厚田雄春による厚田雄春
ユーマ
みなさん歩兵ですが、兵役ではぼくだけ特科隊で馬の世話をしていたもんだから、馬になぞらえて、小津さんはユーマさん、ユーマさんて呼んで下さいました。ぼくの名前はユーハルですがいつもとぼけたことばかりいってるんで、ユーモアまでは行かないけどユーマでいいやって。このユーマって名前には誇りを持ってますね。A p.42
落第
それまでは海城中学というところに行っていたんですが、映画ばかり見てましたから、三年の時に落第しちゃった。それで「お前は学校行っても駄目だから、外で働け」ってことになりました。A p.4
映画
まわりには、あまり活動の好きなのはいなかったですね。それに当時は今と違って厳格でしたからね。映画館なんて行くもんじゃない、目が悪くなってトラホームにかかるとか、ああいう不衛生なところに行くと肺病になるとか……。いやほんとですよ。学校でも、先生が、「映画が好きでよく行く奴はいるか」ってきくんで、こっちはうれしくなって「ハーイ」なんて手を上げると、それがぼく一人でね。あとで教員室に呼ばれて、「映画なんか行っちゃいかん」っておこられたものです。A p.9-10
厚田雄春十五年
世界でもたぶんこんなキャメラマンはいないでしょうね。初めっから終わりまで同じ監督なんてね。ですから助手が十五年ですか。茂原さんがキャメラマンだったときは、ずっと助手としてついていました。よく冗談に「桃栗三年柿八年、厚田雄春十五年」なんていってね。ぼくみたい十五年も助手やってた奴はいませんよ。A p.79
キャメラ番
ロケーションなんか行っても、自分はキャメラ番だっていってました。ええ、キャメラマンじゃあなく、キャメラバンだって。監督と茂原さんが打ち合わせで現場を離れることがよくありますよね。そんなとき、助手の私がじーっと番してるんです。大事な機械にもしものことがあっちゃあいけませんからね。この気持ちは、茂原さんがやめられて小津さんからキャメラをまかされてからも変わりません。だから、自分は小津監督のキャメラ番だっていつもいっているんです。A p.45
厚田雄春による小津安二郎
「赤」
ソフト帽とモダン・ガール
小津さんはソフト帽が似合いましたね。戦後は真夏のロケが多くなったから、あの有名な白いピケ帽に真白の麻のシャツになりましたけど、戦前、横浜にくり出すときなんかはシックな背広姿ですよ。背も高いし、それがモダン・ガールの伊達さんや雪ちゃん※1をつれて颯爽と歩いておられる姿は、いや、本当に絵になっていましたね。A p.56
テレ
ほんとうにはじめパッと目を合わすと、あわててそらすでしょう。あれはテレるのですね。ほんとうにどんな人に会っても、はじめて会うとヒョッとテレますよ。スッと目を下に向けるのですね。あれは奥さんがあればああいうことはしなかったかも知れない。やはりひとり者でしょう。お色気がありましたよ。B p.49
赤
昔から赤が好きだった。だから僕が「赤の色を好くやつは天才か気違いのどっちかですよ」といったら、「どっちだい、俺のは」と言っていたけれどもね。B p.51
小津組にて
笠さん
スタッフには照明係なんていないから、ロケで大きなレフをかつぐのはいつも助手ですよ。そんなときに助けてくれたのが笠智衆さんです。小津組のロケだよっていうと、手当のことなんか考えないでついてきて、いろんな仕事を手伝ってくれました。笠さんは当時〔『若き日』(1929年)〕大部屋の俳優だったんですが、スタッフ同様の働きをしてくれました。だから、小津組では笠さんとぼくが一番長いんです。A p.32
ヨーイハイ
小津組の場合、監督が「ヨーイハイ」とかけた場合、こっちで具合が悪いなと思っても絶対「ちょっと待って下さい」と言わせなかった。取り組んだらそのまんまグーッと押し切る訳です。ですから、俳優と監督がピタッと四つに組んだ瞬間を呑み込むコツがいります。C p.318-319
「小津組にて」 「乳母車」
ロー・アングル
小津さんのロー・アングルってのは、そこで長い芝居をさせるんじゃあなくて、寄ったり、引いたり、引っくり返したりして撮ったショットをつないでリズムを出してゆくわけです。だから、ひとつひとつの画面の長さってものが大事になる。A p.221ぼくの場合は、長いこと助手をやっていて、師匠の茂原さんから受け継いだだけですから、もう、小津さんが何を望んでおられるかは分かっていました。だからこっちから聞いたことはなかったですが、よく雑談的に「俺はねえ、人を見下げることはきらいなんだよ。俯瞰ていうと見下げるじゃないか」とはいっておられましたよ。「だから、いつも水平の上にいればいいんだ」と。A p.222
小津先生は、絵の描ける人だったからまず構図のことがあった。…僕が雑誌のさし絵を見ながら「先生みたいにロー・アングルから描くということは少ないものですね」と言ったら「そりゃ描きにくいよ。だから、そこにおれの位置があるんだ」と仰有ったことがあります。C p.308
畳
畳ってのは、長方形のやつを縦横直角に組み合わせて入れてあります。だから、ロー・アングルでねらうと、縦と横の目の違いがきわだっちゃう。ライトを上から強くあてたんじゃ、影が出てその違いが強調されてまずいので、低い横からのライトでそれを抑えていくわけです。縦と横の目の影が出たんじゃ構図がこわれてしまう。A p.220
ライティング
照明は全部まかせて下さいましたね。ライティングは、ぼく一人でやりました。これは助手時代から、デッサン用の石膏の像を買ってそれに懐中電灯をあてて照明を研究してたんです。A p.212
「ロケ」
乳母車
移動をしていてね、人物が同じサイズに入っていなければいけないのだが、後退移動をやるでしょう。それがなかなかうまくいかないのですよ。先生が「お前に乳母車を買ってやる」とおっしゃった。「なんですか」というと、「乳母車を買ってやるから、お前のところのお嬢さん(キャメラ)を乗せて、よく練習しなさい」。これにはおそれいりましたよ。…歩いていて乳母車を押している人を見かけるでしょう。「あんな押し方、まずいな。僕が押してやろうか」というと、先生が笑って、「よし、やってみろよ」という。B p.53-54
ロケ
ロケで列車を一カット撮るのにでも小津先生は自分で行かれたんです。決しておろそかなことはしなかったんですから、スタッフの方も真剣ですよ。それはきちょうめんな方で、私は敬服しますね。だから、監督が厳しいからスタッフがついてくるんじゃあない。自然とそうなるんですよ。A p.191-192東京ロケは本当に歩きました。お昼から夕方までですから、もう足が棒になっちゃう。それでも先生はお元気なんですから。「もうちょっと、見てみよう」って、気に入ったところがあるまで歩かれました。ああ、高いところから外国のヘリコプターででも見られたらなあなんて思いましたよ。A p.241
「小津映画のこの一本」
汽車
ぼくは小津組のキャメラマンになって我がままをきかせてもらっているのは、汽車はセットじゃないんです。全部本物です。プロセス〔スクリーン・プロセス〕も使わなかった。気に入る筈はないしもう一つはチャチなんです、汽車のセットが。例えば、坐るとシートが動いちゃう。戸やなんかに光がない。僕も汽車気違いの方だったから、これは小津先生にうるさく言った。C p.329
鉄道用語
大船の場合は、右左と言わないんです。東京寄り、熱海寄り、蒲田寄りと言う。山寄り、海寄り……いい言葉ですよね。東海道線で使ってる用語なんですが。C p.319今日は晩御飯は何時にするかというのも鉄道用語でするわけですよ。ぼくと小津さんだけの符牒を使うんです、撮影時間も特急の時間と同じですよ。僕は「先生、きょうは名古屋止まりですか」と、「いや、大阪までになるかな」と、それを聞いているものは何のことか分からないですよ。A p.197-198
思い出すことなど
ヴィム・ヴェンダース
ヴェンダースさんには大変僭越ないい方になりますが、『パリ、テキサス』のある部分には小津調ってものを感じましたね。小津おやじとは全然違うことはやっておられますよ。でも『パリ、テキサス』の、あれはロサンジェルスですか、丘の上から飛行場を見おろすロングショット、発着陸する飛行機の影を撮ってる。うめえなーって感心しますね。A p.238
病院にて
病院に着いてみると、もういけないって話で、何かが急にぽかっと空になってしまったようで、けしからん奴がぼくらの前から小津さんをさらってったんだとしか思えませんでした。…小津さんの顔を見て、ぼくはなぜかスッと病室の外へ出て、「バカヤロー」って叫びました。さらってった奴が逃げて行くような気がしたんでしょう。A p.268
お通夜の晩
「道化の精神」 小津さんの遺体があった病院ではこれっぽっちも涙なんか出てこなかったのに、原さん〔原節子〕と目と目が合ったとたんに、もう、涙があふれて、あふれて。小津さんが亡くなられたってのは、そうしたことだったんだと、いまにして思いますね。A p.268-270
あの朝
冬でしたけど、ぬけるような快晴でした、あの朝は。不思議ですね。小津さんが亡くなった日のことを思い出すと、あの朝の光線のことばっかり覚えてるんです。お茶の水ってとこは、あの病院があるからあんまり行きたくないんですよ。でも、小津おやじ、やっぱりあの光が好きだったんでしょうね。『父ありき』の照明※2が気に入ったくれたのも、やっぱり何かあったのかもしれません。A p.289
小津映画のこの一本
やっぱり、これ一本といったら『東京物語』でしょうね。これは小津おやじはもちろん、スタッフ全員ものっていたし、僕も少しは経験をつんでいたんで、一つのカットにも全霊をこめて撮りました。A p.288
道化の精神
小津さんって方は、道化の精神にあふれたユーモラスな方なんですよ。だから、小津安二郎っていう神話で小津さんを神格化してたてまつるのもいやなんです。…道化ってのは、わびしいもんなんですが、それを見せちゃあいけない、明るく滑稽におどけて見せなければいけない。それが小津映画の精神だと思いますよ。A p.280