[ニュースという物語]


戦争と災害

戦争や震災という社会大のできごとは、人々の想像するという実践に共通の焦点をあたえることで、話題が交わされ物語が流通する大きな情報空間をつくりだす。ニュースを伝えたのは確立しつつあった新聞だけではなかった。かわら版や錦絵の力を織り交ぜつつ、たとえば新聞付録という場において、ビジュアルなイメージが創造された歴史もまた、メディア史に付け加えられなければならない。

東京日々新聞 第六百八十九号

東京日々新聞 第六百八十九号

戊辰の上野戦争がなぜこのときに描き直されてくるのか。高畠自身の関心や彰義隊の七回忌という供養の区切りももちろん重要であるが、この錦絵発行の届が出された明治七年の一〇月には、台湾とのもうひとつの戦争が人々の関心のなかにあったことも無視できない。

東京日々新聞 第六百八十九号

戊辰の役方公を誤て上野山内に屯集し。/王師に抗して斃れたる。彰義隊等が七回の忌日営む本年/五月。清水堂の施餓鬼に納る有志の輩が資金に換え。伝聞/たる其時の軍談をかき輯め。松の落葉と題したる。拙き著述も亡魂を/弔慰む端となりもせバ、追善供養と/思ふも鈍まし

東台戦記の記者/高畠藍泉誠

図257

東京日々新聞 第七百十二号
図258

東京日々新聞 第七百十二号

台湾との戦争を、三枚続の錦絵にしている。戦いそのものは明治七年の五月で、改印は同じ年の一〇月である。戦争はひとぴとのまなざしが焦点を結ぶ、巨大な事件であった。

台湾新聞牡丹征伐石門進撃
図259

台湾新聞牡丹征伐石門進撃

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
同じ戦争を、芳年もまた三枚続の錦絵にしている。形式としては、東京日々新聞錦絵が作った新聞錦絵の基本型と異なっているが、時期的には芳年自身が郵便報知新聞錦絵にかかわる以前のものと思われるので、もうすこし広い文脈に位置付けるべきであろう。「台湾新聞」と題している点も興味ぶかい。

旅順口攻撃之図
図260

旅順口攻撃之図

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
日清戦争の旅順口攻撃(明治二七年一一月)の一場面の情報をまとめている。この図は、戦に臨んだ将校の下画になるもので、天下にこれ以上正確なものはないと解説している。左の布陣の図解には、かわら版から続く情報の形式を感じさせる。

熊本付近官軍賊軍陣所図

熊本付近官軍賊軍陣所図

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
西南戦争の情報であるが、形式としては御固め図につながるかわら版を彷彿とさせる。『読売新聞』第六一六号付録として付けられたものである。

図261

定遠轟沈

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
日清戦争の威海衛での海戦を扱っている。定遠は、清国がドイツに注文して建造した軍艦であった。『東京日々新聞』の第七〇〇〇号付録。小代為重の油絵を写真製版したとある。

定遠轟沈
図262

旅順方面敦要塞陥落

旅順方面敦要塞陥落

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
日露戦争のさいの旅順攻撃の図。『東京日々新聞』の第一〇〇〇〇号付録。五姓田芳柳画。

図263


前のページへ 目次へ 次のページへ