はじめに
「東京物語」は、1953年(昭和28年)に小津安二郎監督・厚田雄春撮影によって制作された映画で、小津映画の代表作として世界的に名高い(図1)。一方、「東京物語」は、現像所の出火により原板ネガが焼失する不幸に見舞われたことでも知られている。現在映画館で上映され、またビデオ化されているフィルムは、ポジからおこした中間ネガより複製されたものである[蓮實, 83]。ところで、「東京物語」の映像を見ると、長年の経年変化による傷など、フィルムの物理的な傷みが随所にある。それだけではなく、映像のコントラストが奇妙につぶれていることにも気がつく。これは、小津監督や厚田氏が当初意図した映像表現ではない。当時の原板ネガによる画質は大分良かったと言われている。そのように我々を確信させる資料が、現在まで主に2種類残存している。一つは、東京物語のPR用予告編フィルムである。これは松竹株式会社に残存している。もう一つは、いわゆるフィルムの「カットじり」と呼ばれる、編集の際に切り落とされたフィルムのコマである(図2)。これは東京大学に保管されている。ともに、制作当時から同じように経年変化をしているにもかかわらず、かなり上質な画像を保持している。
図1 「東京物語」のワンシーン 図2 カットじり 我々は、日本の映画芸術の代表作の一つである「東京物語」から失われた映像美をとりもどすために、現代の最先端のコンピュータや画像・信号処理などの技術を最大限駆使した、デジタル修復を実施した。本稿では、デジタル技術を用いた映画修復の背景に続き、我々が実施した「東京物語」のデジタル修復について述べる。
映画修復の意義と世界の動向
映画資産の数
映画は複数枚の写真を連続投影することで、動いた映像を見せるシステムである。その基盤技術である写真は、1820年頃に発明されたとされている。当時の写真は、金属板を用いるダゲレオタイプや、ガラス板を用いる湿板・乾板が中心である。当然これらの媒体では、写真を連続投影して動画を作成することはできない。映画をもたらす上で重要な技術革命は、1869年のセルロイドの発明と、続く1889年のイーストマン・コダックによるセルロイドを使ったロールフィルムの発明である。これを受けて、1889年にエジソンが最初の映画、キネトスコープを誕生させる。このフィルムを使った動画を、映写という技術を用いて、初めて多くの人に同時に見せたのが、1895年、フランスのリュミエール兄弟である。映画初期、例えば1920年代から30年代は、技術が幼稚なため、映画の制作も少ないのだろうかと思うと、そうではない。例えば、日本では、1920年代には、年間600本から800本の長編映画が制作された。1930年代には、制作のペースは落ちたが、それでも年間400本から600本の映画が制作された。従って、1920〜30年代といった映画の初期に、既に1万本近くの長編映画が制作されていたことになる。ちなみに、当時の日本は、世界でも最も多くの映画を制作している国であった[ボードウェル, 1992]。
図3(1) ショット全体 図3(2) 障子上部分の傷 図3(3) 足部分の比較的幅の広い傷 図3(4) 黒く水平方向に走る、フィルムの汚れ
フィルムの劣化と失われゆく映画
映画や写真とは、露光によって引き起こされる化学的な変化によって映像情報を記録する技術である。「東京物語」のようなモノクローム映画のフィルムは、主に次の二種類の材料から構成される。一つは、ポリエステル等を材料とするフィルムベースである。もう一つは、その上に塗られた黒白感光材料である。感光材料は露光すると化学反応を起し、現像処理を経て銀粒子となって映像を固定する。この化学的な物質状態による記録方式では、記録物質が劣化すると、記録情報そのものも劣化する。フィルムが化学的・物理的に安定した物質であれば、そこに記録された映像情報も劣化せずに残存するだろう。しかし、実際のフィルムは様々な要因により、物理的・化学的に徐々に変化する。数十年の時間尺度で考えれば、フィルムは決して安定した記録媒体ではない。 フィルムの劣化の種類は、物理的劣化、化学的劣化、生物的劣化と大きく3つに分類できる。物理的劣化には、変形、傷、破損、膜はがれなどがある。化学的劣化には、銀の硫化、酸化があり、それによって褪色、黄変、ハイライト部の消失、色調変化などを生じる。最後の生物的劣化とは、カビ等の発生によるフィルムの物理的破損や、カビが生成した代謝物による化学的劣化である[河野, 96]。映画が誕生してから100年以上が経過した。既に、フィルムの劣化により、多くの映画資産が失われた。米国議会図書館の調査によれば、アメリカで製作された無声映画のうち、八割がすでに損失、または修復不可能な状態にあるという[岡村, 98]。別の報告によれば、1930年以前の無声映画の90%近く、1950年以前の映画の50%近くが失われているという[FRAME]。小津安二郎監督は、ちょうどこの1920年代から60年代にかけて活躍した。彼は、第一作目の「懺悔の刃」を1927年に、最終作の「秋刀魚の味」を1962年に制作した。彼の作品は、54本の制作が確認されているが、フィルムの存在が確認された作品は36本である。残りの18本は既に失われてしまった[松竹, 93]。残っている作品の中でも、作品全体が残っていないものや、鑑賞に耐えられない程に劣化したものもある。
丁寧な現像処理や良質な保存環境によって、画像の劣化速度を遅くすることはできる。しかし、フィルムの記録に化学的手段を用いている限り、画像の劣化は不可避である。現在の映画資産を後世に対して正確に残すための現存する最良の方法は、デジタル情報として記録することである。また、デジタル情報化することで、デジタル修復の技術の適用も可能となり、それによって失われた情報を再現することが比較的容易に行えるようになる。
図4-1 同じシーンでの明るさの違いの例(暗い画像) 図4-2 同じシーンでの明るさの違いの例(明るい画像) 図4-3 明るさのヒストグラムにおける比較 左 4-1の明度のヒストグラム 右 4-2の明度のヒストグラム
映画の保存・修復の動き
多くの映画財産が失われている状況を心配した日本の映画関係者は、1970年に国立近代美術館内にフィルムセンターを設立した。そこには、映画フィルムと、スチル写真やポスター、シナリオといった二次資料が保存されている。世界的には、国際映画保存所連盟(FIAF)や、ニューヨーク近代美術館(MoMA)などが映画資料の保存施設としては有名である。フィルムセンターの設立時にはこれらの施設が参考とされた[大場, 96]。映画保存の動きがある一方、劣化したフィルムや映画の修復・再生を試みる動きも世界的に存在する。単に、写真フィルムの修復ということであれば、歴史は大変古く、1858年頃には写真修復に関する多くの研究発表が行われている。この時代から現在までのフィルムの修復方法の中心は、化学的・物理的な方法である[荒井, 96]。
近年注目されている修復の方式は、コンピュータの画像処理技術を使った「デジタル修復」である。代表例は、1992年にオープンしたコダックのデジタル映像センター(シネサイト)で1993年に行われた、ディズニー映画「白雪姫(Snow White)」(1937年作品)の修復である。これには、700万ドルの巨費が投じられ、40台のワークステーションを24時間18週間動作させた。扱ったデータ量は15テラバイトと言われている[FRAME][柳生, 95]。
他にも、映画のデジタル修復は欧米諸国で盛んにみられ、オーストラリアでのオーロラプロジェクト(AURORA Project: Automatic Restoration of Original Film and Video Archives)[Suter,97] や、欧州連合(EU)でのフレームプロジェクト(The FRAME Project)がある[FRAME]。
「東京物語」の修復の課題
本節では、「東京物語」を題材として、デジタル修復の基本的な課題、さらにデジタル修復に深く関連する映画の様々な性質を述べる。
修復のポイント
まずはじめに、修復対象である「東京物語」をデジタル修復するポイントとして、以下を挙げることができる。傷やノイズ、カビによる画像の荒れの除去
既に東京物語が制作されてから40年以上が経過している。その間、フィルムを取り扱う際の物理的な要因による傷が、ほぼ無数みられる(図3)。また、大きな傷の部分は、画像情報が大きく欠損している。東京物語の場合、まだフィルムの保管状態が良かったせいもあり、カビはさほど多くは見られない。保管状態の悪かったフィルムでは、ロールの外側のコマには、カビによる滲みがかなりついているものがある。コントラストの修復
フィルム中の画像のコントラストが悪いのは、東京物語特有の問題である。オリジナルフィルムは焼失しており、全編を通してはコントラストの悪いフィルムしか残存していない。後にキャメラマンの厚田雄春氏がインタビューで答えているように、映画の前半の家族全員が医者である東京の長男の家に集まっているシーンで、窓の外を明るくして色をとばし、室内の顔を少し暗くし、そのコントラストで夏という季節を表現したという。しかし、現存のフィルムではそのようなコントラストを用いた映像表現は全く意図されたようにはなっていないようだ。明るさのぶれ(ちらつき)
東京物語の場合、フィルム毎に明るさのぶれがかなり生じている。図4がその例だが、同じようなシーンにもかかわらず、4-1と4-2の間で、色のピクセル値の平均値が10%程度の差がある。これは、実際に上映をみた時、スクリーンが明るくなったり暗くなったりするという現象になる。これはフィルムを現像する時の誤差、撮影時のシャッター速度の誤差による露光時間の誤差、当時のフィルムの場所毎の感度の誤差など、様々な原因が考えられる。位置ずれ
上映を見ていると、静止カメラで撮影されているはずの画像が、多少上下左右にずれることがある。これも、現像時の位置の誤差なのか、より根源的に撮影した当時のカメラの誤差かはわからないが、結果として画面の位置が数パーセント程度、上下左右にずれていることを確認できる。音声の修復、ノイズの除去
映画では、音声情報は光変換されて音声トラックとしてフィルムに記録されている。この部分も傷や、経年変化によって傷みが生じている。それによって、音声のノイズ、欠落等が発生している。
東京物語の分析
ここで、デジタル修復に関連する東京物語の各種性質を簡単に述べておきたい。東京物語は、白黒映画である。これは、デジタル修復から色補正等の問題を取り除くことができる。現在のカラーフィルムのような1枚のフィルムにカラー撮影する方式では、その上の色素の化学性質の違いから、長年の経年変化によって映画の色合いに変化が生じてくる。例えば、小津映画のアグファカラーで撮影された作品では、マゼンダの色だけが強く残存し、かなり赤みがかった映像になっている。「風と共に去りぬ」を代表作とするような、テクニカラー方式であれば、色分解して色毎に記録するために褪色の問題はない。反面、フィルムのゆがみがフィルム毎に異なるため、上映する時に微妙にゆがみの違う3色を合成するため、色むらが生じる。このようにカラー映画になると、色の褪色の補正や色むらの補正が大きな課題になるが、今回の東京物語にはそういった問題はない。
また、小津監督の映像構成は大変ストイックなもので、固定カメラ、シンプルなカットつなぎといった特徴をもつ。これは、デジタル修復を行う際に必要とされる、傷の検出や動作解析などのアルゴリズムを適用しやすいものとしている。
東京物語は、上映用フィルム以外に、フィルムのカットじりやPR用の予告編フィルムが残存しており、これらの品質は上映用フィルムよりも良い状態で残存している。修復を行うためには、修復の目標となるリファレンスが必要とされる。東京物語には、比較的多くのリファレンスとなる映像が残存していることも、修復への好条件であると言える。
小津安二郎は、最後まで35mmのスタンダードサイズにこだわり続けた監督であった。東京物語もその類にもれず、35mmのスタンダードサイズが使われている。これは、通常の35mmの写真のフィルムと同じサイズのフィルムで、写真の1コマの面積の部分に、90度回転した方向で2コマが記録されている。従って、デジタル修復のためのフィルムスキャンの際に、市販の多くのフィルムスキャナが利用できる。
これらの考察からわかるように、東京物語はデジタル修復に適した性質を多く備えているという幸運に恵まれた。これも小津監督のストイックなまでにシンプルな映像表現のおかげであると言えよう。
「東京物語」の修復過程
本節では、デジタル修復の基本的な工程を簡単に概観する。
(1) データスキャン
デジタル修復作業の最初に行うことは、フィルム画像のデジタル化である。フィルムスキャナを用いて、画像情報をデジタル画像データに変換する。今回の東京物語の修復では、デジタル修復の元になるフィルムとして、松竹株式会社より提供を受けた上映用の35mmプリントを使った。これをPhotoCD用のフィルムスキャナ等を利用して、3072×2048の解像度でデジタル化した。これによって、1コマあたり約6.1MB(PGM形式)の情報量となった。このデジタル化された画像データはすぐに画像処理にかけられるように、コンピュータのハードディスクに格納する。今回我々がスキャンしたデータは、すべて東京大学総合研究博物館の画像処理サーバのディスクアレイ中に格納した。
(2) 前処理
次に、スキャンされたデータに修復処理を加えることができるように、以下の処理を行う。
- トリミング
フィルムのスキャン画像の中から、パフォーレーション等その他の部分を切り取り、映像が映っている部分だけを抜き出す。
- 位置、大きさの正規化
スキャンの時の誤差などにより、画像の多少の曲がり、位置をコマ毎に一致するように調整する。つまりスクリーン中で静止している物体であれば常に同じ位置に来るように調整する。また、コマ毎に画像サイズが正確に同じになるように調整する。
- 明るさの補正
実際にフィルムをスキャンしてみると、フィルムのコマ毎に異なる明るさを持っている。特に東京物語では、フィルムのコマ毎に明るさが、隣接したコマにおいても、かなりの差がある。これを補正するために、各コマ毎に明度のヒストグラム(図4−3)を作成し、そのピークの位置を調整することによって、画像のちらつきを押さえた。
(3) 傷の検出と修復
次に傷の修復に着手する。まず傷を修復するためには、フィルムの画像の中から傷の部分を検出し、次に傷によって失われている部分の画像情報を復元しなければならない。まず、傷の検出方法を簡単に説明すると以下の通りである。フィルムについた傷を画像処理で追うと、傷のついた部分は、平面方向にも、時間方向にも不連続に、つまり唐突に画像情報が変化する。この性質を使って自動的に傷を発見することができる。専門用語では、高周波数成分が大きいという。こうした、画像情報の不連続で唐突な変化は、傷以外にも映像に登場するオブジェクトの動作、特殊効果/特殊撮影などによっても生じる。前者と傷を区別するためには、動画において動いている部分を抽出するモーション解析技術を用いる。小津映画では、カメラが固定され、ズームやパンがほとんど見られず、静止した背景の前を登場人物が動くという映像が多い。従って、このモーション解析は比較的容易にできる。後者は、現代のハリウッド映画のように高度特撮技術を使っていれば別だが、少なくとも静止カメラ、カットつなぎ編集をかたくなに守り通した小津監督作品では、必要のない事柄である。次に傷の復元方法である。従来から、衛星写真の補正や写真画像の修復などにダメージをうけた画像情報の修復技術が使われてきた。これは、静止画の修復技術で、1コマ毎に独立して補正するものである。更に映画は、別の情報から修復することが可能である。というのも、映画は1秒24コマの連続画像から構成されるため、似て非なる連続画像をもっている。フィルムの傷はコマとは関連なくつくため、前のコマの傷の場所に、次のコマでも傷がついているようなことは稀である。そこで、最初に述べた方法で傷部分が検出されたら、前後のコマの画像データを利用して傷部分の色を埋めていくことができる。このような前後のコマの画像を利用して修復を行う点が単なる写真の修復と映画の修復の異なる点である。
おわりに
映画産業の黎明期、大正から昭和初期にかけて、我が国をはじめ世界各地で、多くの映画作品が制作された。しかし、フィルムの劣化等によって、既にその多くが失われ、また現在も失われつつある。こうした映像資産の劣化に対してデジタル技術は大変強力な武器になる。例えば、映像のデジタル化は、フィルムに残された「現在」の映像を後世にそのままの形で残す、現存する最良の方法である。デジタル修復技術は、フィルムに残されたかすかな痕跡を頼りにして、既に失われた映像を「過去」から復活させることができる。我々は、小津・厚田が制作した代表作である「東京物語」に出会い、その失われた映像美の復活に挑戦した。今回の挑戦が、当時の小津監督、厚田雄春氏が意図していた映像表現を少しでも再現できたならば、私たちにとって大変幸せなことである。更に、我々の修復作業が契機となり、より多くの組織や個人が日本映画の資産が失われていくことを憂いて、映画のデジタル保存やデジタル修復の機運を高めて下さることを強く希望する。
謝辞今回の東京物語デジタル修復プロジェクトに御協力頂いた、松竹株式会社に感謝いたします。またフィルムスキャンに協力して頂いた、河野茂紀氏に感謝します。