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[ニュースという物語]


西郷星地落人民之口
図254

西郷星地落人民之口

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
西郷星が地に落ちたということは、自刃のニュースを受けたものであろう。この錦絵でも、さまざまな職業の人々の西南戦争という出来ごととのかかわりをとりあげている。

西郷星地落人民之口

楠正成星/「よくきけよ西郷吉之助御身ハ/わかいじぶんから天朝をおもひ/忠義無一にてミなかんしんせぬ/ものなくことに正三位までにいたり/われわれはじめよろこび勤王一等/なりとおもひのほかこのたびの/ぼうきよハなにごとぞいくさハ/われわれよりつらハあれどぞくの/名義ハ万世までのこるハアア/清麻呂君かなしいかなしい
山師/「西郷さんもつとがまんしていくさを/やつてくだされバいいのにここが/かんじんさうばがさがると/たいへんたいへんしんだいかぎりを/してもおいつかねへエエエエ/ざんねんざんねん
おいらん/「ああいそが/しいこといそがしいこと一トばんに二十/人ぐらゐのまハしチヨツ巡査の/御方なら日夜ハおろかねるめも/ねずにおるふしきにくがいもいとひま/せんしかしいくさがおさまれハミなはんが/おくにへおかへりなんすのでこころぼそい/いくさがどんどんあれバいいんでありんす
小ぞう/「いくさがもつとあれバいい店ハいそがしいし/ふくハとんとんミしんでしたてそのいそがしいまぎれにぜにをもらつて使の/たびにかひくひができるこんないい事ハ/あるまいがアア小ぞうみやうりが/つきたのかどうぞいくさの/あるやうにしておくれ
こんさい/「西郷大明神さま西郷大明神さまあれほどおねがひ申上/ますいくさがながくだんなハうちじにを/なさつたらかわいい男とそひ/ぶしをしてきかい■おるハもち/ろんそうなりますれバかねの/とりゐオツトわあしハうそつきで/とりゐがありません/かねかしにでもなり/ませうこんや諸工人「このあいだうちのいそ/がしさおふくろも大きに/よろこんでゐたがいくさが/おさまれバ/だんだん/ひまになる▲/▲ことかな/ハぬもうすこし/どんどんやつて/くだされバ/いいのに

はいたつ/「貴社なぞハせんそうからいそがしいこといそがしいこと/ぼくも同きりがましはいたつハほねが/をれるがイヤもうかねがはいるのが/うれしいなんでも新聞というからめづらしく/づどんとめさきがかわらなけれバ/いかねへ

賊魁 西郷隆盛 輔首 新政厚徳

清正/「西郷がしろをかこんで/二十四度セめるしの原/ろうぜうをしてふせぐは谷君の/はたらきさすが陸軍になたけ/又一ツにハわがはいのきづきし城ハいかが西郷氏どうだネヘエヘン
けん下の百姓/「西郷が/わしらのけん下/へおしこんできて/でんちでんはたハふミあらされうちハ/やかれてしまひ/ほんにミづ/のミ百せうに/なつてしまつた/くやしいくやしい
ばばア/「おらがたつたひとりのまごをかハい■■/たのしミにしているうちおかミから兵たいに/めされなきのなミだで出たがこんどの/いくさにしんでしまつたこれも/西郷のおかげであるくやしくツてならぬアアかなしいやかなしいや/

平将門星/「アラうれしやうれしやよろこ/ばしやおとにきこへし/西郷をとふとふぞくに/引すりこミうち死を/させたうへからハ/身どももぞくの名ハ/こうせいまでこうせいまで
紀友/「おれも九州でハながく/たたかひミつ仲はじめなやまし/名を万代にのこしたが/西郷氏にハとても/およばん
商人/「わたくしどもはじめしよ商人は/西郷がとんだことをしだした/からあきなひはひまだし/ゆうづうハきかずイヤイヤ/もうよわきりました/このいくさがながくつづい/てハひものになるところ/だツた
おツかあ/「ちやんやはやくこないか/西郷ぼしがおちたおちたうちじにの/とき首がないといふはなしだが/そらの中ハ大へん大へんからだが/かくれてくびばかり/ミへる
シイレ画工「ぼくなんぞハてんぐをいふが/人がかくものをもらてこんにハ/へいこうへいこう家内おほでハ/あるしうまい酒一ツぱい/のむこともならぬモウ/てんぐもよそふエヘンエヘン
ねこ/「わたいらもいくさからすこしも/おきやくハなしぜいハおさめ/なくツてハはらずおツかあ/にハ小ごとをきくし/こんなばかばかしい/事ハない
大工/「おれなんざアせんそうこのかた/ひまなことひまなこと火事があつても/たれもふしんハせずイヤもう/よわりきったぞペランメイ車ひき/「イヤモウひまで/ひまでいくさ/からこまな/きる車のはだいハたまるし/おやかたにハせつかれ/がきにハなかれ/このとふり/やせたいま/いましい

あずま新聞 第一〇〇号附録

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
明治二四年五月一日のあづま新聞の付録。画中の西郷が読んでいるのは「あづま新聞」で大見出しは「条約改正論 大井憲太郎」とある。西郷が野に下り、西南戦争を起こすにいたった経緯と、明治二〇年代の条約改正論とが重ね合わせられ、西南戦争の際に生まれた西郷生存説のうわさ話の枠組みのうえに描きこまれている。

あずま新聞 第一〇〇号附録
図255

隆盛冥府大改革
図256

隆盛冥府大改革

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵この世での改革ができなかった西郷が、地獄の改革を行うという発想を錦絵にした。こうした西郷人気は、やがて西郷はまだ生きてインドやロシアにいるという生存説のうわさの基礎になっていく。生存説は、郵便報知新聞などの新聞が世の風説をとりあげ、さらにそれが引用され話題になるという形で、何度かくりかえされた。

隆盛冥府大改革

閻王怒テ曰今東洋ノ一隅日本ノ西端ニ/生ヲ保ツ西郷隆盛ハ過年月照ト共ニ我冥/府へ移ラントスレ共隆盛一人未命数尽依テ當/府ハ入籍ヲ不許且勤王ノ強志有ルヲ以人ヲシテ/助ケシメタリ於是一新ノ際大ニ用ラレ昻登数度ニシテ/今日陸軍大将大任ニ登リ又参議ヲ兼タリ然/ルニ彼逆謀ヲ企テ官軍ニ抗スルノ色アリ速ニ/討スベキノ所彼命数未タ尽ズ冥府拘引成/難シト雖又萬民ノ困脳ヲ打捨ベキニモ不有/依テ四五名ノ鬼員ニ命ジ隠ニ生命ヲ害スベキ/ノ令ヲ伝ヘテ沙婆界へ送レリ爰ニ隆盛ヘ/数月ノ戦争昼夜ヲ不分ルニマドロムコト無シニ熟/睡ノ夢ニ四五名ノ鬼卒来ツテ我生ヲ害ハント/ナスト見テ夢覚タリ概然トシテ衆賊ニ向ヒ我/今日マテナス所大ニ小論タリ明日ヨリ攻道ヲ/転セント是即明治十年九月二十四日鹿児島近傍/ノ城山ニ於テ勢ヲメテ冥府尋問ノ筋アリト称/シテ惣勢一時ニ黄泉県ヘト出発シ冥府ニ達シ是ヲ/陥シ閻王ヲ圧倒シ我今ヨリ永ク冥府ノ王タラント


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