小野秀雄 主要著作目録
『日本新聞発達史』大阪毎日新聞社・東京日日新聞社、一九二二年
『大阪毎日新聞社史』大阪毎日新聞社・東京日日新聞社、一九二五年
『校訂解説もしほ草・江湖新聞』明治文化研究会、一九二六年
『新聞学』東京市教育局社会教育課、一九二七年
『新聞発生史論』(新聞全集第一一巻)新聞之新聞社、一九三二年
『図解新聞発生史』新聞学研究会、一九三二年
『現代新聞論』時潮社、一九三四年
『新聞原論』東京堂、一九四七年
『日本新聞史創始・指導・企業(明治期)時代』良書普及会、一九四七年
『図解新聞発生史』東京堂、一九四八年
『日本新聞史』良書普及会、一九四九年
『内外新聞小史』(新聞文庫二)日本新聞協会、一九四九年
『新聞の自由』(共著)岩波書店、一九五二年
『新聞の歴史』同文館、一九五五年
『明治文化史』第四巻(思想言論編)(共著)洋々社、一九五五年
『新聞の話』岩崎書店、一九五六年
『新聞と教育』(共著)日新出版、一九五八年
『かわら版物語』(風俗文化双書一)雄山閣、一九六〇年
『内外新聞史』日本新聞協会、一九六一年
『三代言論人集』第一巻(柳河春三)(共著)時事通信社、一九六二年
『三代言論人集』第二巻(成島柳北)(共著)時事通信社、一九六三年
『三代言論人集』第六巻(黒岩涙香)(共著)時事通信社、一九六三年
『新聞資料明治話題事典』(編)東京堂、一九六八年
『号外百年史』読売新聞社、一九六九年
『新聞研究五十年』毎日新聞社、一九七一年
『新聞錦絵』毎日新聞社、一九七二年
(合評、寸言、談話、座談会類を原則として除く)
「新聞研究に就いて一言」『新聞総覧』一九二三年版
「学ぶべき米国ウォールド社の切抜整理」『新聞及新聞記者』一九二四年九月一日号
「独逸に於ける新聞の学術的研究」『新聞及新聞記者』一九二四年一一月一五日号
「欧米諸大学の新聞研究施設と本邦に於ける研究機関創設の私案」『新聞総覧』一九二五年版
「世界新聞展覧会概要」『新聞及新聞記者』一九二五年一月一五日号
「ヒコの『海外新聞』について」『新旧時代』一九二五年二月号
「大阪の身替新聞」『新旧時代』一九二五年三月号
「文久元年創刊の外字新聞」『新旧時代』一九二五年四月号
「西園寺公望と東洋自由新聞」『新旧時代』一九二五年六月号
「Japan Commercial News」『新旧時代』一九二五年九月号
「ジャパン・コムマーシャル・ニウスに就いて」『新旧時代』一九二五年一〇月号
「英独仏新聞界の現状比較」『日本及び日本人』一九二五年一〇月五日号
「木戸孝允と新聞」『新旧時代』一九二五年一一月号
「五種の万国新聞について」『新旧時代』一九二五年一二月号
「新聞学研究会の創設について」『新聞学研究』第一号、一九二六年一月
「新聞の二元的本質について」『新聞学研究』第一号、一九二六年一月
「伊太利の改正出版法」『新聞学研究』第一号、一九二六年一月
「ニウスの興味本位性と本能」『新聞学研究』第二号、一九二六年三月
「日刊絵新聞の成功」『新聞学研究』第二号、一九二六年三月
「出版自由権其他」『新聞及新聞記者』一九二六年三月一五日号
「不良なニウスの心理的研究」『新聞学研究』第三号、一九二六年四月
「新聞随筆」『日本及日本人』一九二六年四月一〇日号
「大津事件に関する警察官の原稿検閲」『新聞学研究』第四号、一九二六年六月
「現代文化と新聞紙」『新聞学研究』第五号、一九二六年一二月
「明治初期の反動思想の新聞」『新旧時代』一九二七年一月号
「労農露国記者教育の実際」『新聞及新聞記者』一九二七年四月一日号
「明治初期の世相」『明治文化研究』一九二七年五月号
「我邦新聞雑誌発達の概観」『太陽』一九二七年五月号
「『もしほ草』の特徴と発行者ウェン・リード」『新聞及新聞記者』一九二七年六月一日号
「自由主義の政治小説」『明治文化研究』一九二七年七月号
「出版自由の根本概念」『太陽』一九二七年一二月
「大阪日報紛議の顛末」『明治文化研究』一九二八年三月号
「我邦初期の新聞と其文献について」『明治文化全集』第一七集(新聞編)、日本評論社、一九二八年
「末広の書簡に表はるゝ明治八年頃の世状」『明治文化』一九二八年六月号
「日刊紙創刊当時の販売の話」『明治文化』一九二八年六月号
「明治文化の祖先を訪ねて」『明治文化』一九二八年一二月号
「明治文化の祖先を訪ねて(続き)」『明治文化』一九二九年三月号
「偏見と私情」『新聞及新聞記者』一九二九年五月
「謎の『東京新聞』」『明治文化月報』一九二九年七月
「黒岩氏の新聞記者技巧」『明治文化月報』一九二九年九月号
「カール・デスター=新聞の発達 独逸を中心としてみる」『新聞及新聞記者』一九二九年一一月号
「帝大新聞学研究室の組織と機能」『新聞及新聞記者』一九二九年一一月号
「帝大新聞研究室の創設に因みて」『新聞総覧』一九三〇年版
「世界新聞史」『綜合ヂャーナリズム講座』第三巻、内外社、一九三〇年
「桑港の邦字新聞」『明治文化』一九三〇年一月号
「世界新聞界の動向」『中央公論』一九三一年七月号
「議会政治と新聞」『綜合ヂャーナリズム講座』第四巻、内外社、一九三一年
「世界新聞史(二)」『綜合ヂャーナリズム講座』第五巻、内外社、一九三一年
「日本新聞発達史」『綜合ヂャーナリズム講座』第一〇巻、内外社、一九三一年
「日本新聞発達史(下)」『綜合ヂャーナリズム講座』第一二巻、内外社、一九三一年
「新聞と読者」『新聞研究室第一回研究報告』帝大新聞研究室編、一九三一年
「公益を主眼に」『新聞及新聞記者』一九三二年七月号
「新聞学の啓発者としての本山翁を語る」『新聞及新聞記者』一九三三年二月号
「不偏不党を標榜する雑誌」『明治文化』一九三四年一月号
「我国初期の外字新聞」『幕末明治新聞全集』第一巻、大誠堂、一九三四年
「バタビヤ新聞の原書」『幕末明治新聞全集』第二巻、大誠堂、一九三四年
「『もしほ草』及『江湖新聞』の解説」『幕末明治新聞全集』第四巻、大誠堂、一九三五年
「明治二十年前後の新聞界」『三朝史話』一九三五年一〇月
「新聞経営の合理化について」『新聞総覧』一九三五年版
「壮丁調査に表れたる新聞と読者の結合関係」『新聞総覧』一九三七年版
「思想戦と新聞学」『思想戦講習会講義録第四編』内閣情報部編、一九三八年
「今次欧州大戦の二大宣伝戦」『新聞総覧』一九四〇年版
「ナチ新聞学構成理論」『東京大学新聞研究室創立十周年記念講演会講演集』一九四一年
「戦争と新聞」『新聞総覧』一九四二年版
「日本新聞史」『日本新聞報』一九四三年六月二六日号〜一九四四年七月一一日号
「新聞原論」『日本新聞報』一九四四年八月二六日号〜一九四五年六月二日号
「米国新聞史論」『日本新聞報』一九四五年一一月二二日号〜一九四七年六月二日号
「わが新聞研究とその学徒」『新聞協会報』一九四七年四月一四日号
「新聞倫理の学門的基礎」『新聞研究』一九四七年一二月号(創刊号)
「新聞の自由と倫理」『新聞講座』編集編、日本新聞協会編、一九四八年
「ニュースの本質について」『新聞講座』編集編、日本新聞協会編、一九四八年
「新聞研究室懐古」『東京大学新聞』一九四八年一〇月七日号
「新聞の権威」『世界文化』一九四九年一月号
「残された問題二・三」『新聞研究』一九四九年三月号
「『感じの良い新聞』を作れ」『新聞協会報』一九四九年一二月二六日
「先進記者禁獄ものがたり」『新聞研究』一九五〇年六月号
「アカハタの反省を望む」『新聞協会報』一九五〇年六月一二日号
「大阪資本の進出に破れた東京」『新聞協会報』一九五〇年一二月二五日号
「遐●貫珍について」『新聞研究』一九五一年二月号
「新聞研究三十年」『新聞協会報』一九五一年四月三〇日〜七月二日号
「学としての新聞学」『上智大学新聞』一九五一年六月一五日号
「新聞の客観性を発生史的に観る」『新聞研究』一九五一年一二月号
「いわゆる世界最古の週刊紙アヴィソの研究」『東京大学新聞研究所紀要』第一号、一九五二年
「発刊の辞」『新聞学評論』第一号、一九五二年
「翻刻新聞雑誌の原書について」『新聞学評論』第一号、一九五二年
「新研廃止説に反省望む」『新聞協会報』一九五二年四月二四日号
「内外新聞人列伝六 黒岩周六」『新聞研究』一九五三年二月号
「日本における自由のための闘い」『世界』一九五四年七月号
「大阪府新聞史」(序論)、『新聞研究』一九五四年一二月号
「『バタビヤ新聞』発行の経緯」『明治文化全集月報』再刊第三号、一九五五年
「苦闘三十年」『新聞研究』一九五五年一一月号
「論説の歴史」『新聞研究』一九五六年九月号
「大阪府新聞史」(後論)、『新聞研究』一九五六年九月号
「新聞倫理化運動の展望」『新聞研究』一九五六年一〇月号
「東京都新聞史」(その三)、『新聞研究』一九五六年一二月号
「Publizistik」『新聞学評論』第六号、一九五七年
「東京都新聞史」(その四)、『新聞研究』一九五七年一月号
「Dr. Gunter Kieslich; Freizeitgestaltung in einer Industriestadt」『新聞学評論』第七号、一九五七年
「カール・デスターの思い出」『新聞研究』一九五七年三月号
「蘇峰翁の資性と足どり」『新聞協会報』一九五七年一一月一一日号
「新聞研究の歴史を語る」『新聞研究』一九五八年一月号
「アジアにおける記者教育」『新聞研究』一九五八年三月号
「日本初の日刊紙『横浜毎日』の創刊日」『新聞研究』一九五九年一月号
「『横浜毎日』の創刊日を確認」『新聞資料』一九五九年一月一日号
「台湾の新聞事情」『新聞研究』一九五九年七月号
「無視された新聞の自由」『新聞研究』一九五九年九月号
「カール・デスターの生涯と業績」『新聞研究』一九六〇年八月号
「マスコミの芽 かわら版」『新聞協会報』一九六一年一月一日号
「わが国最初の新聞」『新聞研究』一九六一年七月号
「Otto Groth; Die unerkannte Kulturmacht」『新聞学評論』第一一号、一九六一年
「『横浜毎日』の問題いろいろ」『新聞資料』一九六二年一一月一一日号
「三代論説史」『新聞研究』一九六三年三月号
「近代的紙面構成のはしり明治四年の『横浜毎日新聞』」『新聞研究』一九六三年七月号
「新発見の『横浜毎日』第一号について」『新聞研究』一九六四年一一月号
「新聞の言論に望む」『総合ジャーナリズム研究』一九六五年二月号
「社説尊重論」『新聞研究』一九六五年七月号
「激動の一年のマスコミ」『総合ジャーナリズム研究』一九六五年一二月号
「危機に直面するニューヨーク新聞界」『総合ジャーナリズム研究』一九六六年七月号
「裁判記事に現われた時代のへだたり」『新聞研究』一九六六年八月号
「廃刊前夜のヘラルド・トリビューン」『総合ジャーナリズム研究』一九六六年一〇月号
「営業新聞を掲げた明治十年代の『熊本新聞』」『新聞研究』一九六六年一一月号
「廃刊ヘラルド・トリビューン紙の残した足跡に見る」『総合ジャーナリズム研究』一九六六年一一月号
「新聞研究五十年」『新聞研究』一九六七年一月号〜一九七〇年四月号
「新聞の生命は『新聞の自由』」『新聞学研究』(中井駿二先生還暦記念特集号)関西大学、一九六六年
「ジャパン・タイムズものがたり」『新聞学評論』第一六号、一九六七年
「本紙百号記念事業として新聞館の建設を提唱」『新聞資料』一九六七年四月一日号
「私の朝日新聞論」『展望』一九六七年一〇月号
「フィッシャーのディ・グローセン・ツァイトゥンゲンを読んで」『新聞学評論』第一七号、一九六八年
「ドビファート氏をしのぶ」『新聞研究』一九七〇年一月号
「元治二年に創刊された『海外新聞』」一九七一年一二月号
「東京仮名書新聞」『新聞研究』一九七二年三月号
「記事の守るべき節義と分限」『総合ジャーナリズム研究』一九七二年夏季号
「苦難時代の新聞学」『新聞研究』一九七五年四月号