銅造
タイ
チェンマイ
15世紀頃
高さ37.3cm
三木栄氏寄贈
文学部考古学研究室・列品室
幾度の民族的、文化的交流・融合を経て、多様な展開をしてきたタイの仏教彫刻美術は、13世紀後半になると、スコタイ(Sukho-thai, 1250〜1438年)とランナタイ(Lan Na Thai, 1296〜1558年)のタイ族文化をベースに新しい造形を始めた。ランナタイはチェンマイ(Chiang Mai)に首都を置き、隣国スコタイとの交流から造形の栄養を吸収した。その典型的な造像の1つには、未開敷蓮華(または火焔)状の飾りを頭部につけ、触地印をした偏袒右肩の如来像(挿図1)が挙げられる。顔面の表情や、肉体の表現などには、インド作品ほどの官能性がないが、形式的には、パーラ朝(8〜12世紀)期の仏像(挿図2)を彷彿させるところがあるように思われる。
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本像は、破損のため全容を拝することができないが、衣紋の表現されない衣服が体に密着し、左肩から垂れてきた衣端が乳首僅か上方に終わるなど、前記ランナタイ仏像の特徴を示す。肉髻の上部には円孔が空き、火焔状の飾りがつけられていたとみなされる。大粒の螺髪が緊密に配列され、ところどころに鍍金の痕跡が認められ、往昔の荘厳ぶりを偲ばせる。弓状に波打つ髪際線、眉、目瞼、口唇部、そして円満な両肩など、随所に見られる曲線は、像全体を支配する造形感覚であり、抑揚のある優雅な美的情緒を醸し出す。顔には静かな雰囲気が漂い、タイ独自の形態感覚が展開される。逆三角形の胸部は分厚くて、弾力性に富み、解剖学的には苦しい感を免れないが、幅の広い両肩、太めの両手と呼応して、豊かな量感を主張すると同時に、人体の「日常」を超越した理想像の世界へ、我々を誘うのである。それが顔貌の禁欲的とでもいうべき清楚な肉体感覚とうまくマッチできたのは、造形に込められた高い精神性の賜物であろう。
制作期は、15世紀でも、早い時期のものであろう。
(漆紅)