鹿児島県伊佐郡菱刈町山田、住友金属鉱山株式会社菱刈鉱山、慶泉三脈40ML、東五九番西押し産、含金銀石英脈
後藤寿幸
1993年3月26日採集
総合研究資料館、岩石z床部門
そもそも天然における金の産出状態には大きくみて2種類あり、一つはカリフォルニアのゴールドラッシュをもたらしたような砂金である。これは地下で形成された既存の金鉱床が地表で風化を受け、ばらばらに崩れた金の粒子が河川水などによって運ばれることによってできるものである。金は化学的に極めて安定なので分解したり酸化したりすることもなく、比重が大きいことから河川の屈曲部などに次第に集まってくる。金は延性・展性に富んでいるため、集まってお互いが接触するとどんどんくっつきあって大きな粒子に成長する。これが砂金鉱床とよばれるものである。このように砂金鉱床は地表付近に存在しているので、発見しやすくまた採掘も容易であり、開発の初期の段階ではもっぱらこのタイプの鉱床が稼行されることになる。本邦における開発の歴史もそのとおりで、西暦749年に最初の金産出を記録したのも、以来奥州藤原氏を支え続けてきたのも、北上山地の砂金鉱床であった。
しかし砂金鉱床を掘り尽くしてしまうと、人々は次第に砂金の供給源となった地下の金鉱床を求め、山奥深く分け入ることになる。砂金に対していわゆる山金と称される鉱床である。これにも様々なタイプがあるが、そのうちでも代表的なものの一つが火山活動に伴って形成される含金銀石英脈である。火山活動とは地下から熱いマグマが地表近くまで上昇してくることであるが、このような活動につきものであるのが、熱水とよばれる2、300度から数100度に達する高温の流体の活動である。これは火山の源であるマグマから水を主とする流体が放出されたり、マグマの熱により地下水が温められて循環したりしてできるもので、地下におけるこのような活動の一端は温泉などとして身近に知られているほか、わが国では地熱発電などにも利用している。
日本列島は太平洋を取りまく火山帯の一部を構成しており、新第三紀(約2500万年〜200万年前)以降の若い火山の活動が数多く知られている。このため現在でも活発な熱水活動がみられるほか、過去の熱水活動の名残りがいたるところで観察される。熱水は高温のときには様々な物質を溶解しているが、地表付近に到達して次第に温度が下がってくると溶解していたものを沈澱する。温泉の湧出口付近にみられる湯の華などがよい例であるが、地下の岩石の割れ目を伝って上昇してくる熱水が、このような沈澱物を割れ目の壁面に沿って沈着させたのが、いわゆる脈とよばれるものである。このような熱水からは石英や方解石がもっとも一般的に沈澱し、石英脈あるいは方解石脈などとよばれる。そしてこのような脈の中には、石英や方解石に混ざって金・銀・銅・亜鉛・鉛などの様々な有用金属を含む鉱物が沈澱していることが多い。日本の国土から、平均以上の金が産出するのは、このような火山活動に伴って形成された金・銀の鉱脈が多数存在しているからにほかならない。
砂金をほぼ掘り尽くしてしまってからのち、人々は次第に山金とよばれるこのような金銀鉱脈の採掘を手掛けるようになり、江戸時代以降はもっぱらこのタイプの鉱床が稼行された。本邦における三大金山といえば北海道の鴻之舞・佐渡・鹿児島県の串木野であるが、これらはいずれも上述のような火山活動に関係して形成された金銀鉱脈である。これらの鉱山からの金の産出量はいずれも70〜80トン前後であり、かなり似通った規模の鉱床であるということができる。近年この三大金山を初めとするわが国の既知鉱床は、長期間の採掘のために次第に鉱量が枯渇し、多くの金山が閉山のやむなきにいたっている。このような事情は金銀鉱床に限ったことではなく、鉱量の枯渇と同時に人件費・採掘費の高騰によって本邦の諸鉱山は軒並み閉山の憂き目にあっており、エネルギー資源とともに金属資源もほぼ100パーセントを海外に依存するという憂慮すべき事態になっている。
ともあれそのような鉱業情勢にあって、わが国の鉱業史上でも特筆される目の覚めるような快挙といえるのが、1981年の菱刈金鉱床の発見であろう。この鉱床は鹿児島県伊佐郡菱刈町にあって、日清戦争後から山田鉱山の名で小規模に掘られたらしいが、詳細については分かっていなかった。全国の有望鉱床地域の組織的な探鉱を行っている金属鉱業事業団が、この地域の金鉱床探査のために打った1本のボーリングの先端部付近にわずか15センチの幅の石英脈が捕捉され、これが290グラム/トンという高品位を示したのがその発見のきっかけである。引き続く事業団と鉱業権者である住友金属鉱山株式会社の追跡調査で鉱床の全貌が次第に明らかになるにつれて、菱刈ショックともいえる驚きが全世界の鉱業関係者・鉱床学者の間を駆けめぐった。
一つはその驚くべき品位の高さである。金・銀などそもそも含有量の少ない金属の品位は、パーセントではなく1トン中のグラム数(グラム/トン、ちなみにこれはppmと同じ単位である)で表すのが慣例であるが、現在世界中の金鉱山で採掘されている鉱石の金品位はおよそ数グラム/トン程度である。ところが発表された菱刈鉱床の平均金品位は80グラム/トンにもなるという。もちろんどんな鉱石でも金粒付近のごく小さな部分を採ればその品位は極めて高くなり得る。しかし菱刈鉱床の場合は鉱石量150万トンの平均の品位であって部分的な値ではない。これはまさに世界の鉱業界の常識を覆すものといっても過言ではない。
さらに探鉱が進むにしたがって、それまでに発見されていた鉱脈群(これを本鉱床と称している)のほかに山田鉱床・山神さんじん鉱床の二鉱脈群も存在することが確認され、平均金品位はそれぞれ70グラム/トン、20〜25グラム/トンと発表された。最近本鉱床の平均金品位は周辺の低品位部も加えて60グラム/トンと修正されたが、これらの三鉱床の含金量の総計はおよそ250トンに達するだろうと推定されている。この量はもちろん日本一であって、これまでの三大金山である鴻之舞・佐渡・串木野の産金量の合計を優に凌ぐものである。これらの探査結果をうけて、住友金属鉱山では採掘のための坑道掘削などに着手し、本鉱床からの本格的な出鉱は1985年から始まった。
本鉱石は、この菱刈鉱山山神鉱床の慶泉とよばれる脈から採取されたもので、住友金属鉱山より本館が寄贈を受けたものである。黒色の泥岩中に胚胎する幅約2メートルの鉱脈の中の一部で、火山活動に伴うこのタイプの含金銀鉱脈ではもっとも普通に存在する石英(SiO2)を主としており、氷長石(KAlSi3O8)・粘土鉱物などを少量含んでいる。またエレクトラム(Au, Ag)とよばれる金と銀の合金鉱物や黄鉄鉱(FeS2)などの鉱石鉱物を含んでいる。本標本はほぼ左右対称の弱い縞状構造を示し、特に左右の数センチの部分は灰黒色の細かな縞模様が観察できる。これは通常このタイプの金銀鉱脈で銀黒(ぎんくろ)とよばれている特徴的なもので、微細な鉱石鉱物の濃集部である。金の鉱石というと山吹色の金の粒子が認められるものを期待される向きも多いかと思われるが、山金の場合には砂金と異なり金を含む鉱物は通常極めて微細で、肉眼で金粒が認められることはほとんどない。この標本の品位は、金6281グラム/トン、銀1774グラム/トン、両端から8センチ間に限れば、金1万6600グラム/トン、銀2280グラム/トンというまさに驚異的な数字が報告されており、全世界の鉱業関係者が夢にまでみる垂涎の鉱石である。
菱刈鉱床については本学の研究者を含む全国の多数の鉱床学者によって詳細な研究が進められており、以下のような様々な事実が明らかにされている。鉱脈を胚胎する母岩は地表付近では菱刈下部安山岩類とよばれる第四紀の火山岩だが、その下では四万十層群とよばれる白亜紀の砂岩・泥岩中に胚胎している。火山活動に伴う金銀鉱脈が、このように火山岩よりも下部の基盤岩中にまで連続していることは異例であり、ここにも菱刈鉱床の特異性の一端がうかがえる。鉱脈が形成された時代は極めて新しく、約百万年前である。金銀を沈殿した時の鉱液の温度はおよそ200度程度であり、鉱液の起源はマグマによって熱せられた地下水が主で、これにマグマから直接放出されたいわゆるマグマ水がいくらか混入したものではないかと推定されている。
このように鉱床に関するデータは続々集まっているものの、なぜここにこのように大量の金が極めて高い濃集度で沈澱したのか、というもっとも基本的な問いに対する答えはまだ得られていない。マグマにより熱せられた地下水が循環したとするモデルにたてば、金は母岩より抽出されたと考えざるを得ないが、これまでの研究では周辺の岩石で平均以上に金に富む母岩は発見されていない。金はマグマからもたらされたとも考えられるが、周辺の火山岩などを調べても異常な組成のマグマの存在を示唆するものは何もない。またもしマグマからもたらされたものであるとなれば、なぜそのように金の含有量の高いマグマが突然発生したのかを説明しなければならない。周辺に金の含有量に異常をもつ岩石がないならば、熱水が何か特殊なメカニズムで効率よく広い地域の一般的な岩石から金を抽出したと考えるべきなのかもしれない。しかし鉱液の物理的・化学的諸性質を調べても、通常の金銀鉱脈を形成する鉱液と大した違いはなさそうである。結局このような大自然の気まぐれな創造に人知は及ばないと悟るべし、とこの標本は教えているのだろうか。
(島崎英彦)