名:『東都本郷月之光景』 作者:歌川広重(初代) 落款:廣重画 版形:大判竪三枚続 寸法:未確認 版元:上州屋金蔵(上金、池ノ端仲丁通) 出版年:弘化二〜嘉永五(一八四七〜五二)年[『広重 江戸風景版画大聚成』による] 所蔵者/所載図書:東京都立中央図書館[東京誌料 0451-C18]、神奈川県立博物館、日本浮世絵博物館=『広重 江戸風景版画大聚成』一〇二頁 解説:資料5の解説頁参照。
■3
作品名:『絵本江戸土産』より「本郷通」 作者:歌川広重(初代) 落款:廣重画、印「一立斎」(巻末の挿絵にのみ落款があり、「本郷通」の図中にはなし) 版形:和綴小本、見開一頁 寸法:一八×一二センチ 版元:金華堂 出版年:嘉永三(一八五〇)年[初編序]〜 所蔵者/所載図書:東京大学総合図書館(全九編)[(絵本江戸土産)F30-605、(絵本東京土産)F30-502] 解説:資料6の解説頁参照。
■4
作品名:『江戸名所 本郷の景』 作者:歌川広重(初代) 落款:廣重画 版形:大判横一枚 寸法:二四・二×三五・二センチ[文京ふるさと歴史館] 版元:山田屋庄次郎(山田屋) 出版年:嘉永七(一八五四)年四月[改印] 所蔵者/所載図書:文京ふるさと歴史館、日本浮世絵博物館=『広重 江戸風景版画大聚成』 解説:駕籠に乗った女性など本郷通りを行き交う人々の姿を前景に配し、背景に加賀藩上屋敷を描く。『江戸名所』については鈴木重三『広重』(前掲、一三八頁)に解説がある。山田屋のほかに丸甚版・山口屋版もあり、嘉永六年から安政元年・安政五年にかけて出版、総数は四〇枚。折本仕立ての合綴にした『風流人物 東都名所続画全』にも「本郷の景」は収められるという。
■5
作品名:『東都三十六景 本郷通り』 作者:歌川広重(二代) 落款:廣重画 版形:大判竪一枚 寸法:三七・二×二四・五センチ[文京ふるさと歴史館] 版元: 下 谷相ト 出版年:文久二(一八六二)年六月[改印] 所蔵者/所載図書:東京都立中央図書館[東京誌料 0451-C21]、文京ふるさと歴史館 解説:資料7の解説頁参照。
■6
作品名:『江戸名所道外盡四十六 本郷御守殿前』 作者:歌川広景 落款:廣景画 版形:大判竪一枚 寸法:三四・六×二四・五センチ[文京ふるさと歴史館] 版元:辻岡屋 出版年:文久元(一八六一)年[改印] 所蔵者/所載図書:文京ふるさと歴史館、所蔵者不詳=『ぶんきょうの歴史物語』口絵 解説:歌川広景は初代広重門人、生没年不詳、作画期は安政〜慶応。『江戸名所道外盡(どうけづくし、道戯盡とも記す)』三一枚揃は代表作である。「本郷御守殿前」は本郷通りで肩車をしながら傘をさしたり、空いた俵をかぶったりして雨をしのぐ男達の様子をユーモラスに描いている。背景には御守殿の赤門・腰掛・土蔵などが描かれる。
■7
作品名:『加賀鳶行列図』(加賀鳶繰出の図) 作者:歌川豊国(二代) 落款:歌川豊國画 版形:大短冊横五枚続 寸法:各一七・〇×三八・〇センチ[演劇博物館] 版元:不詳 出版年:文政一〇〜天保六(一八二七〜三五)年 所蔵者/所載図書:早稲田大学演劇博物館(一・四・五の三枚)、所蔵者不詳(二〜五の四枚)=『加賀鳶と梯子登りのあゆみ』口絵、酒井睦雄氏(一〜五)=『江戸っ子』九号 解説:本郷通りを進む加賀鳶の行列の背後に、加賀藩上屋敷が描かれる。屋敷の様子のみでなく、加賀鳶の風俗を知る上でも重要な史料。三枚目右端に「売買不許」とあるので、頒布以外の目的で刷られたものか。資料4の解説頁も参照。
■8
作品名:『加賀鳶行列図』 作者:歌川豊国(二代) 落款:歌川豊國画 版形:不詳 寸法:不詳 版元:不詳 出版年:文政一〇〜天保六(一八二七〜三五)年 所蔵者/所載図書:所蔵者不詳=『加賀松雲公 上巻』 解説:『加賀松雲公 上巻』に不鮮明な白黒写真で紹介されているのを知るのみ。春日通りを進む加賀鳶の行列の背後に加賀藩上屋敷が描かれる。春日通り側を描いた錦絵は珍しく、延々と続く窓のない長屋(盲長屋)の姿は迫力がある。画風は7と酷似し、同一作者によるものであることは一見して明らかである。『加賀松雲公』には「一 豊国筆加賀鳶の行列 本図絵草紙の挿画に係る。画師歌川豊国は蓋し三世豊国(国貞)なり。旧幕中加賀鳶三隊あり。茲に描く所は其第二隊にして行列の背後。鬱生せるは麟祥院。腰瓦の厦屋は前田氏本郷の上邸なり。」という解説がつくが、作者は三世豊国(国貞)ではなく二世豊国であろう。また、「絵草紙の挿画」とあるが絵草紙(絵双紙)とは「江戸時代に大衆向きに刊行された絵を主体にした出版物で、多くは仮名書きの文章が添えられている。広義の絵双紙は(略)江戸時代の大衆向きの絵入本すべて包摂するようである(略)。一方狭義の絵双紙は、触売・読売ともいい、ニュース=グラフ的性格を持つ版画で、天災地異・戦争・敵討・情死など世間的関心をよぶ事件を絵にし、それに説明文をつけて一、二枚程度の小冊子としたもの(略)」[国史大辞典]であり、この図にも何らかの短文が添えられていた可能性はある。今のところ当初の出版形態を知るすべはないが7とは一対のものとして、同じ頃に作成されたものと思われる。
■9
作品名:『東都本郷光景』 作者:歌川豊国(三代) 落款:(左・中)香蝶楼豊國、(右)一陽斎豊國 版形:大判竪三枚続 寸法:三五・八×七四・五センチ[三枚共、文京ふるさと歴史館] 版元:藤岡屋慶次郎 出版年:弘化四(一八四八)年[改印] 所蔵者:文京ふるさと歴史館、三原堂(文京区本郷) 解説:文京ふるさと歴史館の解説によると背景は歌川国政(三代)によるもの。美人三人の背後に本郷邸を配する構図は広重の『東都本郷月之光景』に想を得たものと思われる。
■10
作品名:『江戸之花名勝会』 作者:歌川豊国(三代) 落款:未確認 版形:大判竪一枚 寸法:三五・五×二四・二センチ 版元:加藤屋正兵衛 出版年:文久三(一八六三)年一一月[改印] 所蔵者:文京ふるさと歴史館 解説:本郷六丁目と題して赤門付近を描く。三代豊国には本郷を扱った作品として他に『江戸名所図会十八 本郷 八百屋お七』(嘉永二〜三年頃、文京ふるさと歴史館・静岡県立中央図書館所蔵)がある。
■11
作品名:『東京名勝本郷之風景』 作者:歌川広重(三代) 落款:□□廣重画 版形:大判竪三枚続 寸法:三五・八×二四・八(左・右)、二四・五(中)センチ[文京ふるさと歴史館] 版元:海老屋林之助(堀江町二丁目) 出版年:明治元(一八六八)年一〇月[改印] 所蔵者:東京大学史料編纂所[原本0380-54]、文京ふるさと歴史館 解説:文京ふるさと歴史館蔵版はタイトルの「東京」の二文字が白く消されている。口絵3の解説頁参照。
■12
作品名:『江戸名所ノ内 本郷』 作者:歌川芳虎 落款:芳虎画 版形:大判竪(二枚続以上、三枚続か) 寸法:三五・五×二四・七センチ[文京ふるさと歴史館] 版元:〈与 出版年:明治初期 所蔵者/所載図書:文京ふるさと歴史館(一葉のみ)、所蔵者不詳=『ぶんきょうの歴史物語』口絵(二葉) 解説:歌川芳虎(生没年不詳)は大阪出身、国芳門、幕末〜明治に作画。『江戸名所ノ内 本郷』は前景に本郷通りを往来する人物の風俗を描き、背景には旧加賀藩上屋敷を描く。文明開化を感じさせるこうもり傘や馬車が描かれ、馬車に乗るスカートをはいた二人の女性は外国人のようである。内容的に明治初期のものと思われるが、背景にみえる本郷邸の表門・長屋・柵番所などは慶長四(一八六八)年の火災をくぐり抜けたものであろうか。11にもみえる赤門・物見所も描かれている。描写表現は稚拙であるが、明治初期の本郷邸の様子を知る上で貴重な史料。
■13
作品名:『盲長屋梅加賀鳶』 作者:歌川国政(四代) 落款:梅堂国政筆 版形:大判竪三枚続 寸法:三四・七×七〇・三センチ[三枚共、消防博物館] 版元:未確認 出版年:明治一九(一八八六)年 所蔵者:消防博物館(新宿区) 解説:五代目尾上菊五郎により明治一九(一八八六)年に千歳座で初演された河竹黙阿弥の代表作『盲長屋梅加賀鳶』を主題としたもの。菊五郎演じる主人公・梅吉のほか四名の役者を前景に描き、背景に本郷邸御守殿付近を描くが、赤門の屋根が入母屋造となるなど不正確である。
■14
作品名:『松之栄』 作者:歌川国貞(三代)落款:香朝樓国貞筆 版形:大判竪三枚続 寸法:三五・五×二三・四(右)、三四・五×二二・三(中)、三五・四×二三・五(左)センチ[文京ふるさと歴史館] 版元:尾関トヨ(日本橋区若松町十五番地) 出版年:明治二二(一八八九)年一一月 所蔵者:東京大学総合図書館、学士会、文京ふるさと歴史館、林順信氏 解説:13とは同一作者による。資料8の解説頁参照。
■15
作品名:「将軍の姫君登城途中の図」 作者:不詳 落款:なし 版形:和綴本、見開二頁 寸法:未確認 版元:博文社 出版年:明治二二(一八八九)年 所載図書(所蔵者):市岡正一『徳川盛世録』に掲載 解説:口絵2の解説頁参照。
■16
作品名:『泥絵(加賀藩江戸本邸)』 作者:不詳 落款:なし 寸法:三〇・七×四六・六センチ 版元:不詳 出版年:江戸後期(一八二七年以降) 所蔵者:石川県立歴史博物館 解説:本郷通りおよび加賀藩上屋敷(猿楽門以北)を描く。溶姫御住居建設以降の景観を示す。資料2の解説頁参照。
■17
作品名:『泥絵(本郷加賀屋敷の図)』 作者:不詳 落款:なし 寸法:未確認 版元:不詳 出版年:江戸後期(一八二七年以降) 所蔵者:文京ふるさと歴史館 解説:本郷通りおよび加賀藩上屋敷(大御門以北)を描く。溶姫御住居建設以降の景観を示す。資料3の解説頁参照。
■18
作品名:『泥絵(本郷松平加賀守上屋敷の図)』 作者:不詳 落款:なし 寸法:未確認 版元:不詳 出版年:江戸後期(一八二七年以降) 所載図書:大熊喜邦『泥絵と大名屋敷』所載 解説:本郷通りおよび加賀藩上屋敷(赤門以北)を描く。溶姫御住居建設以降の景観を示す。大熊喜邦『泥絵と大名屋敷』(一九三九、大塚巧藝社)より解説をそのまま引用する。「本郷松平加賀守上屋敷の図。加賀様の上屋敷と言へば直ぐに本郷の赤門と誰の頭にも浮かぶ程名高かった。西側は町屋が軒を並べ東側は二つの立派な門に連なって長屋はどこまでも続いてゐる。この二つの門は道から退って其の細長い広場は砂利敷になってゐた。この雄大なところを描いた版画もあるがこの泥絵も亦そこを狙ったものである。先に見えるのがこの上屋敷の表門で赤く大棟門のように描いてあるが、手前のが唐破風造り両放れ番所附の朱塗りの大棟門で御守殿とされてゐる門である。この二つの門の辺りは私の持ってゐる昔の図面と余り違ってはゐないから、昔の様子はこんなものであったのだろう。」。ただし、大熊氏の解説はあまり正確ではなく、赤門の奥に見える門は「表門」ではなく御守殿(御住居)の裏門であり、「長屋はどこまでも続いて」とあるが本郷通り側には表門左右の長屋(この図の範囲外)を除くと表長屋はなかった。