揺れ動く「真」と「贋」


磯貝友紀 大学院人文社会系研究科・文化経営学
寺田鮎美 大学院人文社会系研究科・文化経営学
山崎和佳 文学部・美術藝術学
近藤由紀 大学院人文社会系研究科・文化経営学



 私たちは日常の生活を営む中で「これが本物かどうか」と問いかけることはめったにない。ごくまれに、いつもと異なる光沢の硬貨に「これは贋金ではないのか」と疑いを抱き、博物館に展示してある巨大な金塊を目の前にして「これは本物の金なのだろうか」と問いかける。また、ごくごくまれにふと「この世界は本当に存在しているのだろうか」と現実感を喪失した問いを発してしまったりもする。しかし、こうした経験は、日常生活の中心部分ではない。私たちは普段、本物でも贋物(にせもの)でもない与えられたままの現実を生きているのである。

 だが、「これは本物である」と意識することもなく信じている「本物」は意外にも容易に「贋物」へと変わりうる可能性を秘めている。本物と贋物との境界線のこの揺れ動きを浮かび上がらせることが本展覧会の目論見である。

 さて、日常生活の中では周縁に位置するこの「これが本物かどうか」という問いは、先に述べた三種、すなわち、「これが贋金かどうか」という社会的レベル、「これが本物の金かどうか」という科学的レベル、そして「これが本当に存在するのかどうか」という存在論的レベルに分けることができる。本展覧会は、特に第一の社会的レベルに足場を置きつつ、「本物」という概念がこれら三つのレベルにまたがり如何に曖昧なものであるかを問いかけるものとなっている。この第一のレベルに足場を置くのは、このレベルにおいて「本物」概念のはらむ問題点が顕著に表れるからである。そこで本稿でも、「これは本当に存在しているのか」あるいは「これは本物の金か」という問いは脇に置いて、「この物が贋金かどうか」というレベルに重心を据えつつ、「真贋」が時代や文脈によってどのような原理で揺れ動いてきたのかを明らかにしたい。

 確かに「これは本当に存在しているのか」あるいは「これは本物の金か」という問いに対しても当然、認識論的な懐疑を差し挟むことができるだろう。しかしそうだとしても、これらの問いに対してはある程度、普遍的な答えを出すことができる。「これは本物の金か」というプリミティヴな「本物」概念から、化学、物理学、数学等を含む科学は科学的「真」の概念を抽出してきた。この「真」に対する対概念は「偽」であり、この「偽」概念は「贋(にせ)」ではなく「誤(あやまり)」の概念とほぼ重なるものである。科学が人間という不確かな要素を排除する手続きを要請するものであることから、この科学的真偽の概念は行為者や人間社会を考慮することはない。これが金であることが科学的に真であれば、人間が存在していようがいまいがこれは金であるし、数学のこの公式は、誰がどこで用いても真である(先に述べたように、認識論的な懐疑をはさむことは不可能ではない)。

 それに対し「真贋」概念は人間から切り離された超越的「真偽」の概念とは異なる。貨幣を用いる人間社会があってはじめて「贋札」があり得るのだし、「ひまわり」を描くゴッホがおり、その絵を傑作だと認める人々がおり、さらにそれを真似ることで金儲けをしようと試みる者がいてはじめて「ひまわり」の贋作が生まれるのである。「真贋」は「真偽」と異なり限りなく人間の営みに密着している。「これは贋の金だ」というときには、この目の前にある金属の塊が科学的に金ではないという事実にではなく、金ではない金属を用いて利益を得ようとした誰かが存在し、自分はそれに騙されたのだ、という点に重点は置かれているのだ。もし逆にこの金に似た金属塊を造ることが非常に困難であり、かつそれが金よりも美しく、あるいは金よりも有用であったとするならば、同じこの金属塊は「贋の金」ではなく「本物の○○」となるはずである。だからこそ「贋」の対概念としての「真」は超越的な科学的「真」概念よりも脆弱な基盤しかもっておらず、真贋の境界線はその置かれた文脈によって、いつでも揺らぐ可能性を秘めているのである。

 この揺れ動きは、「贋」概念が基本的に三つの要素をもち、その三つの要素のうちのどれに重点が置かれるのかが文脈によって変化することによる。これらの要素の中で、最も中心的であり、この概念から最も引き剥がしにくい要素が「類似性」である。視覚に訴えるものであれ、聴覚に訴えるものであれ、模倣行為そのものであれ、類似していない「贋物」を私たちはイメージすることができないだろう。

 しかし、当然のことながら、類似性だけでは「贋」とは言えない。貨幣は皆、同じ外見をしているが、それらは「贋金」ではない。贋金が「贋」であるのは、第一にこれが社会制度から明らかに逸脱しているからであり、第二に、その逸脱が過誤によるものではなく意図的になされたもの、悪しき意図に基づいてなされたものだからである。もし、ある貨幣が過誤により規定の金属含有量を満たしていなかったとしたら、それは贋金ではなく「不良貨幣」である。つまり「贋」の概念は類似性を軸に、社会的合意を得た「社会制度」からの逸脱、プラス悪しき意図という要素をもっているのである。

 「贋金」においては、「贋」概念のこれら三つの要素が典型的に表れる。それに対し他の場面では、これらの要素それぞれが特化していくことが多い。

 たとえば「贋詩人」、「贋芸術家」というとき、私たちは、彼らが生み出した作品そのものではなく、彼らが作品を生み出すその姿勢自体を問題としている。どれだけ美しい言葉が連なっていようとも、どれだけ美しい色形が舞っていようとも、作者の汚れた意図、例えば、名声を貪欲に求める姿勢や虚栄に満ちた態度などは、美しい作品の価値さえ汚すのである。

 さらに、悪しき意図があれば、その結果がどれほどすばらしいようにみえても実は「贋」である、という意識は裏返せば、「悪しき意図」のない模倣は「贋」ではないということになる。だからこそ、悪しき意図と結びつかない模倣は現代芸術の中でパスティッシュ、パラフレーズ、アプロプリエーション等と分類され、「贋=フェイク」とは区別されるのである。ここに私たちは「社会的基準からの逸脱」から解き放たれ、「行為者の悪しき意図」のみに特化した「贋」の概念をみることができる。

 また、他方で、「社会制度」からの逸脱という側面にのみ特化していく「贋」の概念がある。その典型が著作権である。著作権とは、何が「贋」であり、何が「真」であるのか、人が法という制度の下に線引きするものである。そこでは「悪しき意図」はしばしば姿を消してしまう。悪意がまったくなかったとしても、既存の曲に酷似したメロディーを作り出した場合、著作権の侵害であると訴えられ、敗訴する可能性があるし、逆に、悪意に満ちていたとしても、法に触れさえしなければ、盗作に限りなく近い「別の作品」を作ることもできるのである。

 このように時代や文脈によって揺れ動く複雑な「真贋」概念を考えるとき、ひとつの足場を与えてくれるのが「コピー/複製」概念である。確かに「これは○○のコピーにすぎない」というように、「コピー」という言葉は負の意味に用いられることもある。しかし、「コピー」という概念は他の概念、たとえば「イミテーション」や「フェイク」などの概念に比べ、こうした負の意味合いから比較的、距離をとりやすい。そこで本稿ではこうした正負の色合いを帯びない中立的な「似たものを作り出す」行為、およびその結果としての像を指す概念として「コピー/複製」概念を用いたい。この中立的な「コピー/複製」という概念によって「贋」と隣り合い、いつでも「贋」に滑り落ちる可能性のある、模倣、ミーメーシス、イミテーションといったさまざまな概念同士を橋渡しすることができるだろう。

 以下、この中立的な「コピー/複製」概念を軸に、「コピー/複製」する行為およびその結果として現れるものが時代や文脈によってどのように正や負の色を帯びてきたのかをみていきたい。
(磯貝友紀)



古代「ミーメーシス」から中世「イミタチオ」へ


 「コピー/複製」は西洋古代・中世において、古代では「ミーメーシス」(μíμησιs)、中世では「イミタチオ」(imitatio)という「模倣」の概念の文脈で語られてきた。模倣とは「ある存在の、ある在り方を模範として、それに倣うこと、および、その結果として生み出されるような模像関係と模像そのもの[1]」であると定義される。「コピー/複製」は、何らかの模範であるオリジナルを模倣することによって生まれてくる。その模範に対する模像たる「コピー/複製」は「贋物」あるいは少なくとも「本物ではないもの」として、オリジナルよりも価値的に劣っているとみなされるのが普通である。それは目に見えるものを写し取ることで「コピー/複製」を生み出す模倣に対して、目に見えないものを有形化する、すなわちオリジナルそのものをつくりだす「表現」あるいは「創造」という概念が対置されていることによる。そうであるならば、オリジナルに対して価値的に劣る「コピー/複製」を生み出す模倣にはどのような意味があり、またどのような価値があるのだろうか。模倣は古代ギリシアから存在した概念であるが、時代あるいは置かれた文脈によってさまざまに変化してきた。模倣という概念を考察することによって、単純な二元論によってオリジナルの下位に置かれた「コピー/複製」という存在の見方に新たな光が当たるのではないだろうか。そこで、「ミーメーシス」および「イミタチオ」という西洋古代・中世における模倣の概念を取り上げ、そこにみられる価値の問題について考えることにしたい。

 ギリシア語の「ミーメーシス」は「模倣」「再現」「真似」「模写」「描写」「表現」「同化」「演技」「猿真似」「ものまね」「踏襲」「制作」など、多様な訳語をもつ言葉である。それはミーメーシスの語義が広汎にわたることを表している。たとえばミーメーシスの用いられる手段、ミーメーシスするものとされたものの関係、ミーメーシスを行う諸技芸の位置づけ、ミーメーシスの仕上がり具合などミーメーシスが問題とされる場面はさまざまであり、話題や主題の置きどころによってミーメーシスの意味合いは変化する。つまり、ミーメーシスという語の使われる目的が場面ごとに異なっているために、ミーメーシスの意味の多様性が生じているのである。

 ミーメーシスの語源にあたる「ミモス」(μιμοs)はアイスキュロス(Aischylos 前520—456年)のサテュロス劇『エードノイ』に初出したとされており、ある楽器の音が雄牛の鳴き声を模すの意であった[2]。すなわちミーメーシスの原意は楽器や身体を使って何かを真似ることであり、その真似るという行為を表していたことがわかる。この真似るという行為は、特にミーメーシスの出来・不出来に関わる技術的な価値に主眼を置く場合を除けば、負の価値的意味合いをもつものではなかった。例を挙げるなら、下手な役者のミーメーシスはそのミーメーシスの技術の未熟な結果から「猿真似」として負の価値を付与されるのに対し、本当に猿の真似をするというようなミーメーシス自体は模倣行為として価値中立的な意味にとどまるのである。

 このようなミーメーシス概念に負の価値づけを行ったのはプラトン(Platon 前427—347年)であった。プラトンは『国家』第3巻第8〜9章で守護者の教育について語っており、その中で「いかに語るべきか」という叙述の形式について論じている。プラトンは単純な叙述と真似(すなわちミーメーシス)を通じた叙述という二つの形式を挙げ、後者を行ってはならないものとして退けている。なぜなら立派ですぐれた人物の語り方は単純な叙述であるのに対して、つまらぬ人間ほどあらゆるものを模倣し、ミーメーシスを多用した叙述をするものと考えられるからである。さらに詩人批判を行った第10巻第1〜8章では有名な寝椅子の例を挙げ、次のように説明する。すなわち実在としてただひとつしかない寝椅子のイデアを作ったのは神であり、それに基づいて寝椅子を作るのは職人であり、さらにその職人の作る寝椅子を描くのが画家である。したがって、画家が寝椅子を描くミーメーシスとは、職人がそのイデアに対して行ったミーメーシスのミーメーシスであり、真実から遠ざかること三番目のものである。つまり画家と同じく自分の目に映る事柄を語る詩人というものはイデアから隔たっており、真のものの在り方を知っているとはいえない。それゆえ詩人の行うミーメーシスによって真実が正しく語られることはないとプラトンは批判する。以上のように、プラトンは形式としてのミーメーシスそのものを問題とし、原則として行ってはならない行為としてミーメーシスを価値づけた。この論は、しかし、ミーメーシスの内容や対象に関わるものではない。なぜなら、優れたものは真似るべきであり、劣ったものは真似るべきではないという実用的なレベルを超えた、原則のレベルにおけるミーメーシスの価値づけだからである。プラトンはそれ以前のように結果の技術的な出来・不出来に関係なく、ミーメーシスという模倣行為自体を劣悪なものとし、ミーメーシスに徹底して負の価値を負わせたのである。

 一方、アリストテレス(Aristoteles 前384—322年)は『詩学』の中で、プラトンとはまったく反対に単なる模倣行為を超えたものとしてミーメーシスに新たな価値を付与している。まずアリストテレスは第4章において、ミーメーシスという模倣行為は人間の本性に根ざした生まれつきの自然な傾向であり、すべての人間がミーメーシスされたものを喜ぶことも自然な傾向であるとしている。第6章の悲劇の定義においてもまた、悲劇とは一定の大きさを備え完結した高貴な行為のミーメーシスであり、個々の人間のミーメーシスではなく普遍的な行為と人生のミーメーシスであると定義づけている。すなわち、アリストテレスは個別的な出来事を語るにすぎない歴史に比べてそうあるべき可能的事柄をミーメーシスする悲劇を評価し、ミーメーシスに真のものの在り方を示す本質提示の動きを認めた。このようにアリストテレスによって芸術創造とミーメーシスが結びつけられ、ミーメーシスに普遍性という新たな価値が与えられたのである。

 ミーメーシスが担っていた模倣概念は、時代が下るとラテン語の「イミタチオ」という語によって担われることになる。しかし、イミタチオそれ自体はプラトン的な負の価値を負うものでもなく、芸術理論においてもアリストテレスのミーメーシス概念にみられたような積極的な意味合いをもつことはない。たとえば、ホラティウス(Horatius 前65—8年)の『詩論』309〜322には詩作のために人生を忠実に模倣すべきであると述べられている箇所があるが、ここにみられる模倣概念はたんに真似をするという意味にとどまっている。

 イミタチオにおいて注目すべきは模倣自体の価値づけではなく、模倣すべき対象すなわち「模範」の存在である。模範は単なるものとものとの模像関係においては価値的に優位に立ち、模倣に顕著な価値的劣性を与える。だが、行為としての模倣は決して模範に対して価値的に劣ることはなく、むしろその模倣行為にこそ価値が見出される。なぜなら、模範を目指して行う模倣行為はその望ましい事柄を自分のものにする手立てとしてあるからである[3]。その代表的な例として挙げられるのは「キリストの模倣」(Imitatio Christi)と呼ばれるものである。直観的に信徒が皆でキリストの身振りを真似し再現した使徒時代から、パウロによってキリストおよびキリストのしるしを帯びた者としてのパウロ自身を模倣することの勧めが広められた[4]。そして、4世紀の教父時代に入り、初期キリスト教の教義に神学的統一が与えられ、教会組織が確立すると、キリスト者の信仰の論理として殉教を理想とし、キリストの受難を真似ようとする「キリストの模倣」が見出されるようになった。そこで模範とされたのはキリストの生全体における態度であったが、その模倣は決してイエスの生涯を「ものまね」することではなかった。人々は身体的な行為の模倣を通じて精神的にキリストに近づこうとしたのである。そのような模倣においては結果としての模像関係ではなく、模倣のプロセスに価値があるとみなされる。その価値とは、模倣によってキリスト者の信仰の理想に到達しようとする確固たる目的に支えられているものである。したがって、中世後期に史的イエスに関する研究が進み、イエスの聖なる人間性への信心が高まるにつれて「キリストの模倣」が文字通りのものまねへと進むと、模倣のプロセスにあった価値は急速に失われていくことになる。ミサの中ではすべての所作がキリストの生の何らかの場面を模倣しているものと解釈され、巷では熱狂派のグループが公衆の面前で血の流れるまで鞭打ちの苦行を行った。ここではもはや、信仰の理想としてのキリストを模範とし、それを目指すという目的が失われている。このような模倣は、イエスその人のものまねでしかなく、目に見える像と像との模像関係に堕するものであった。

 また、中世キリスト教世界は神秘主義の傾きもみられる。目に見えない世界とその精神的な表象作用に注目が集まるなか、特に芸術の分野では現実を模倣するという理念そのものがすたれていく傾向にあった。その後、模倣概念はルネサンスにおける人文主義において、再び人間とその現実への関心が高まることによって復活するが、模倣にプラトン的負の価値づけをもたせるか、アリストテレス的な積極性を与えるか、あるいはたんに真似るという価値中立的な意味のままにするかという論争はすたれることがなかった。また美学においては古代・中世、さらに近代に至るまで自然模倣の概念が問題にされていく[5]。そして19世紀以降、イミタチオを語源にもつ西欧語圏において「真似」「模倣」(imitation(英)、imitation(仏)、Imitation(独))はネガティヴな意味合いを強め、芸術に対して使用することができなくなったとされる。というのも芸術におけるオリジナリティ概念の成立によって、もっぱら模倣が本物でないものを指すのに用いられるようになり、模倣を取り巻く価値づけがすべてマイナスに転化したからである。それから区別するために、ミーメーシスは特に芸術の文脈において、「表現」「表象」(mimesis)という語として再び機能していくことになる。それはアリストテレスのミーメーシス概念を敷衍し、ある意味誤用したともいえる創造性を伴うものであり、もともとの模倣行為という意味からはかけ離れた概念となっている。

 以上のように、古代「ミーメーシス」から中世「イミタチオ」へと続く「模倣」の概念をみていくと、模倣自体の価値は従来の単に真似るという中立性とプラトン的負の価値を付与されたものとアリストテレス的な積極性を帯びたものに大別できる。そして、模倣自体の価値が中立的であっても、特にものとものとの模像関係ではなく模範に倣う行為としての模倣に注目した場合、その模倣のプロセスに積極的な価値が見出されることがある。このことが表しているのは、模倣がオリジナルより下位の「コピー/複製」を生み出すという近代的なネガティヴな文脈にのみあるのではないということである。また、模倣によって生み出される「コピー/複製」も「贋物」として一律に価値的に劣ったものとみなすことはできないのであって、それぞれの「コピー/複製」の状況における模倣のあり方に注目することによってオリジナルとはまったく別の価値を獲得することがあり得る。このように模倣とはオリジナルと「コピー/複製」をつなぎ、ときにそれらの価値の転換を起こすという意味において、まさに本物と贋物のはざまにある概念であるといえる。
(寺田鮎美)



近代オリジナル神話の成立


 現在では模作や複製品、コピーなど、他人の作ったものを「コピー/複製」して制作されたものは価値が劣るとみなされることが多い。このことは特に芸術作品において顕著である。たとえば、模写が、元となったオリジナルよりも高い評価を与えられるようなことはほとんどないし、多くの場合、複製品や模作などには元となったオリジナルの単なる代替品としての役割しか与えられない。「コピー/複製」に対してこのような低い価値づけがなされるのは、現代において「オリジナリティ」(独創性)をもつことが作品の一つの重要な価値基準となっていることを背景にしている。「オリジナリティ」とは「芸術家の並外れた創作力が作品のうちに記す新しい、類例のない、個性的な性格[6]」であり、それゆえオリジナリティをもつ作品に対する賞賛はそのまま作品を生み出した作家に与えられている。模作や複製品などに対して低い価値しか与えられないのは、「コピー/複製」によって作られたものがオリジナリティという価値をもち得ないからである。

 しかし、オリジナリティ概念が西洋に登場するのは人間個人の創造力に対する認識が徐々に高まっていく近世以降のことである。作品や作品を制作するということは、それ以前の西洋世界においては今と異なる枠組みで捉えられており、現在のような「オリジナル」と「コピー/複製」という二分法に基づく価値づけは存在していなかった。そこでここでは、西洋中世から近代にかけての作品制作概念の変化をみていくことで、「オリジナル」と「コピー/複製」という二分法がどのように成立していったのかを明らかにしたい。

 オリジナリティという概念が作家の精神に根拠を置くものである以上、その大前提となるのは人間の精神に創造の力を認めることである。しかし、西洋古代や中世においては人間に無から何か新しいものを生み出すような力はないと考えられていた。何か物を制作するという行為は超越的に存在しているイデアを模倣することであるとされており、たとえば一元的な神的権威に支配されていた中世においては、バラの花を描くという行為も自然の中にあるバラを写生することではなく、制作者の心の中にはじめから存在しているイデアを目に見え、手で触れる物体へ投影する行為であると考えられていたのである。人々は芸術家の「イデアを可視化」する行為を通じて、偉大なる神の創造行為を少しでも理解可能なものにしようとしていた。それゆえ結果としてあらわれた作品よりは、可視化の過程のほうが重要視された[7]

 作品制作が超越的な模範を模倣する行為であると考えられていた時代には、当然、制作者個人の個性や独創性というものは制作にあたってほとんど必要とされず、むしろ重要視されたのはイデアの忠実な再現を可能にする「技術」であった。このことは当時数多く著された芸術論の内容をみても明らかである。そこには材料についての知識や製図法あるいは建築物を建てる際の足場の組み方など、実際的な作業に必要な知識や指示だけが述べられており[8]、絵画や彫刻、建築などの造形芸術が純粋に技術に基づいて行われていたことを示している。

 また、画家や彫刻家などの造形芸術家に与えられた社会的地位も今とはまったく異なるものだった。純粋に技術に基づいて作品制作を行っていた彼らは自立した芸術家というよりも手の技に携わる職人とみなされていた。そして古代から中世の西洋世界には知的活動を重んじ肉体労働を低くみるような職業観が存在していたため、造形芸術家も社会的には低い身分にあるとみられていたのである。中世からルネサンスにかけては画家や彫刻家も家具等を作る者と同じ職人として都市の職人組合に所属し、工房において注文を受けながら作品を制作していた。当時の作品注文の契約書や工房における制作の様子をみると、現在との芸術家概念や作品概念の違いは歴然としている。まず作品に対する権利は芸術家ではなく注文主に属していた。たとえば当時の注文書には作品の上に描かれる内容、主題から使う画材にいたるまで、細かい指示が記載されていた[9]。また現在では完成した芸術作品に対して、制作者以外の第三者が改作の手を加えることは一般的には許されていないが、当時は注文主がそのような改作の指示を出すようなこともしばしばみられた。そしてそのような場合も、職人としての意識しかもたなかった当時の芸術家は指示に忠実に従っていたのである。

 工房に所属する画家や彫刻家の修業も技術本位で行われており、弟子に求められていたのは工房の師匠のもつ技術を完璧に身につけることであった。中世の工房制度の中で修行期を過ごした画家のチェンニーニもその絵画論の中で、画家の修業はまず絵具などの素材のことや技術のことなどを一定期間かけて学び、その後師匠の作品の模写を繰り返し、その技を完璧に身につけることが重要であると述べている[10]。そして師匠が一人前であると認めてはじめて、職人としての技術は保証されることとなった。工房での作品制作は、こうして同じ技術を身につけた職人たちの共同作業の中で行われることが多かった。

 現在でも家具など一定の技術に基づいて製品として制作される物においては個々の差異があまり知覚されないが、それと同様な意識で制作されていたこの時代の絵画や彫刻も、個々の作品が独立した唯一の存在として認識されることは少なかった。絵画などのモティーフは何度も繰り返し描かれたし、客からの注文を受けて一度制作した作品の模作が作られたりすることも度々あった。絵画や彫刻などの作品は一種の手工芸品であり、芸術家は一定の技術によってそれを制作する職人であるというのが世の中の共通した認識であったため、作品も作家も現在のように社会において自立した存在とはなり得ず、個々の作品に対して「オリジナル」として独立した価値が与えられることはなかったのである。

 それではどのようにして作品と作家との結びつきが強く認識されるようになり、作品に「オリジナル」という価値が生じるようになったのだろうか。そこに大きく関わっているのは、近世以降の人間中心主義の世界観への転換である。ルネサンス時代、西洋社会は一元的な神的権威の支配からの脱却を始め、人々は人間自身の精神の力に対して自負を感じるようになっていった。そのような動きの中で造形芸術家たちの意識も徐々に高まりをみせていた。彼らは自らの社会的地位向上のため、芸術を単なる手の技から知の領域へ引き上げようと造形芸術の理論化を進めた。造形芸術作品の制作は単に伝統的に伝えられる技術に則って行われるものではなく、芸術家自らが自然を注意深く観察し、自然の中に存在するとされる絶対的な美を忠実に模倣し再現していくものと考えられるようになった。そのため芸術家たちは自然を成り立たせている法則を解明し、作品に再現するための方法を確立しようと、自然法則の研究や解剖学、遠近法などの研究も進め、造形芸術は単なる手の技から学問的知に基づいて行われるものとなっていった。

 ところが自然の注意深い観察は逆に芸術家に自然の多様性と、作品の規範とされた「美」という価値の相対性とを気づかせることとなった。デューラーは絶対美や完全美といった表現は人間精神を超越し、「すべての美の主」たる神にのみ知られるものであり、人間の眼には好みに従い、また条件の変化によって多様な形状をとって現れるという認識をもつに至る。また、レオナルド・ダ・ヴィンチは一つの「美」というものはなく、美しい顔や判定者が複数あるようにたくさんの美があることを強く主張し、各人がそれぞれの性向に従って、多数の美の中にたくさんの変化ある美を判別するだろうとした[11]。絶対美の存在を認めていた者の主張をみても、絶対美の模倣と表現の背後に人間の精神が関与していることを否定することはできない。15世紀の画家アルベルティは絶対美の存在を認め、その模倣を行おうとした者の一人である。彼は、絶対美というのはただ自然をそのまま写し取るだけでは再現できないと考えた。そこで古代ギリシアのゼウクシスが五人の美女を集め、それぞれの美しい部分を選択し構成することで絶対美を体現する美女の像を作り出したように、自然のさまざまな部分から選び取った「美」を構成して絶対的な美を表そうとした。しかしそのためには自然の中に存在する美を注意深く選択していかなければならないと同時に、選択した美を構成していくことも必要であり、結果的には人間の意図や精神が大いに関わることになるのである。

 自然の中に存在するとされてきた絶対的な「美」という規範の基盤が揺らいでくると、徐々に芸術家の精神の構想を生み出す力の重要性が認識されるようになっていった。自然を範とせずに、作り出すもののイメージとしての「想」(idea)を芸術家自身の精神によって生み出すことが称揚されるようになっていったのである。自然を単に写し取るのではなく、芸術家自身の精神が新たな構想を生み出すことを高く評価する思想は15世紀のニコラウス・クザーヌスの思想などにもみられる。しかし、芸術家にそのような「想」の力がはっきり認められ評価されるようになるのは16世紀から17世紀にかけてのことであった。この時代、芸術観の中心に存在し、思想の転換を導いていったのは「デッサン」(disegno)の概念だった。「デッサン」の語は素描としての「デッサン」と作者の「構想」という二つの意味を含んでおり、芸術家の精神の中に生まれた意図である「想」を素描の形で現実化することを表している。造形芸術作品の制作において芸術家の精神の「想」を生み出す力が重視されるようになったことで、技術的完成度が作品の価値を定めるのではなく、芸術家の「構想」を現実化するという部分に価値が見出されるようになったのである。それまでの時代にまったく価値が見出されなかった素描や未完成の作品にも高い価値が与えられるようになったこともそのような価値観の変化を物語っている。こうした精神の「想」の力を重視することは作品制作における自然模倣の契機を弱めることともなった。たとえば、ラファエッロは自然の中に散らばって存在している多様な美を選択していくことは困難であるため、そのような美を選択していくことをやめ、「純粋に自分の精神の中から生まれ出てくる想の力を用いる。この想自体の中に卓越性があるかどうか、私にはわからない。しかし私は努力によってその卓越性をうるようにするのである[12]」と述べている。ここでは「想」を案出しそれを現実化することのほうを、自然の中に存在する美を選択しつつ模倣することより重視するようになった態度が現れてきている。すなわち、作品制作においては発明(inventione)こそが第一の目的となり、「模倣」と作品の完成度を高めるための技術の高さや入念さは評価の対象ではなくなったのである。

 芸術家の想を案出する精神の力の重視は、作品の制作において生得的な才能が後天的な研鑚によって身につく技術よりも重要であるという見方も生んだ。芸術家になれるのは天からしかるべき才能を与えられた者であり、想を案出する際には「霊感」が芸術家の精神を満たしているというのが、16世紀から17世紀にかけて広まっていった芸術家観であった。創作における「霊感」の契機は古代に知的な芸術と認められていた詩人の詩作に対しては認められてきたが、ルネサンス以降の画家や彫刻家などの地位向上に伴い、創作における「霊感」の契機が彼らにも認められるようになった。そしてそのような「霊感」を与えられた者としての芸術家は「天才」あるいは「天才」を与えられた者とみなされるようになる。生得的な才能に基づき、霊感に満たされて作品を生み出す芸術家の創作行為はここにおいて神の創造に比され、芸術家は「第二の神」であるとする見方が生まれた。こうして芸術家は作品制作におけるこの神的な霊感の契機によって職人と区別され、特別な位置づけを与えられるに至った。

 一方、15世紀の版画の登場も芸術家が社会における独立性を獲得するのに大きな役割を果たしている。同一の作品を大量に生み出すことができる版画技術の登場は作品を注文主との一対一の関係から解放する。そのため芸術家は注文主の意図と関係なく自分の意図に従った作品制作ができるようになったのである。

 芸術家が作品制作における霊感の契機によって徐々に神にたとえられていく動きは、近代に入って個人の精神を尊重する動きが強まるとともに、芸術家をさらに神格化する傾向を生んでいった。この動きは特に、ロマン主義の流れの中で急激に進行する。近代において芸術家は「外的な規則や理論を当てはめることができない」ような創造力に基づき、作品を作り出しているとみなされるようになった。この時期の芸術家の伝記などには、自分の天賦の才能に翻弄されながらも作品を生み出し続ける天才的な人物として描かれた芸術家像を見出すことができる。芸術家は研鑚によって身についた技だけによってではなく、天才として、生得的で普通の人の力をはるかに超えるような個人の創造力によって作品を生み出す者であると考えられたのである。そして人々は芸術家個人を神格化し、その並外れた創造力に対して手放しの礼賛を送るようになった。作品においても、その「物」よりも、芸術家の内なる創造の過程にこそ人々の興味が向けられるようになる。オリジナリティ(独創性)という概念は、まさに作品を通してそれを生み出した作者へもまなざしを向けるような姿勢が生まれた近代に確立したものである。西洋語におけるオリジナリティの語がそもそも「源泉(origin)の、あるいは源泉に属するもの[13]」の意味をもっていたように、この概念は対象とされるものの源泉に注目し、その独自性に根拠を置くものとして成立してきたものである。天才としての芸術家が生み出した作品が独創性をもち、模倣不可能であるというのもまた、人々の注目が物としての作品だけでなくその創造行為に向けられたからであるといえる。

 作品におけるオリジナリティ(独創性)の重視は作品と作家の結びつきを強固にする。作家の精神の卓越した創造力によって作り出された作品はそのまま作家の精神の表出とみられるようになり、作品は作家に帰属するものと考えられるようになった。しばしば作品を前にした人がその背後に作家の意図や思想を見出すような鑑賞態度をとるのも、そのような作品概念が根底に存在しているからである。また、作者の作品に対する権利を守るための著作権などがつくられたこともその現れであるといえる。

 こうして近代に成立した作品概念は、その価値を作品の「物」としての側面だけでなく、その内に現れた思想や、背後に存在する作家の精神の力においている。このことは、現代に向かっていくにつれ、さまざまな矛盾も生み出すことともなっている。

 作家の精神や意図を絶対的なものであるとする概念のもとでは、作品は基本的に作家の承認があってはじめて完成した作品と認められる。作品に付された作家の署名も、現在では作家が直接にその完成を認めた証として重要な意味を与えられ、作家の意図を証するものとしてオリジナルを絶対視する価値観のもとでますます権威を増していく。その結果、版画など複数のオリジナルができる複製芸術において、署名の有無がオリジナルの価値を左右するという事態が生じてくる。複製芸術では同一の版から作られたものはすべてオリジナルといえる。しかし、版画作品にも署名を行うという規定ができた途端、署名がないものはオリジナルであっても「真の」オリジナルではないというような状況が生まれてしまうのである。また、作品制作における作家の意図を重視する思想のもとでは「コピー/複製」自体がオリジナルの作品の中に取り込まれるようなことも生じ得る。現代芸術などにおいては他人の作品からの引用やコピーを用いて作品を制作するようなこともよくみられるが、「コピー/複製」であっても作家の意図がそれを選び作品の制作に用いたという点でオリジナルの作品を構成する要素として認められる。

 こうしてみてくると、絶対的なものと考えられていた「オリジナル」と「コピー/複製」の区別は、時代ごとの思想変化の中で生じてきた恣意的なものであり、「オリジナル」の根拠の変化によって揺れ動くあいまいなものであることがわかる。そして現代、複製技術を含めたさまざまな技術の登場などにより、作品と作家の距離が疎遠になると、作品と作家の結びつきに根拠を置くような近代的作品概念とそれに基づく「オリジナル」と「コピー/複製」の境界線はさらに大きく揺らいでいくこととなる。
(山崎和歌子)



現代における複製の多様化と多元化・多義化


 複製および複製物に対する概念規定およびその用語は時代とともに変化し、多様化してきた。その結果、現在では文脈や筆者によってその用い方もさまざまである。その要因としては複製技術の発展による複製および複製物の多様化あるいは芸術作品における「コピー/複製」および引用の多様化を指摘することができるだろう。

「コピー/複製」には二つのレベルがある。第一は人が人の行為を真似るという意味での行為概念であり、これはそのオリジナルと複製物の相似あるいは類似の度合いが重視されるのではなく、真似て学ぶ(まねぶ)というプロセスが重視される。第二は結果として現れた物と物、像と像との関係をいう記号概念であり、これは結果として生じた像とオリジナルの像との相似関係を重視するものである[14]。この二つのレベルは区別されなければならないが、一方で容易に切り離すことができないほど密接な関係にもある。特に芸術創作の場面では、真剣にある手法を真似ぼうとすればするほど、その像と像との相似関係は強くなる。また創作手法としての引用行為はその両者にまたがった行為であるといえる。

 したがって、ここでは行為概念のレベルと記号概念のレベルで分類するのではなく、こうした「コピー/複製」を別の切り口から分類することにより、言葉の多元化・多義化について論じていきたい。

 言葉を整理する上でオリジナルをコピーして別の何かを生み出すという一般的に行われる行為を広義の「コピー/複製」と言い換えたが、「コピー/複製」という行為をどの切り口で分類するかによって、その行為あるいはその結果生じる対象に対してさまざまな語が用いられ、また同じ語がさまざまな意味をもち得る。しかしどの場合においてもすべてその結果生じる対象が何らかの目的をもつ。そこでここではまず、オリジナルをコピーして別の何かを生み出すという一般的に行われる行為をその目的によって分類してみた。すると、次のような五通りの分類を考えることができた。

 第一は、技術習得のためのコピーである。これは伝統・文化の継承および方法論の習得を目的にしている。こうしたコピーは一定の表現力および技術力を達成し、過去の芸術作品やある技術を自らのものとして理解し直すことを目的とする。そしてその行為は行為者の文化的選択や歴史に対する姿勢とも結びついている。そのためさまざまな教育の場での「コピー/複製」は、ある造形技術を後世に伝え、教授する目的で行われるため、手本となる作品は文化的にある時代を特徴づけるような作品が対象とされる。これらはオリジナルの忠実なコピー、あるいはときにはその行為者の個性が付加されたコピーであり、こうして生み出された対象物の例としては作品における「習作」等を挙げることができる。

 第二は、教育・啓蒙のためのコピーである。これらはオリジナルと異なる媒体が用いられることもあるが、表面的にはオリジナルにきわめて忠実なコピーがなされる。それはコピーされた対象物を介してオリジナルのもつ情報を伝達し、ある程度の理解および知識の習得が目的とされているからである。こうして生み出された対象物の例としては、ファクシミリ、芸術作品等の図版、雛形、マケット、出版・印刷物、機構モデル、教材レプリカ等を挙げることができる。

 ここで「レプリカ」という語を提示したが、レプリカという語はローマ時代にはギリシア彫刻の模刻を意味し、ルネサンス期には原作者自身あるいは同一工房によって制作されたオリジナル(原作)の写しを意味しており、それらはオリジナルとほぼ等価と考えられていた。ポンペイの遺跡発見によって考古学に対する関心が急速に高まった18世紀になると考古学資料としてのレプリカ、すなわち同一工房あるいは同一作者によらないレプリカが制作されるようになった。このときの「レプリカ」という語は、オリジナルの表現方法および内容を再現するために制作された対象に対して用いられた。現在では一般的に「レプリカ」という語が用いられる場合にはこの最後の語法が広く用いられている。しかし芸術作品の複製物に対しては、ルネサンス期の定義が用いられることもあり、文脈によって注意すべき用語の一番代表的な例であるといえるだろう。

 第三は、芸術等の創作活動の一部として行われる「コピー/複製」である。その目的は作品の創作である。制作者はオリジナルである対象からインスピレーションを得たり、それをイマジネーションの源として利用する。こうした「コピー/複製」は、自然模倣から派生した古典的な芸術の本質規定に則った作品制作、本歌取りのような知識、教養の発露としての引用、あるいはパロディ、パラフレーズといったモダニスト的知の現れとしての引用に至る芸術創作の一技法である。またこれにはモダニスト的な「知」とは関係なく、現代芸術作品にみられるような世間に氾濫する、ときには商業的な現代の共通のイメージを利用するシミュレーション・アート、ポップ・アートと呼ばれる、ほとんどオリジナルの剽窃からなるような現代のあらゆる創作活動をも含む。

 男性用小便器を逆さにしR. Muttと署名しただけのあまりに有名なマルセル・デュシャンのレディ・メイド作品《泉》の例は、こうした現代芸術における引用の最初の例としてしばしば持ち出される。1917年制作のレディ・メイド作品《泉》がアンデパンダン展から拒否されたことへの匿名の抗議文(雑誌《The Blind Man》)の中で語られたデュシャンの言葉は、こうした現代の剽窃に近いコピー手法を用いた芸術作品の正当性を主張している。デュシャンはいう、「マット氏が自分の手でこの泉をつくったかどうかということは重要なことではない。彼はそれを選んだのだ。彼はありふれた生活用品を取り上げ、新しい観点のもとに、その実用の意味が消えてしまうようにそれを置いたのだ。つまりその物体のために新しい思想を作り出したのだ」[15]と。こうして生み出された対象は、オリジナルをコピーしたもの、あるいはそのレプリカや大量生産品が用いられているが、そこに制作者の意図や思想が加えられることによって、コピーされた対象とは別の「芸術作品」としての存在価値が付加された対象になる。

 第四は、科学技術的な利用を目的とした「コピー/複製」である。たとえば、あるデータを採取するために、現実を模倣する状態を作り出し、その推移を観測する技術であるシミュレーション技術やそれらを利用して作られるヴァーチャル・リアリティ、遺伝子情報システムを活用することにより、より大容量の情報処理を可能にするバイオ・コンピュータ等を挙げることができる。これらの目的は現実をコピーした仮想現実を作り出し、そのコピーされた現実の中で現実に近いさまざまな行為を行うことを目的としている。

 第五は、市場で流通することを目的とした「コピー/複製」である。これは蒐集趣味から派生したコピーであり、そこでは当然のことながら忠実さが求められる。芸術作品の「コピー/複製」の起源は古代ローマにおけるギリシア時代の作品蒐集に遡る。ギリシア時代の作品は不動産に近い美術品であったため、これらを模することで動産化し、蒐集することは、ギリシア世界の全体像の把握にも役立てられていた。

 市場で流通することを目的とした「コピー/複製」について考える場合、次の二つについて考えることができるだろう。一つはある対象(あるいはある図柄)に対する需要の増大から発生する商品として複製芸術作品の問題、そしてもう一つはこうした需要と供給のバランスの崩れ(希少性等を含む)から発生する悪しき意図をもつ人間の制作品としての「贋作」の問題である。

 一般に始めから数多く生産されることが意図されている版画や鋳造彫刻などは複製芸術(リプロダクション)とよばれ、模刻や模写とは区別される。そしてそれらはたとえ別の作者によって描かれたオリジナルが別の彫り師・摺り師によって版画化されたとしても、それぞれの名前が明記されている限り、版画作品としての真正性に問題は生じない。リプロダクションは、ある一つの図柄に対する正確なコピーを求める市民層の増大に伴い15世紀に盛んになった。当初はある原画の模写を制作することが版画を制作するときの基本的な意図である場合、この版画に対して「複製版画」(reproductive engraving)という用語が用いられ、原画を描いた画家と彫版した彫り師あるいは擦り師が同一である場合は「創作版画」(creative engraving)という用語が用いられ、両者は区別されていた。しかし版画技術が進むにつれて、オリジナルの作者が描いた図柄を簡単にそのまま版画にすることができるようになると、次第にこの区別はなくなり、版画のような複製芸術全般に対してリプロダクションという言葉が用いられるようになった。

 しかしひとたびこれらが年代や制作者を偽り、鑑賞者や蒐集家を欺くことを目的として制作された場合には、贋作と呼ばれる。贋作は、流通市場と蒐集趣味の発生とともに出現した。これらの現象が顕著になったのは、ポンペイ遺跡の発見により考古学に対する関心が急速に高まった18世紀であり、贋作が欧米の有名な美術館に収蔵されるという事件は枚挙にいとまがない。しかし、いずれにしても制作者が他の芸術家やオリジナルに倣って作った写しである複製物は、誤解もしくは故意によって真作として流通しない限り、贋作と区別される。しかし現在では贋作家の技量は、その贋作すべき作品の外見的に忠実な贋作を時代の流行に沿って作るだけにとどまらず、作品の素材から本来の制作工程の復元、あるいはその老朽化の過程に至るまで、さまざまな贋作制作技術を進歩させ、その作品をある意味洗練させる能力を高めている。

 以上のように「コピー/複製」概念は目的に応じて多様である。「レプリカ」という語が目的に応じてさまざまな意味をもつようにその意味範囲は多様である。そしてこうした事例は特に芸術作品において顕著である。その理由は、それがどういったレベルで分類されたかによってその語が示す意味が異なるからである。

 たとえば複製芸術の場合、その複製対象の素材によって分類がなされる場合がある。「リプロダクション」という語は、広義では芸術家以外の第三者によってさまざまな方法を用いて制作されたオリジナル作品の「コピー物/複製物」を指すが、素材による分類によると、リプロダクションという語は平面的な版画や絵画を印刷技術によって再現された対象物について用いられる。これに対し、レプリカは彫刻、工芸等の三次元的な対象について用いられ、リコンストラクションは建築の複製(復元/再興)について用いられる[16]

 またオリジナルと複製された対象との「類似性」のありようによって定義される場合もある[17]。この場合、同一の作者によって複製化された作品でも、オリジナルと複製品の類似のレベルによって、レプリカ、ヴァリアント、ヴァージョンなどと区別される。たとえば前出のレプリカは現在一般的にはオリジナルの表現方法および内容を再現するために制作された対象に対して用いられることが多いが、この分類に従うとレプリカとは同一作者あるいは同一工房によって再生産された作品を意味する。その類似のレベルはオリジナルに忠実に再制作された対象に対して用いられる。そして順にヴァリアント、ヴァージョンとオリジナルとの類似のレベルが低くなっていく。また原作者あるいは同一工房以外による複製化では何をコピーするか、またどのようにコピーするかによってマルティプル、パスティッシュ、パロディ、パラフレーズ、アプロプリエーションと区別される。マルティプルとは立体的な芸術作品で量産された作品を意味する。したがってオリジナルと複製という関係は存在せず、換言すればすべてがオリジナルである。現代芸術におけるマルティプルは鋳造彫刻のようにエディションなどで数量を制限しないこと、さまざまな工業的過程によって生産されることが意図されており、原作者はその青写真のみを提示する場合もある。

 パロディとパスティッシュは現在では共に似たような引用の一形式として認知されがちであるが、オリジナルをどのようにコピーするかによって適用される用語が違ってくる。パロディが「批判的距離をもった模倣」であり、形式的に他者の模倣であるばかりではなく、明白に内容の問題と関わっており、「皮肉な『文脈横断』(trans-contextualing)と転倒をもった反復」と定義されており、パロディされた作品とオリジナルのテクストとの関係は変形的であり、対象とされたテクストと作品の間にはアイロニーを含んだ距離があることがその特徴として挙げられている[18]

 一方パスティッシュは、パロディとテクストの関係が差異の強調であるのに対し、パスティッシュされた作品とテクストの関係は模倣的であり、対象としたテクストとの差異よりも同一性が強調される。パスティッシュの場合はパロディと異なり、模倣に嘲笑的な意図が含まれない。したがって、プルーストによるとパスティッシュは「賞賛的批判」と呼ばれる[19]。また、アプロプリエーションのように他の作者の作品をそのままコピーし、自らの作品として提示する剽窃行為も現在ではその意図が明確にされている限り、芸術制作の一技法として認知されている。

 このように現代芸術においてはコピーが盛んに行われており、いまやオリジナルの忠実なコピーであっても、年代や制作者を偽り、鑑賞者や蒐集家を欺くことを目的としない限り、贋作とは呼ばれない。たとえば先ほどのパスティッシュは、元々「さまざまな断片からなる絵画あるいはデザイン。オリジナルに部分的修正を加えてコピーされた絵画あるいはデザイン。または他の芸術家のもつ様式の公然の模倣、あるいはそのような絵画の様式」[20]と定義されており、ある作家の様式を真似て似たような作品を作り出すことや、有名作家のいくつかの作品の部分的要素を借用してあり得べき作品を制作する贋作制作の一技法でもあった。しかし現在ではオリジナル作品を選択的に利用しつつ、オリジナルのテクストとの同一性を強調しながらも意味のズレを提示してみせることにパスティッシュの作品制作の一技法として価値が付与されている。このように、かつては贋作の一技法であった手法でさえも、現代芸術においては芸術制作の一様式として認識されている。

 こうした現代における「コピー/複製」の多様化には高度に概念的になった現代芸術の問題が含まれている。そこにはロマン主義以降のオリジナリティに対する過度の信頼感やアヴァン・ギャルド運動を価値づけていた「新しさ」に対する不信感の問題も含まれている。それはマルセル・デュシャンが「画家の用いる絵具も既製品であり、したがって芸術とはすべて既製品である」と述べたように、絵具のみならず、芸術家の感覚や思想さえも決して既成のものから自由ではあり得ず、芸術家のオリジナリティなどもはや存在し得ないという芸術概念への問いかけ、あるいは「芸術家の独創性」といった一種の神話に対する不信に由来する。こうした芸術作品における「コピー/複製」あるいは引用の多様化の動きは、ロマン主義以降、われわれの中に深く浸透しているオリジナル神話を崩壊させようとする動きと呼応している。

 一方である対象をインスピレーションの源として利用したり、人々の共通のイメージとして他の作品を自らの作品の中に利用したりすることは、決して新しいことでなく、それが自然の景色などと違い、われわれがこれまで考えてきた芸術作品において見慣れない対象を利用しているだけのように思われる。しかしマイク・ビドロがピカソの絵画を忠実に再現し(剽窃/アプロプリエーション)、《これはピカソではない》というタイトルを付してマイク・ビドロの作として世間に提示した作品を見るとき、われわれはそこにもはや技の鍛錬と追求だけでは成立し得ない現代の芸術制作およびその存在の困難さの表れをみることができるだろう。そしてまた同時に、そうしたさまざまな試みから現代における技を離れた芸術の可能性の追求をみることができるだろう。現代芸術をめぐる諸現象は、「オリジナル」とは何か、そもそも「オリジナル」と「コピー/複製」という二項対立が成立し得るのかという問題を再び提示している。
(近藤由紀)


【註】

[1]佐々木健一『美学辞典』東京大学出版会、1995年、45頁。[本文へ戻る]

[2]アイスキュロス「エードノイ」(逸身喜一郎・川崎義和・高橋克美訳、『ギリシア悲劇全集10』岩波書店、1991年、89〜94頁)はギリシアの北方に住むエドノス人の王リュクールゴスがディオニュソスの祭儀を侮辱したために罰を受ける伝説を扱った『リュクールゲイア』四部作の第一番目にあたるサテュロス劇であるとされる。しかし、現在では一部の断片しか残されていない。その断片はディオニュソスとその一行のキュベラ到着場面の一部分であるとされる。加藤好光は「弦楽器がかき鳴らされて雄叫びが上がり、どこからか隠れた所から雄牛の鳴き声をしたそら恐ろしいミモイ(ミモスの複数形)がそれに応える」(加藤好光「「ミメシス」の四つの意味契機——『国家』におけるプラトンの詩人批判に寄せて」、『東京大学文学部美学藝術学研究室紀要研究12』、1993年、75〜105頁、77頁、加藤訳)という「ミモス」という語の出典箇所を指摘し、これが「演技(パフォーマンス)としてのものまね」(同上、81頁)を表していたと解釈している。[本文へ戻る]

[3]このような模範に倣うという行為としての模倣は、ホラティウスが『詩論』で「夜であれ昼であれギリシアの手本を手にとって学ぶように」(ホラティウス『詩論』松本仁助・岡道男訳、1997年、岩波書店)と述べているように、古代ローマにおいてギリシアの古典を模範とした模倣概念にも見出すことができる。また、時代が下って近世には、「古代人の模倣」として古典主義理論の核心となる。[本文へ戻る]

[4]パウロは「エフェソスの人びとへ」第5章1節において「だから、(神に)愛されている子どもとして、神の模倣者になれ」(岩隈直訳註『希和対訳註つき新約聖書9パウロ獄中書簡』山本書店、1980年、116〜117頁)と述べている。また、「テッサロニーケーの人びとへ(第一)」第1章6節においては「そして君たちは、非常な苦難の中に聖霊による喜びをもって御言葉を受けいれ、わたしたちおよび主の模倣者となった」(岩隈直訳註『同6パウロ初期書簡』山本書店、1977年、10〜11頁)とし、自らをも模範として示している。なお、引用文中の「模倣者」はいずれもミーメーシスの同族語である「ミーメータイ(μιμηταí)」である。[本文へ戻る]

[5]この問題はアリストテレス以来の「芸術は自然の模倣である」という命題に端的に表されている。[本文へ戻る]

[6]相賀徹夫編『日本大百科全書』16巻、小学館、1987年、903頁。
[本文へ戻る]

[7]エルヴィーン・パノフスキー『アルブレヒト・デューラー——生涯と芸術』中森義宗・清水忠訳、日貿出版社、1984年、249頁。[本文へ戻る]

[8]エルヴィーン・パノフスキー『アルブレヒト・デューラー——生涯と芸術』中森義宗・清水忠訳、日貿出版社、1984年、249頁。[本文へ戻る]

[9]ブルース・コール『ルネサンスの芸術家工房』越川倫明・吉澤京子・諸川春樹訳、ぺりかん社、1994年、97—100頁。[本文へ戻る]

[10]竹内敏雄『美学事典』弘文堂、1961年、494頁。[本文へ戻る]

[11]竹内敏雄『美学事典』弘文堂、1961年、278頁。[本文へ戻る]

[12]佐々木健一「近世美学の展望」、『講座美学1 美学の歴史』今道友信編、東京大学出版会、1984年、111頁より引用。[本文へ戻る]

[13]Ed. C.T.Onions, The Shorter Oxford English Dictionary on Historical Principles, Oxford University Press, Oxford, 1978, p.1464.[本文へ戻る]

[14]佐々木健一『美学辞典』東京大学出版会、1995年、45頁。[本文へ戻る]

[15]『マルセル・デュシャン語録』瀧口修造訳、1982年、美術出版社。[本文へ戻る]

[16]室伏哲郎『版画事典』東京書籍、1985年、469頁。[本文へ戻る]

[17]前田富士男「アーカイヴと生成論(Genetics)——『新しさ』と『似ていること』の解読にむけて」、『ジェネティック・アーカイヴ・エンジン——デジタルの森で踊る土方巽』慶應義塾大学アート・センター、2000年、89—91頁。[本文へ戻る]

[18]リンダ・ハッチオン『パロディの理論』未来社、1993年、78—90頁。[本文へ戻る]

[19]リンダ・ハッチオン『パロディの理論』未来社、1993年、78—90頁。[本文へ戻る]

[20]Ed. Harold Osborne, The Oxford Companion to Art, Oxford University Press, Oxford,, 1970, p.819.[本文へ戻る]



前頁へ   |   表紙に戻る   |   次頁へ