はじめに

江上波夫本学名誉教授(1906-2002)が収集した考古・歴史系学術標本の一部が、2003年から2007年にかけて総合研究博物館に寄贈された。

江上教授と言えば、いわゆる日本国家の起源にかかわる騎馬民族征服王朝説の提唱、あるいはユーラシア大陸各地で実に70年間ほども続けられた広範な歴史・考古系フィールドワーク主宰者で知られる。1991年には文化勲章を受章なさったユーラシア人文科学の泰斗である。

その長い研究者生活で集められた学術コレクションは、教授の研究スケールと同様、規模において通常の研究者が想像できる域を超えている。総合研究博物館が既に保有する数十万点におよぶ国内最大の西アジア考古美術標本は、そのほとんどが教授の東京大学東洋文化研究所在職中に将来された資料群である。また、東京大学奉職前に東アジア各地で集められた標本群は在職中に東洋文化研究所に寄贈されている。さらに、私的収集品、東京大学退職後の学術調査収集品は、1970年代から1980年代にかけて設立、展示品収集にご尽力されたオリエント博物館、中近東文化センター、岡山市立オリエント美術館、そして生前の寄贈コレクションをもとに2000年に設立された横浜ユーラシア文化館など、国内多くの博物館・美術館の主力展示資料を構成している。コレクションの総数は未だ知れない。

今回、ご遺族より寄贈された標本群は、教授が終生、手元にとどめおかれたコレクションの一部である点、ユニークである。総数は約6000点であるから莫大な「江上コレクション」のごく一端でしかないが、論文に使われた原標本、原資料を含む点、また、おそらくは私的愛着をも持っておられた標本群であろう点など、既存資料とは異なる性質をもつ。本書には、そのうち、1930年から1944年にかけて実施された内蒙古学術調査での収集品と考えられる標本群を収録した。戦後、ユーラシア各地で大きく開花した江上式海外学術調査の原点ともいえる調査の収集品である。いまや得難い学術標本であることはもちろん、騎馬民族征服王朝説の立案過程などを知るための学史的資料としても活用の価値はきわめて高いと言いうる。

貴重な標本群を寄贈くださったご遺族、なかでも江上幸子、江上綏両氏には心より御礼申し上げる。標本整理にあたっては、江上綏氏に縷々、ご教示いただいたほか、松谷敏雄、平?隆郎、久米正吾、内田和典氏らのご協力を得た。掲載図版の一部(Plates 65-104)は上野則宏氏撮影によるものである。

また、多岐にわたる標本の学術的な名称や各国語で記された採集地の地名判読などにあたっては、多くの専門家のお手を煩わせた。主な方々のお名前を次に記し、お礼とさせていただきたい。井上治(島根県立大学)、尾崎孝宏(鹿児島大学)、田中公明(財団法人東方文化研究会)、津村眞輝子(古代オリエント博物館)、畠山禎(横浜ユーラシア文化館)、松田訓典(東京大学東洋文化研究所)、松川節(大谷大学)、三宅伸一郎(大谷大学)。にもかかわらず誤りがあるとすれば、それは編者らの責任である。

本書作成にあたっては平成22年度総合研究博物館プロジェクト経費を使用した。


 東京大学総合研究博物館
西秋良宏

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