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壁画

(ホータン・キジル)


伝ル・コック将来西域壁画断片五点

本解説では、5作品に共通する事項、すなわち伝来・購入についてのコメントをまず記し、ついでホータン関係の図録番号22〜24、キジル関係の図録番号25、26の順に述べることとする。

伝来・購入について

東洋文化研究所所蔵の西域壁画断片5点は、図録番号22がホータン壁画として昭和9年(193四年)個人より、また他4点はトルファン出土仏教壁画として昭和7年(1932年)山中商会より購入されたものである。しかし図録番号25と26は西域北道の仏教遺跡を重点的に調査、多数の壁画・塑像を採集したドイツのル・コック(1860〜1930年)によるキジル石窟からの採集品で、同種の断片は欧米に数多く散存している。ホータン画として購入された図録番号22は問題ないとして、図録番号23および24についてもトルファンではなくホータン地域より、やはりル・コックが入手し、その後同コレクションから流出した遺品とみられる。ル・コックのホータン地域での正式な発掘調査の記録はなく、彼の探検記(註1)によればクチャ、カラシャール、トルファンを主とした第3回探検(1905〜07年)を終えてインドへの帰途、1906年8月、カラコルム越えの馬旅になれるためイギリス軍人とカシュガルを出発して、ホータン間17日の旅程を12日間で終了した、というのが唯一のホータン訪問である。図録番号22〜24は、ル・コック将来とすればこの短期間での採集品ということになるが、後述するように3点ともホータン様式を示すものの、出土遺跡や制作年代などを異にしている。おそらくル・コック自身の発掘ではなく、短期間の内にホータン近辺で入手したそれぞれ異なる遺跡からの出土品であろう。

なお、ル・コックは前述の探検記のまえがきで1926年開催のトルファン遺品の展覧会関係者・賛同者多数のいちいちに謝辞を述べており、中に「ニューヨークとロンドンの山中商会」の名が見える。山中商会は山中定次郎(1865〜1936年)が築き上げた一大古美術商店で、米英に支店を構えていた(註2)。山中は、東西の古美術品の蒐集・売買を行うと共に、東西古美術展を頻繁に開催、各地で多くの著名人の知遇を得ていたから、ル・コックと直接の取引があった可能性は十分にある(註3)

註1 ル・コック、1960、『中央アジア発掘記』、木下龍也訳、昭森社
註2 山中定次郎翁傳編纂会、1939、『山中定次郎傳』、昭和14年
註3 なお山中は昭和7年5月大阪美術倶楽部に於てインド、中央アジアなどの発掘品を含む東西古美術展覧会を開催している。

展示歴(5点とも)
昭和51年11月26日、東京大学東洋文化研究所創立記念日研究所所蔵品展示(研究所長室)。目録には、下記のような品名が付されていた。「東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)千仏洞壁画残欠将来品(唐?)」
『シルクロードの絵画—中国西域の古代絵画—展』、大和文華館、1988年


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