西アジア各地における購入・採集土器

1.  標本の由来と構成

本書に掲げる土器標本の大半は厳密な入手年が明らかでない。ただし、1960年代初頭までに実施された国内での展覧会図録、あるいは調査団関連出版物に掲載された標本が含まれることから、おそらくは調査団派遣初期に集中的に得られた標本が多いと考えられる。入手経緯については、限られた情報、すなわち、添付カードや既刊出版物、また型式学的観察にもとづくと下記五つのグループに分類することができる。

第一のグループは、イラン北部、デーラマン地域で実施された現地調査時に入手されたことが明らかな標本である。デーラマンはアルボルズ山中の高原であり、1960、1964年にいくつもの古墓群の本格的発掘調査がおこなわれている(本資料目録第7部参照)。その際あわせて実施された周辺遺跡踏査時に完形土器が収集されたことが報告されている(下記文献Dailaman II, IV)。現地村人による盗掘が著しい地域であり、盗掘墓に残されていた完形土器が回収されたのである。今回報告する標本の中では、最も由来がしっかりしている土器群を構成する。

第二は、イラン南西部、マルヴ・ダシュト平原一帯で入手されたと推定されるグループである。この地域で調査団は1956、1959、1964年に発掘調査をおこなっている。調査の中心はタル・イ・ムシュキやタペ・ジャリなどの先史遺跡であり、その発掘標本は既に目録化ずみである(本資料目録第6部参照)。同時に、小規模ながらアケメネス朝時代の遺跡であるタペ・スルヴァンの発掘、先史遺跡であるタペ・ショガなど周辺遺跡の踏査もおこなわれている。それらの調査で得られたと推定される標本がこのグループを構成する。ただし、タペ・スルヴァン標本は学術調査で得られたことが確実であるが、その他の遺跡標本は購入品が含まれている可能性もある。

第三のグループはイラン各地に由来する標本で、おそらく購入されたと考えられる土器群である。当時の調査団が購入資料に付していた「コ」の記号が残る。今回のコレクションの大半がこのグループに属する。調査団は1956-57、1959、1960、1964、1965-66年の五次にわたってイランを訪れているから、そのいずれかのシーズンにおいて入手されたのであろう。調査団が訪れていない地域に由来する作品も含まれること、また作品の状態が良好であることなどからみて、テヘランの骨董市場で購入された標本が多数を占めるとみられる。実際、調査団が骨董市場を積極的に訪れたことを示す記録が残っている。なかでも、1959年にテヘランの骨董屋で正倉院宝物に酷似したガラス器を見つけたことは、団員であった深井晋司らの著作を通してよく知られている(「正倉院宝物に似たカット・グラス」『朝日新聞』1959年11月11日朝刊)。

第四は、イラク、シリアにまたがるメソポタミア地域に由来すると推定される標本である。この地域を調査団が訪れたのは1957、1964、1965年であるから、その際、表面採集されたものが多いのであろう。標本の残存状況がよくないこともそれを示唆する。しかしながら、「コ」という記号が付された標本もあるから、一部には、テヘランにならぶ当時の骨董集積地のひとつ、ベイルートの市場で購入されたものが混在している可能性がある。

最後の一群は、情報不足で産地が同定できない標本である。ただし、型式学的にみて大半がイランに由来するとみられる。

さて、標本の由来はおおまかにみて上記のようなグループに区分できる。このうち、第一および第二のグループの一部の出所は確実であるが、残りは推定の域をでるものではない。これをふまえ、今回の記載にあたっては、次のような地域別に標本をならべることとした (Fig. 1参照)

それぞれの地域においては、標本の帰属年代が古い順に記載することとした。年代の表記は型式学的観察にもとづく。

2.  主な標本

今回掲載した中で圧倒的多数をしめるのは、イラン産の土器である。それらの特徴について簡単に整理しておく。図12には標本産出地として確実な遺跡ならびにその略年代を示した。

イラン産土器のなかでも、北部に由来するものが最も多い。点数の多さゆえ標本の時代幅も広く、最古の土器は紀元前5千年紀、銅石器時代にさかのぼる(Plates 1-4)。器形は単純な鉢が主だが、赤色の地に幾何学的な模様が黒色で描かれる。イスマイラバードとの記録が残る標本もあるから、こうした銅石器時代土器の多くは同遺跡で収集されたものと思われる。

一方、確実に青銅器時代に属する土器は見あたらず、続く一群は紀元前1500年頃以降に相当する鉄器時代の土器である。まず、その前半に属すると考えられるのは器面全体が黒色や灰色、暗褐色を呈するグループである(例 Plates 5-23)。彩文はほぼ皆無で、刻文や暗文を多用する。同時に器面はていねいに調整し、光沢を伴う場合もある。嘴形の注口が付く壺(例 Plates 11-14.1)やゴブレット(例 Plates 14.2-18.1)といったユニークな器形もこの時代の特徴とされる。この種の土器の出現はイラン東北部の後期青銅器時代文化が拡散した結果とする説もあるが、定かではない。次いで、鉄器時代後半になると一転、明赤褐色や橙色の色調の土器がイラン北部全域に広がるようになるが、その時期に属する土器も今回のコレクションには多数含まれている。この時期には器形や装飾が単純化していく傾向があるものの、イラン北部のなかでもデーラマン地域周辺やさらに西部のアゼルバイジャンでは依然、注口を伴う器形や刻文を多用する伝統が維持された(例 Plates 25-26.1, 34.1)。デーラマン・アゼルバイジャン地方の特異性は、さらに後の時代についても指摘できる。暗褐色で三脚が付く鉢の一群(例 Plates 42.2-46)もパルティア時代、デーラマン地域に特有で、他地域での出土は確認されていない。こうした多様な土器のほとんどは墓の副葬品として用いられていた。鮮やかな彩文やユニークな器形はそうした用途を前提としていたのかもしれない。

イラン西部産の土器は青銅器時代と鉄器時代のものに集中している。青銅器時代資料の中心をなすのは、当該期にイラン西部全域に広がる淡黄褐色彩文土器群である。テペ・ギヤンとの記録が残る一群の土器がその典型である(例 Plates 51-55.1)。大型の壺と三脚付ビーカーが目立ち、ともに様々なモチーフが描かれている。なかでも鳥文(例 Plate 51.1)と称される文様は紀元前3千年紀末葉に特徴的なものである。これら壺の彩文は徐々に単純化していく傾向があり、直線や曲線のみで構成されるものはやや時期が新しい。三脚付きのビーカー(例 Plates 55.2-57.1)も同様、この彩文土器群のなかでは末期に近い前2千年紀以降に出現する器形とされる。

イラン南部から得られた資料は相対的に少数ながら、新石器時代から歴史時代までと幅広い。もっとも古い新石器時代に相当するのはマルヴ・ダシュト地方のムシュキ出土土器である(Plate 61.1)。ムシュキで得られた土器は既に目録化しているが(本標本資料目録第6部)、今回、1959年の試掘時に得られた土器標本を一点追加して掲載している。この地域由来の資料としては、ムシュキの北方、近接するタペ・ショガ採集土器が最も充実している(例 Plates 61.2-65)。この一群は主に前2千年紀半ば、後期青銅器時代に年代付けられる。彩文土器と無文土器からなり、特に前者は上記したイラン西部と同様の彩文土器文化がイラン南部にまで広がっていたことを示す点で興味深い。マルヴ・ダシュトよりやや西方に位置するタペ・スルヴァン出土資料は、竜骨部を有する鉢である(Plate 66.1)。同様の器形は紀元前1千年紀、イランでは特にアケメネス朝ペルシャ時代以降に多く出回ることで知られている。一点のみながら当該期の特徴を有した好例といえよう。

3.  標本の記載

記載は、考古美術(西アジア)部門所蔵考古学資料目録第5部「イラク、テル・サラサート出土の先史土器」、第6部「イラン、マルヴダシュト平原の先史土器」、第7部「イラン、デーラマン古墓の土器」とほぼ同様の要領でおこなったが、出土層位などの情報を欠く標本が多いため記載項目に若干の変更を加えた。凡例は以下のとおりである。

(1)図版番号
(Plate)
本書の図版番号。
(2)標本番号
(Specimen No.)
今回の作業にあたって新たに割り当てた個体番号。
(3)入手方法
(Category)
購入品(purchase)、採集品(surface collection)、発掘品(excavation)の三者に分かたれる。既刊出版物、付随していたカード、注記などにもとづいて判断したが、不明のものはそのむね(uncertain)記した。
(4)注記番号
(Field No.)
今回の作業以前から標本に注記されていた番号。
(5)品名
(Description)
今回は土器の分類名。
(6)遺跡/地域
(Site/Region)
原則として既刊出版物、付随していたカード、注記などにもとづいて判断したが、一部、型式学的に推定したものも含まれる。
(7)時期
(Period)
型式学的に判断した標本の時期。
(8)サイズ
(Size)
最大高と最大径を0.1cm単位で計測。
(9)写真
(Photo)
今回新たに撮影した写真の登録番号を記した。かつて撮影された写真のネガが判明しているものについては、括弧内にその注記番号も記した。
(10)出版物
(Publication)
既刊刊行物に図示されている場合、調査団関係者が刊行したものに限ってそのむね記した。記載は下記の略号に基づく。
 
Dailaman II江上波夫・深井晋司・増田精一 (編)(1966) 『デーラマンII:ノールズマハレ、ホラムルードの発掘 1960』 東京大学東洋文化研究所/ Egami, N., S. Fukai and S. Masuda (1966) Dailaman II : The Excavations at Noruzmahale and Khoramrud, 1960. Tokyo : The Institute of Oriental Culture, The University of Tokyo.
Dailaman IV深井晋司・池田次郎 (編)(1971) 『デーラマンIV:ガレクティ第II号丘、第I号丘遺跡の発掘 1964』 東京大学東洋文化研究所/ Fukai S. and J. Ikeda (1971) Dailaman VI : The Excavations at Ghalelkuti II and I, 1964. Tokyo : The Institute of Oriental Culture, The University of Tokyo.
Fahlian I新規矩男・堀内清治(編)(1963) 『ファハリアンI : タペ・スルヴァンの発掘 1959』 東京大学東洋文化研究所/ Atarashi, K. and K. Horiuchi (1963) Fahlian I : The Excavations at Tape Suruvan in 1959. Tokyo: The Institute of Oriental Culture, The University of Tokyo.
『イラク・イラン発掘展』東京大学・朝日新聞社主催(1958)『文明の起源をさぐる -イラクイラン発掘展(東京大学遺跡調査団成果報告)』の図録(東京)
『世界考古学大系第10巻』江上波夫編(1959)『世界考古学大系第10巻 西アジアI:前第3千年紀まで』平凡社
『古代イラン展』東京大学・朝日新聞社主催(1961)『シルクロードの遺跡 -古代イラン展』の図録(東京)
『ペルシャ美術展』朝日新聞社主催(1961)同名展覧会の図録(東京)
『オリエント七千年展』東京大学イラク・イラン調査団/中日新聞社主催(1966)『オリエント七千年展』の図録(東京ほか各地巡回)
(11)備考
(Notes)
そのほか参考事項。標本には過去の整理過程で作られたシールやメモなどが付随しているものが多数あったため、それらの情報を記録した。「旧カード」としたのは、かつて作られたA4版の標本カードである。
(12)所見
(Observations)
標本の観察所見を英文で記した。


Fig. 1   Map showing the Iranian sites and major provinces mentioned in this catalogue.

1. Buya, 2. Omam, 3. Kandesar, 4. Siak, 5. Arushaki, 6. Ghalekuti I, 7. Tomadjan, 8. Ismailabad,
9. Tepe Giyan, 10. Susa, 11. Tape Suruvan, 12. Persepolis, 13. Tape Shoga, 14. Tall-i Mushki




Fig. 2   Provisional chronology of the Iranian sites that yielded pottery described in this catalogue.



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