中央アンデス地域の編年 |
大貫 良夫 東京大学大学院総合文化研究科 |
中央アンデス地域の先史文化の編年については、いろいろな試みがなされてきたが、まだ確立されたものとはいいがたい。最近の研究成果はこれまで比較的強く支持されてきた編年体系に対してすらも修正を迫っている。 ひとつの編年体系は、アメリカのジョン・ロウが最初に提唱し、その後若干の修正を受けてきたもので、次のような形である。なお、中央アンデス地域に人類が最初にすみついた年代については確証がないので、ここではひとまず紀元前一万年としておく。
もうひとつは、アメリカのゴードン・ウィリーらの編年に、ペルーのルイス・ルンブレーラスなどが修正を加えた編年体系で、若干われわれ流に修正をする。
先土器時代はアンデス最初の人類の登場から神殿建築がはじまるまでの時代である。絶滅哺乳類の狩猟、後氷期のラクダ科や鹿その他の狩猟と採集、それに若干の植物栽培が加わり、海岸部での定住漁労と栽培、内陸部の栽培と採集狩猟による定住といった徐々なる変化が起きていった長い時代で、人によってはこの時代をIからVIまでの時期に細分する。ただし、先土器時代最後の時期(第VI期または古期後期)はまだ土器がないので、その意味では先土器時代なのであるが、神殿建築や、社会的地位の明確な差異化がみられ、この傾向は続く形成期前期に継承され、増幅されてゆくので、先土器時代ではあるが形成期的でもあり、形成期初期という見方も可能である。 形成期前期は土器と織物製作が加わった時期で、農業の比重が増すとともに、巨大な神殿建設が行われた。中期は海岸の大センターが一斉に放棄される一方で、北高地から中部高地にクントゥル・ワシ、チャビン・デ・ワンタルなどのセンターが勃興し、またそれまで先土器時代であった南海岸にパラカス文化が成立する時代である。南高地にも土器や織物製作が普及し、プカラにもセンターができた。 形成期後期は北海岸と北高地ではサリナール、ガジナソ、ライソン、ワラスなど新しい文化が成立する。ラクダ科家畜はペルー全域に普及した。 地方発展期は各地に国家社会が成立し、それぞれに個性の強い芸術様式を確立した時代である。ビクス、モチェ、リマ、ナスカ、カハマルカ、レクワイ、ティワナクなど、絢爛たる文化の多様性がみられる。 ワリ期は、中央高地のワリに生まれた文化から派生する芸術様式が広まる時期で、それまでの地方文化が滅んでしまった。しかしやがてこの混沌から抜け出た各地には、ランバイェケ(シカン)、チムー、チンチャ、カハマルカ、ルパカなどの王国や強力な政治体制が成立し、ときに熾烈な戦争も行った。これが地方王国期で、このあと群雄割拠の状態を脱してアンデス全域の国家や民族を征服し、ひとつの国家に統一したのがインカ人の国家タワンティンスーユ(インカ帝国)であった。 |
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