前のページ ホームページ 一覧 次のページ

 

昆虫


25 幕臣武蔵孫右衛門自製昆虫標本

-25Kbyte image--32Kbyte image-
フランス人ガロアが東京市中の古道具屋にて発見
江戸時代
農学部標本室

現存する日本最古の昆虫標本題名にある標本は私どもの研究室に代々伝わる極めて貴重な文化財である。江戸末期の博物家として有名な武蔵石寿(本名孫右衛門)の自作と伝えられるもので、現存する昆虫標本では日本最古といわれる。もっとも他の文化財にはこれよりはるかに古いものがいくらでもある。決して古くはない江戸時代末期(天保年間)に制作され、しかもとりたてて珍種を集めたわけでもない昆虫標本に大きな価値を認める理由は何だろうか。後にのべる科学史的背景もさることながら、昆虫学者に最も強い印象を与えるのはむしろ標本保存法の独創性とその技術の高さであるように思われる。

昆虫標本を作ろうとする者が身をもって知らされることは、昆虫の標本が湿気と害虫とカビに極端に弱いということである。中でも虫による食害は、丁寧に保管しておいたつもりでもやられてしまうことが多い。私なども少年時代に何度も大切な標本を台無しにされて泣かされた口だから、何十年か前、学生時代に初めてこの標本を見せられたときに一番びっくりしたのは、1世紀半を経過してなお良好な保存状態を保っていたことだった。今もってこれは奇跡的としか思えないのである。

一般に、昆虫標本の保存条件は、乾燥、密封、遮光に気を配ったうえに防虫剤を絶やさず、振動や衝撃を避けることである。石寿の標本は独自の方法によってこれらの条件を極めて巧みに達成している(防虫剤については不明)のに感嘆させられる。

(右)外箱表書き
(中)外箱中書き
(左)内箱表書き

標本の概要

(1) 標本の形態と数量

綿にのせた1〜数匹の昆虫などに饅頭型の透明ガラス容器をかぶせ、下面を丈夫な厚手和紙を糊付けして密封してある。ガラス容器には大小2種類あって、大型は径8×10センチの略楕円形で6個、小型は径6センチの円形で87個(欠失が3個)ある。これらは桐製で中仕切りのある浅箱に大型は6個、小型は15個ずつ並べられ、重箱式に計7段が重ねられて、やはり桐製で蓋付きの木箱にすっぽり収められている。

標本に用いられたガラスの質は今からみれば決して良いものではないが、当時としては最新の素材を選び、形についても種々検討の末に加工させた苦心の作だったに違いない。死後も、はかない虫の姿を何とかして永く留め、しかも容易に観賞できるようにしたいという、虫への強い愛着と願望とが感じられる。とはいえ、石寿もこの標本がまさか1世紀半以上も良好に保存されるとは思ってもみなかったにちがいない。

当時すでにヨーロッパでは昆虫を針で刺して標本箱に保存する方法が確立されていたという。石寿の活躍したころはシーボルトが来日してかなりの年月が経過していたから、ヨーロッパの手法を知る機会が全くなかったわけではないと思われる。その間の事情は不明であるが、石寿の標本はヨーロッパの影響を全く受けていない独創的なものである。

(2)昆虫などの種類

標本の種の詳しい調査がセミ博士として名高い故加藤正世氏によってなされている。それによると昆虫の種類はじつに多くの分類群にわたって集められていることがわかる。最も多いのは甲虫目(コガネムシ類、ゴミムシ類、ハンミョウ類、ハムシ類など)で、次いで鱗翅目(チョウ類、ガ類)と直翅目(バッタ類、コオロギ類、スズムシ、マツムシ、ケラなど)が多く、その他では半翅目(セミ類、カメムシ類、タガメなど)、トンボ目、膜翅目(ハチ類)など、計9目にわたり約70種である。これらをみて感じることは、決して大型で美麗な昆虫や珍種を集めたものではないということである。チョウ、コガネムシ、トンボなどは目に触れやすい種が多いし、また目立たない小型で、地味なものも多い。カイコ、ヤママユのような産業上有益な種や、イラガ、ウリハムシ、ウシアブのような害虫として名高い種も含まれている。しかし、大半は益虫でも害虫でもない「普通の」虫である。この辺りに後にのべる石寿の博物学に対する姿勢が見て取れるように思う。

「昆虫など」と書いたのは、昆虫類のほかに、クモ類、多足類(ゲジ)、甲殻類(カニ、フナムシ、など)、軟体類(カタツムリ、ナメクジ(模型!))、環形動物(ミミズ)などの無脊椎動物と魚類(タツノオトシゴ)、爬虫類(トカゲ、ヤモリ)から哺乳類(コウモリ)など脊椎動物の一部や昆虫寄生菌である「冬虫夏草」類までが含まれているためである。「虫」が小動物全般を指していた当時の状況を考えればむしろ自然なのであろう。

製作者

製作者とされる武蔵石寿は、1766(明和3)年江戸の旗本の家に生まれた。江戸に集まっていた藩主や武士、医師らによって江戸末期につくられたユニークな博物同好グループ、「赭鞭会(しゃべんかい)」の重要メンバーで、とくに貝類など軟体類の系統を研究し、江戸時代の優れた貝類図譜である「目八譜(もくはちふ)」などの著者として著名である。晩成の人として知られ、博物学の著作などは全て60歳で隠居した後に行われたものといわれる。石寿は著書の中で博物学を「要不急の学」とよび、有用無用を超越して自らの楽しみのためにやるという姿勢を貫いたというが、これが石寿の標本の集め方、作り方にも反映されているようである。1860(万延元)年、95歳で没。

標本所蔵の経緯

『自然史関係大学所蔵標本総覧』などの資料によれば、大正の初期に、甲虫の蒐集やガロアムシの発見で名高いフランス人ガロアが東京市中の古道具屋でこの標本を発見、時の政府に献上しようとしたが、寄付申請願の提出を求められたことに憤激して、東京帝国大学農学部教授、佐々木忠次郎に寄贈したという。以来、動物学教室に秘蔵されたが、現在は同教室の末裔である害虫学研究室の管理のもとに農学部標本室に保管されている。

(田付貞洋)

本学名誉教授、松本義明博士からは文献に関することなど種々の貴重な助言をいただいた。ここに厚くお礼申しあげる。

参考文献

荒俣宏、1989、『NHK市民大学−博物学の世紀』、日本放送出版協会
加藤正世、1933、「温故知新1、日本最古の昆虫標本」、『昆虫界』1巻、592〜601頁
小西正泰・田中誠、1985、「針で虫をとめるまで」、『アニマ』151号、69〜73頁
波部忠重、1994、「武蔵石寿」、『彩色江戸博物集成』、平凡社、209〜224頁
日本学術振興会、1981、「幕臣武蔵孫右衛門自製昆虫標本」、『自然史関係大学所蔵標本総覧』、20〜21頁



Copyright 1996 the University Museum, the University of Tokyo
web-master@um.u-tokyo.ac.jp