前のページ ホームページ 一覧 次のページ

 

軟体動物 他


Part II


23 カイミジンコ
—過去から未来への環境指標—

節足動物門貝虫類Ostracoda集団標本
千葉県館山市・木更津市
ポールtリードル∮q
1978〜79年採集
総合研究資料館、地史古生物部門

カイミジンコとはその名のとおり、小さな小さな二枚貝のような殻を背負った、あるいは、小さな貝殻に包まれたミジンコのことである(挿図1、2)。多くは体長1ミリ以下で、節足動物・甲殻類のなかまである。分類単位の目のラテン名であるオストラコーダも、貝殻(オストラコン)と足(ポド)から名前ができている。みかけは貝殻のようであるが、おそらく2枚の殻(背甲)が折れて、くびれてできたものと考えられるので、背甲と呼ばれている。脱皮を繰り返して成長するので、殻には成長線はない。

23-1 ネオネシデアオリゴデンタータ(Neonesideaoligodentata)の解剖図(Howe, et al., 1961)。1)第1触角、2)第2触角、3)大顎、4)小顎、5)第1胸肢、6)第2胸肢、7)第三胸肢、8)生殖器官(ペニス)、9)尾叉23-2 ネオネシデアオリゴデンタータ。体長約1.0mm、油壷産。SEM(走査型電子顕微鏡)写真。

カイミジンコの背甲は石灰質でできているものが多いので、死んでも腐らずに化石となってでてくるものがたくさんある。特に、外国では石油の出る地層にカイミジンコの化石がたくさん出るので、石油の開発のためにカイミジンコの研究が進んだ。背甲には突起や網目模様などの美しい修飾がなされているものが多いので、顕微鏡の下には様々な美しい自然の造形が見られる。カイミジンコの背甲には、ちょうつがいや筋肉痕のほか、眼、付属肢、筋肉、生殖器などの背甲の内部の様子を反映していることが多いので、化石は主に背甲しか産出しないが、過去のカイミジンコの生きている様子が生き生きと復元できる。

環境指標としてのカイミジンコ

カイミジンコは水があるところにはどこでも生きており、淡水、海水、間隙水を問わない。近年のカイミジンコ研究者の精力的な研究により、日本のカイミジンコの生態はよくわかってきた。潮間帯石灰藻帯、浅海泥底、砂底、砂泥底、漸深海底、深海底等で特徴種が異なる。浅海砂底でもアマモ場のアマモの葉上に生息する種、アマモ場の底の砂に生息する種、あるいは、砂泥底の表面にのみ生息する種、少し深く潜る種等、細かい棲み分けが報告されている。

生物地理学的にもカイミジンコの分布、歴史的変遷はよく研究されている。日本列島は西太平洋の暖流、寒流の境目に位置し、その生物相は豊かであるが、カイミジンコもその例に違わない。寒流系(親潮)のカイミジンコは広く、ベーリング海峡から、アラスカ沖まで分布し、過去の日本列島が寒かったときには、日本全島をおおうことになる。暖流系(黒潮)のカイミジンコはインドネシア近海から、南シナ海、東シナ海を通って、日本列島太平洋岸まで分布している。過去の日本列島が暖かかった時期には、日本列島全域をおおうことになる。この暖流系のカイミジンコは源流をテチス海まで遡れると考えられる。

このようにして、カイミジンコは、過去から動いている大地の重要な環境指標となる。その例として、『房総半島南部の完新世カイミジンコ』(Frydl, 1981)と『房総半島北部の後期更新世カイミジンコ』(Yajima, 1981) の研究を紹介する。

房総半島南部の完新世カイミジンコ

房総半島南部は元禄地震 (1703) や関東大地震 (1923) のような最近の大きな地震によって、大きく上昇している(挿図3)。館山・沼地域には完新世の珊瑚礁が地上に見られ、最近の地殻変動の証拠の例としてよく引かれるが、その精密な海水準変動はよくわかっていなかった。そのために、14C年代測定法で絶対年代は多く得られているのだが、それが地史復元に有効に利用されない。サンゴの生息した水深がよくわからず、サンゴ礁の不規則な分布も解析されていなかった。また、一般に古生物学的研究は100万年単位の生物の進化の変遷をたどることが多く、1000年あるいは1万年単位の古生物学的研究は少ない。全世界的に見ると、完新世の堆積物は現在海底、あるいは、地下にあり、ボーリング資料による研究が大半を占めているので、地上堆積物による完新世の古環境解析は重要である。

23-3 房総半島南部の海成段丘の分布(Frydl, 1981)

この海岸段丘は9000年前から5000年前の縄文(フランドリアン)海進時の堆積物よりなる。この堆積物に豊富に含まれるカイミジンコ化石と、現世館山湾の堆積物中に含まれるカイミジンコの群集を比較して、過去の館山湾の変遷を復元した。カイミジンコは個体サイズが小さいので、大量の個体数が現生でも化石でも各資料から容易に得られ、統計学的処理が容易である。館山地域では115種、約1600個体のカイミジンコでクラスター分析と主因子分析を行った(挿図4〜6)。

復元された過去の館山湾は、主に巴川流域で、初め狭くて長い溺れ谷地形をしており(挿図7a)、湾がだんだん拡がるにつれてまた海水準も上がったことを、カイミジンコの群集組成は示している(挿図7b)。6000年前の海進のピークを経て(挿図7c)、その後、海水準は下がりはじめ、地殻変動とも見合って、湾は浅くなっていく(挿図7d、f)。現生群集は、生体と遺骸群集を区別し、生体から遺骸群集を通って化石になっていく過程でのバイアスまで検討した。

以上はポール・フリードル氏(現モービル石油株式会社、アメリカ)の1981年の博士論文に基づく。
23-4 化石カイミジンコのRモードNラスター分析(Frydl, 1981)23-5 QモードNラスター分析(Frydl, 1981)

23-6 主因子分析(Frydl, 1981)23-7 館山湾の古地理の変遷(Frydl, 1981)。a)海進初期の巴湾、b)8000年前頃、海進が進む、c)7000年前頃、海進のピーク、d)6000年前頃、海退が始まる、e)巴川流域に沼I段丘面が現れる、f)現在の巴川流域の地形。

房総半島北部の後期更新世カイミジンコ

房総半島北部木下地域から木更津地域にかけて、広く分布する下総層群木下層は、豊富に貝化石を含み、カイミジンコの化石も豊富である。Yajima (1978) は野外での丁寧な露頭観察とカイミジンコ化石の群集組成分析により、木更津地域では2回の堆積輪廻を確認した(挿図8、9)。木更津地域の古環境分析を房総半島北部全体に敷衍し、Yajima (1981) は後期更新世の古東京湾の変遷を復元した。それによると、40万年前から、湾口を北に開いた古東京湾では、寒流系の生物が卓越していたが、海進のピークの時期には、瞬時的に暖流的要素が流入するという堆積輪廻を少なくとも4回以上繰り返していることがわかった。また、この研究では、大量に得られるカイミジンコ化石の中に、現世堆積物からは採集されにくい種類が大量にみつかり、カイミジンコの分類学的議論も可能になった。

23-8 木更津地域の柱状図(Yajima, 1978)

23-9 概念的堆積輪廻図(Yajima, 1978)

以上の2研究は、1970年代終わりから1980年代初頭にかけて行われたものである。その後、カイミジンコによる古環境分析は、海深の定量化、海水温の定量化へと進んでいるが、その基礎としての現生のカイミジンコの正確な生態調査と野外の露頭での丁寧な古生物学的観察は、ますます重要となっている。

(矢島道子)

参考文献

Frydl, P., 1981. Holocene ostracods in the southern Boso Peninsula. In T. Hanai [ed.] Studies on Japanese Ostracoda. Univ. Mus. Univ. Tokyo, Bull. 20, p.61-140.
Howe, H.V. et al. 1961; Treatise on Invertebrate Paleontology. Geological Society of America, p.Q15.
Yajima, M. 1978. Quaternary Ostracoda from Kisarazu near Tokyo. Trans. Proc. Palaeontol. Soc. Japan, n.s., no.112, pp.371-409.
——; 1981. Late Pleistocene Ostracoda from the Boso Peninsula, central Japan. In T. Hanai [ed.] Studies on Japanese Ostracoda Univ. Mus. Univ. Tokyo, Bull. 20, p.141-227.


Copyright 1996 the University Museum, the University of Tokyo
web-master@um.u-tokyo.ac.jp