キジムシロ属(Potentilla L.)はバラ科の中でも大きな属のひとつで、北半球を中心に約五百種が分布する[Mabberly 1987]。草本性の種が多く、五枚の花弁をもつ放射相称の花をつけ、萼のほかに副萼を備える。子房は離生し、半球状に膨らんだ花床のうえに多数が配列する。日本には、春の山里で黄色い花を咲かせるミツバツチグリ(Potentilla freyniana Bornm.)や、高山帯でお花畑のなかに咲くミヤマキンバイ(Potentilla matsumurae Th. Wolf)など約二十種が分布する[籾山一九八二]。
ヒマラヤではキジムシロ属植物は温帯域から高山帯にかけて生育する。花は多くの種では黄色であるが、橙色や赤色の花弁をもつ種(Potentilla argyrophylla Wall. ex Lehm.)や、白色に赤色の基部の花弁をもつ種(Potentilla coriandrifolia D. Don)もある。ヒマラヤではヒツジやヤギ、ヤクなどの放牧が盛んにおこなわれているが、キジムシロ属植物は植物体にタンニンを多く含むため家畜が嫌い、放牧地でも家畜の食害から免れている。したがってそのような場所では、草原の主要な構成種のひとつとなっている。また、湿地に生える種や岩場に生える種もあり、さまざまな場所でキジムシロ属植物を目にすることができる。
ヒマラヤに分布するキジムシロ属植物は、その分布パターンから大きく三つに分けることができる。(一)周北極要素と呼ばれる、北半球の高緯度地方に広く分布する種、(二)ヒマラヤおよび隣接地域に分布の中心がある種(中国-ヒマラヤ要素)、および(三)日華区系要素と呼ばれる、主に日本と中国に共通の分布をしている種である[Ikeda and Ohba 未発表]。その中でLeptostylae節はヒマラヤとその近隣地域に二十四種が分布し、この地域で多様化した種群と考えられる。Leptostylae節は、さらに六系に分けられる。そのうち、Lineata系(Potentilla lineata 群)に含まれる種は温帯域から亜高山帯上部に分布するのに対し、他の系に含まれる種は高山帯に生育する。
Potentilla lineata 群は、羽状複葉の根出葉をロゼット状につけ、根出葉の腋から黄色の花をつけた花茎を伸ばす。Potentilla lineata 群の種は互いに類似しており、一見したところ区別は困難である。しかし、形態を詳細に観察したところ、根出葉の托葉の合着の程度、花柄の腺毛の有無、最上部の小葉対の基部の形状によって五種(Potentilla lineata Trev., Potentilla festiva Soják, Potentilla polyphylla Wall. ex Lehm., Potentilla josephiana H. Ikeda et H. Ohba, Potentilla fallens Card.)に分類されることが明らかになった[表1、挿図1-3、Ikeda and Ohba 1993]。そのうちの四種はネパール・ヒマラヤに分布する。また、染色体を観察したところ、Potentilla lineata が2n=14の二倍体、Potentilla festiva とPotentilla polyphlla が2n=28の四倍体、Potentilla josephiana が2n=42の六倍体であり、種群のなかに染色体数の倍数系列が見いだされた。また、Potentilla lineata とPotentilla festiva が標高二〇〇〇−三〇〇〇メートル、Potentilla polyphylla が標高二七〇〇−三五〇〇メートル、Potentilla josephiana が標高三五〇〇メートル付近に分布しており、Potentilla lineata とPotentilla festiva 以外はほぼ標高で住み分けをしていることが明らかになった[挿図4]。また、Potentilla lineata 群の種間で時に雑種形成を起こしていたが、ほとんどのものは一代雑種と考えられた。このように、Potentilla lineata 群は、互いに外形的には近似しながらも、形態的、細胞学的に種としての独自性を保ち、垂直的に住み分けをおこなっていると考えられる。
[表1]Potentilla lineata 群の種への検索表 |
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[挿図1]根出葉の托葉 スケールは二mm。
a-Potentilla festiva の根出葉の托葉。矢印と矢印の間が合着した部分。下は模式図。
b-Potentilla lineata の根出葉の托葉。裂片は重なり合うも、合着していない。下は模式図。 |
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[挿図2]葉の上部 スケールは二mm。
a-Potentilla josephiana の葉の上部。
b-Potentilla polyphylla の葉の上部。 |
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[挿図3]花柄と柱頭 スケールe、fでは〇・五mm、g、hでは五〇µm。
e-Potentilla lineata の花柄。f-Potentilla festiva の花柄。
g-Potentilla polyphylla の柱頭。h-Potentilla lineata の花柄。 |
[挿図4]ネパール・ヒマラヤにおけるPotentilla lineata 群の垂直分布 |
[挿図5]Leptostylae節の分枝様式に基づく生活型(解説は本文を参照) |
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Potentilla lineata 群以外のLeptostylae節の種 |
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Potentilla lineata 群以外の種はほとんどが高山帯に生育する。ヒマラヤ高山帯は、氷河期に何度も氷河におおわれた歴史があり、そのために特徴的な氷河地形が発達している。氷河の河床であった部分はカール底と呼ばれ、U字型の谷になる。氷河は谷を削り、モレーンと呼ばれる岩性の堆積物を氷河の両端や先端に生み出す。氷河の両側は崖錘部と言われる急な斜面を形成する。また、凹地になった部分に水がたまり、氷河湖と呼ばれる湖になることがあり、氷河湖の周辺には湿地が発達する。このように、ヒマラヤの高山帯が生み出す様々な地形はこまかな生態的違いを生み出し、そこに生育する植物に新たなニッチェを提供したと考えられる。キジムシロ属植物も提供されたニッチェに進入し、あるものは新しい種へと進化したと考えられる。
高山に生育するLeptostylae節について生活型を観察したところ、以下の五つのタイプが観察された。(a)根出葉をロゼット状に広げ、茎はあまり分枝せず、根出葉の腋から花茎を伸ばすタイプ、(b)茎は地上近くで頻繁に分枝し、クッション状を呈すタイプ、(c)地上でストロン茎を伸ばし、広がるタイプ、(d)茎は地下で頻繁に分枝し、マット状に広がるタイプ、(e)地下で茎を伸ばすことは(d)と同じであるが、茎は容易に親個体から離れ、独立するタイプ[挿図5](a)のタイプは、ヒマラヤの高山帯で普通に見られる多年生草本の生活型であり、あまり特殊化していない形である。(b)のタイプは高山植物にしばしば見られる生活型で、枝を密に重ね合い、クッション状を呈すことで、保温効果を高めるとともに、あたたまりやすい地表の熱を効率よく利用できると考えられる。(c)と(d)のタイプは地上あるいは地下で茎を伸ばすことにより、親個体の近くで生育地を広げるのに有利な形態だと考えられる。(e)のタイプはPotentilla aristata Soják一種で観察された特殊な分枝様式で、親個体の近くに子孫を残し、親個体にダメージがあった場合でも子孫の個体に影響を与えないような仕組みになっているのではないかと考えられる。また、染色体を観察したところ、Potentilla lineata 群と同様に、2n=14、28、42が観察され、二倍体から六倍体までの染色体数の倍数系列が認められた[Ikeda and Ohba 未発表]。
ヒマラヤ産キジムシロ属Leptostylae節の植物は、外部形態的には似ているが、それぞれ種として維持されており、垂直的あるいは生態的立地の違いに応じて独自の分布域をもっていると考えられる。また、それらの分化には染色体の倍数化も関与していると推測される。