ロゴ

[ニュースという物語]


鹿児島新誌 八号

鹿児島新誌 八号

玉江ハ鹿子嶋旧藩児玉八之進が/妻にて姑在世の節ハ能く孝療を尽し病中の看病等閑ならず/終にはのなへ果たる嘆きて寝食/を廃す其後尚も夫に仕ふるに/操正しく戦地へ趣たる日より/只勝利を祈るの外に念なく留守/を守りて居たりしに豈計らん山鹿/にて/夫討死と聞よりも狂気の/如く逃嘆に迫り書置を認め親/里へ一僕に持せ遣り其夜一ト間/に入りて自害せしとハ鳴呼/可惜此貞婦可憐此烈婦

長谷川一嶺記

図250

鹿児島各県 西南珍聞第五号

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
赤枠は新聞錦絵で確立した形を引用したものであろう。明治一〇年七月。松本平吉は、文化頃から活躍していた絵草紙屋で、『東京各社選抜新聞』というシリーズの版元でもある。

鹿児島各県 西南珍聞第五号

隆盛ハ其前旧知事君御直なる/探索方を勤居たる故国中の/地理ハ勿論諸国風土ミな/胸中にありて天資卓/絶なり殊更和漢洋の/学に/通じ▲/▲報国の志ざし厚く幕吏の為に/洛東の月照と倶に種々の艱苦を受■/遂に実功を貫き戊辰江戸操込の際勝安房を言伏難なく江戸城を/受取奥羽の戦ひを経て北海道に出張なし旧幕の英士を降伏なさしめ/全平定に及ぶの功莫大なるを以て陸軍大将参議を兼正三/位に任ぜられしが征韓論の合ざるより職を辞し帰県なし/田野に耕し楽ミ居しが明治十年二月上旬私学校生徒を/始め其余数名暴挙を企中原を捕縛し口実の証等と/虚謾の浮言を名義となし自ら大元帥と名のり/大軍を肥豊へ繰出し官軍に抗じ賊名/を受ると■も各所の激戦に数月を/送る中左の詠吟ありしよし/魁新聞に出たり/民草ハ萎ミゆく世に花荊刺もて人を何とがむらん/九重の御階の桜ちりちりて/国を守りの人やなからむ

鹿児島各県 西南珍聞第五号
図251

絵入新聞の投書 最期星
図252

絵入新聞の投書 最期星

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
東京絵入新聞の投書の文章をそのまま載せ、さらにさまざまな職業の民衆の西南戦争に対する声を描いている。この多声的な表現形式それ自体は、鯰絵に見られたものと近い。

絵入新聞の投書 最期星

流星ハ即ち隆星なり「逆臣」の/其処に居て衆勢是に対ひし/より謀反と見認し図星ハ/外れず薩州を暴れ出して/五ケ国に及星雷星と轟き/しも田原坂や植木がとまり/で忽ち弱星の光りを放ち/田畑を踏荒されし人民の/大こ星も構ハず火星をしろの/金星を出せのと有頂天で/騒ぐ中に糧食も盡果て干/星になりかかつた西郷星を/敗後武士と附会て見れバ/賊勢も余程衰弱の明星と/なりて官軍の帚星で掃立られ/日向の山の端に光勢潜没しが/再度鹿児島地方に金光を/現じて火星の様に暴星を/たくましう為共近きに/全く其光りを/失なひ山間/を夜這星と/なれば賊魅の/首を切星に/して/天道星の如く/大道へ/曝す/時ハ世の/中もヅント/宵の明星と/なるべし
娘/「おやおやまアめうなほしがでたよなんたとへ/さいがうぼしだとへいままでミたこともないおほしさまだ/はやくきてごらんなさいよほしのなかに人かげが/あるとさ
御新造/「さいがうぼしのでるのハ九州のぞくとが/ほろびるずいてうだとのはなしだよそう/でもならなくツてハこしゆつてうあそバした/だんながめつたにおかへりがあるまいと/思ふといつそしんぱいでたまらないのさ
けいしや/「このせんそうがはじまつてからというものハ/いつもきうじつをあてこミのひげきやくハたいてへ/とうくへ行てこちらにハいづちのおきやくハ商人がたゆへ/なんのかのとしようばいがひまだからせにをちらさず/このやうすでながびかれてはねこのひものが/できそうだよ権妻/「わたくしなとハどちらがどうともかまい/ませんがよのなかのおだやかになつて/いいゑさのたくさんあるだんてきを/つかまへてきらくにやりたいがなに/よりののぞミです
ゑぞうしや/「いよでたハでたハなるほときんいろに/きらめきわたりほかのほしより/ひかりかうかうたるありさまさいがう/ぼしとなづけしハうまいうまい/この人のおかげでこんだハ思ひ/よらすせにもうけをいたし/ましたて
しよく人/「いやはやとんだことがはじまつたので/やくしよのふしんもきうにとまり/まちのふしんもすくなしこれでハじつに/大へいかう/記者/「このほしもしゆじゆさまざまと/なんのかのとなんくせをつけて/ぞくぞくとふでぎたなくかきちらす/もののないないハさいがうさまさまおかげて/かミかづがたくさんうりたせます/
士族/「われらハこのほしハむしがすかぬて/はやくきへぬとだんだんこちらへおはちが/まハつてくるからくいつてならぬやくめだから/こくかのためとハいふもののしんぱいしんぱい
刀屋/「このほしのおかけてはいとう以来ほとんと/はいふつと思ひきつてしまいこんだかたなも/いちじはねがはへてとんだやうすハありがたいか/二そく三文のやすねハかんしん/しないて
かうしやくし/「てんべんちゐと/いつてなんねんにハこう/いふほしがでていくつきを/へてきへるといふとハしれてハ/ゐるもののさいかうぼしと/なをつけたのハおもしろいて/わがしやちうにもこのほしの/ためにたすけられし/ものもなきにしも/あらずだ
小道具や「どうかこのほしがきへて/よのなかをおだやかに/したいものだしろものが/うれないにハまことに/きようしゆく
かしざしき/「こんどのさハぎハさておゐてこのはるの/くしよの大ぢしんこのかたくるハもさびしく/たちいきのかなハぬ所このあいだハねづミ/たいがきましたゆへすこしハいきをついたが/かごしま大じけんよりがつたりおちで/大ふさぎのそそだれなら/いいがよだれでくまります

東京絵入新聞 第六百七十七号

東京大学法学部附属明治新聞雑誌文庫蔵
東京絵入新聞に寄せられた「投書(なげぶみ)」。筆者の「梅星爺」は、戯作調の文章のなで「星」にかかわる語呂あわせを繰り返して西郷の最期を論じている。自刃(二四日)の前であるが、すでに西郷星出現のうわさが、民衆の話題としてとりあげられていることを証言している。この星の光を剣で表現する図柄は、そのまま芳虎の錦絵に引用されていく。

東京絵入新聞 第六百七十七号
図253


前のページへ 目次へ 次のページへ