[第二部 コンテンツ]
考古
観音像 金銅造 朝鮮 平壌(?) 11世紀初頭 高さ(中尊)67.5cm、(両脇侍)37.6cm 福井 武二郎氏旧蔵 文学部考古学研究室・列品室 |
東京城 昭和14年 東亜考古学会発行 |
菩薩頭部 石造 中国 山西省天龍山石窟 8世紀初頭 高さ20.5cm 文学部考古学研究室・列品室 |
資料は大きく分けて、(1)戦前に中国・朝鮮など東アジア大陸各地における発掘調査で収集された資料、(2)考古学研究室が北海道常呂の文学部実習施設を拠点として行った(一部はその設置以前にさかのぼる)一連の発掘で得られた遺物、(3)関東近辺の様々な時代の遺跡発掘で得られた遺物、(4)その他、である。
(1)はこの標本群をもっとも特徴づけるもので、朝鮮の楽浪土城(漢が設置した楽浪郡治址)、石厳里古墳群(楽浪郡の古墳)、中国遼寧省牧羊城(漢代の県治址)、中国黒竜江省東京城(渤海国の首府)、内蒙古元上都(元時代の都城)、河北省邯鄲(漢代の都城)、遼寧省遼陽漢代墳墓、山東省曲阜魯城(東周・漢代の都城)など、主に歴史時代の遺跡から得られたさまざまな種類の遺物で、戦後大陸での発掘が不可能となったため、現在ではまったく入手不可能な標本ばかりである。
(2)は北海道東北部の常呂、北見、網走、知床地域において文学部考古学研究室が40年間ほとんど毎年欠かさず行ってきた発掘調査で得られた資料であり、旧石器時代、縄文時代、続縄文文化、擦文文化、オホーツク文化、アイヌ文化の各時期文化にわたる。北海道東北部の先史時代研究の体系を作ってきた基準資料を多く含む大資料群である。代表的なものに旧石器時代の紅葉山遺跡・緑丘遺跡、縄文時代の朝日トコロ貝塚・トコロチャシ南尾根遺跡、続縄文・擦文・オホーツク各文化にわたる栄浦第1・第2遺跡、岐阜
1〜3遺跡・ライトコロ川口遺跡・ライトコロ右岸遺跡・モヨロ貝塚の資料などがある。
(3)はさまざまなテーマと関心から地理的に大学に近い関東近辺の遺跡で発掘された資料で、旧石器、縄文、弥生、古墳、歴史のさまざまな時代に属する。三鷹市東京天文台の旧石器時代資料、茨城県廻戸貝塚の縄文時代資料、学史上有名な東京都文京区向ヶ岡貝塚推定地の弥生時代資料、茨城県安孫子古墳群出土資料、神奈川県二宮町諏訪脇横穴出土資料、戦国時代の山梨県黒川金山遺跡資料などがある。
(4)は日本国内・海外での採集・寄贈・購入で得られたさまざまな資料であるが、重要なものに、タイ国の石仏・金銅仏コレクション、ベトナムドンソン文化資料、アメリカインディアンの土器、アジア各地の陶磁器資料などがある。
これらの資料の研究利用状況を記すと、
(1)は大貫助教授によるオロス貝塚資料の再検討、谷豊信氏による楽浪土城址の再検討、北九州や北陸における大陸からの搬入土器の同定などに利用されている。上記のように第二次大戦後、日本の考古学者が東アジア大陸において発掘調査を行うことが不可能になったため、再入手不能な貴重な資料となった。学外博物館からの借用展示希望がもっとも多い資料でもある。
(2)北海道は本州以南に稲作が伝わり弥生文化に移行しても狩猟採集文化である続縄文文化が継続し、さらに擦文文化、オホーツク文化、アイヌ文化など内地の日本とはまったく異なる歴史の歩みをたどった。このような独特の文化の展開過程を解明した諸研究の基準になった資料であり、現在も藤本教授、宇田川教授、熊木助手らによる研究が進められている。
(今村 啓爾)
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