植物園と研究・教育の未来像

長田敏行


 小石川植物園は、既に他で見てきたように徳川幕府の御薬園に始まり、東京大学の成立とともに、大学が帝国大学、東京帝国大学、再び東京大学と名前が変わっても一貫して理学部附属であった。初期は日本の植物の分類と、かつて植民地として属した地域の植物の分類に中心が置かれ、国策を負った時代もあり、また比較的注目されなかった時代もあったが、今後その重要性は増すことこそあれ、減ることはないというのが率直な感想である。このことは日光に設けられている分園にもほぼ該当しよう。従って、この点からいささか論を展開しようと思う。

 研究に関しては比較的論議が少ないと思われる。このことに関してはまさに研究者の主体性に関わっているからである。未知の植物の探索ないし、それらの探検は基本的には日本の国内で話題になることは今日余りないことで、それらの対象は熱帯地域と伝統的に理学部植物学教室の関係者が調査に出かけている東亜植物区系の要としてのヒマラヤ地域の調査であろう。こうした研究での植物園の重要性は、調査対象されている植物のより詳細な観察を、植物園に導入して行うことであり、ここに取りたてて論議することは少ない。

 絶滅危惧種の救済と繁殖、さらに現地の植生を復元する研究は、小石川植物園でも盛んに行われており、特に小笠原諸島の絶滅危惧種は、別に触れられているように重要な課題になっている。ここでは、その背景となるそもそも野生状態の復元の背景となる一般的原則についてふれるが、日本ではこれまで組織的に考えられてこなかった課題であるからである。国際植物園自然保護連合(Botanical Gardens Conservation International,本部Surrey 英国)の資料をもとにふれると、その使命は植生の回復にあり、絶滅危惧種の保護が現地でできればそこで行うが、多くの絶滅危惧に瀕する野生種の繁殖と現地への復元にある。さらに、農地や住宅地の開発により影響を受けている環境を出来るだけ自然に近い状態に保護することでもある。

 復元には総合的な戦略が要求される。即ち、個別の種の生態的側面を知り、集団内の遺伝的変異を把握し、その復元過程の評価も含めた多面的戦略が必要である。おそらくこのような情報が比較的集積しているのは植物園のみである。そのためには、絶滅の理由を明らかにし、過去の生態学的特徴を明らかにし、その場所の復元の計画を立案し、更に実行に当たっては試行案も含め、その評価を総合的に行うことである。もちろん、この目的のための財政的負担は少なくないことをも考えなければならないし、行政との折衝ないし調和といった視点も必要になろう。いうまでもないことかもしれないが、何らかの試みに際して、現状を絶対に悪化させてはならないという倫理的問題も伴う。また、野生復元に際して植物園で保有している株が野生に復元したとき遺伝生態学的に見て、安定かどうかの遺伝学的評価も必要となる。総合的に見て、今日、日本のいずれの機関においてもこのような問題は考えられていないことと、小石川植物園では少なくとも既に小笠原諸島の絶滅危惧種の救済と復元で実際的経験があり、いわばノウハウを持っているという点からして、今後の重要な課題となろうし、それを目指すべきかもしれない。

 教育については、現在学部学生の分類学・系統学実習の実習の場であり、実地に植物にふれる最初の機会を提供している。このため、植物分類園等が設けられ、系統樹にしたがって植物が植えられているので、下等から高等植物までの代表的な植物を知ることができる。更に、日光分園ではより野生に近い状態を知ることができ、野外実習で実地を知るわけであるが、将来的な課題としては、個別の植物の系統・分類学を勉強することから、発展的に生態的側面も知り、上記に挙げたような自然の復元をも学問体系として習得することができるような総合的学問分野の開拓とその指導的立場に立てるような人材の育成が出来るようにすることも今後の課題であろう。

 ところで植物園の立場は、一般社会と接するという点では、東京大学内において特異である。なぜなら、今のところ学内で唯一の、入園料を徴収して一般に公開している施設であるからである。その歴史も古く明治二一年まで遡ることができる。植物園であるから、植物を見にくる人がいることは当然であるが、本館の塔の上から東京の町並みを見ると良く分かるように今や小石川植物園は大都会の“緑の孤島”ないしオアシスという様相である。このため近隣の良く整備された緑地ないし公園として首都圏の身近なリクリエーションの場になっており、学生・生徒の研修や遠足の場所として利用されている。特に花見時には一日の入場者が六、〇〇〇人を越える日も多い。このような視点からすると、植物園は近年その必要性が声高に主張されている社会教育や生涯教育に関りを持つ。残念ながら、この角度からの植物園の対応は、様々な制約から植物園機能の現状維持すらおぼつかない状況では全く対応できていないが、今後の展開を希求して願望を述べたい。入園し、園内を一周すれば植物の世界の概要が分かり、続いて映像と音声を通じて地球全体の植生についても概括が分かれば良い。時には特別企画を組むことができたら一層良い。その実現のためにば、視聴覚施設の備わったホール、簡単な実習や実験ができるような施設と要員が必要であろう。コンピューターで、知りたい疑問にアクセスできることも必要であろう。現在のところ願望には程遠いが、その一端でも実現できたらという意図で、一九七九年以来小石川植物園後援会が組織され、パンフレット類の製作、植物名を示すラベル等の製作では既に植物園と協力し、講演会等も行なっているので、今後の発展によっては上記の希望の実現されるような事態もあろうと期待している。なお、本年度はイチョウ精子発見一〇〇年記念の行事が開かれ、一般市民にも知っていただくということで国際市民フォーラムが、去る九月九日にもたれたが、この企画の発端は小石川植物園後援会としても是非この一〇〇年前の世界的業績とその発展を広く知っていただきたいという強い動機からである。その結果は、様々な要因はあったが、予想以上に市民の反応は強く、相当広範囲から聴衆が集まり、安田講堂の二階席にも相当数が見られるほどの盛況であった。このことも絡んで、今後市民一般に植物園活動の活性化と拡大のために、ボランティアの呼びかけを広範に行う必要があろうと改めて認識している。

 最後に、施設面でのこうあったらという希望の全体像を述べたいが、これは本来国立大学の施設である以上この稿にはそぐわない部分もあることは承知しているが、一般に広く問題点を知っていただくために敢えてここに述べる。これは先年植物学教室と植物園が外部評価を受けた際に得た第三者的角度の見解でもあり、さらにその提言の中心は国際的にもこの分野の最も有力な権威者であるアメリカのミズーリ植物園の園長であり、同時にワシントン大学の教授であるP.Raven氏の意見であった。まず、植物園の保有する植物標本は、開学以来の先人の貢献により一五〇万点を超え、しかもタイプ標本の数は日本に存在する総数の七〇%以上であり、世界的にも八指に数えられるにも拘わらず、保管のスペースがないという理由で狭隘な施設に、しかも二分して保管している現状である。植物標本の性質からして、生きた材料との対比が重要である以上、本来植物園にそのような施設を持つ必要があり、そうあるべきであろう。しかもかつての歴史を反映して、台湾、朝鮮、中国東北部の少なからぬ標本を保持しているという国際的性格があることは、対外的にも義務であろうし、実際、標本の借用依頼のある国々は上記の国々が圧倒的に多い。もう一点は、植物園は社団法人日本植物園協会などとも密接な関わりをもつが、そこで知った他の植物公園などの現状は一般的にいうと財政的に豊かな割には、植物の増殖などの技術レベルは必ずしも高くなく、これに対して人員削減に直面して、悪戦苦闘している小石川植物園のそのような方面での技術レベルは高く、これが絶滅危惧種の救済に役立っているが、この技術レベルの水準の維持と今後の発展には赤信号がともっているのである。つまり、日本でも極めて希有な職種である職員が営々と蓄積してきたノウハウが、放っておけば失われてしまう状況にもなりかねないからである。そのような人材も技術も途絶えてしまったらと考えると暗潅たる思いがある。また、老朽化しているため公開の制限を行っている温室の充実と公開は、もう一つのより実際的な課題である。

 従って、結語としては既に長年社会に対して開かれてきた施設としての理学部附属植物園を一層強化することは、二一世紀に向けて開かれた東京大学を目標とする際には重要な使命となろうというのが主張の骨子であり、本展示を通じてその現状について知っていただければというのが願いである。    (ながた としゆき)



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