第1章 資料の状況と整理の方法

 本資料整理に関わる諸作業は、東京大学総合研究博物館において、2002 年4月~2005年3月まで行った。資料整理は、まず40箱の木箱について、各平箱ごとの資料の収納状況を記録することから開始した。記録にあたっては、元の状態に復元できるように、平箱ごとに収納状況の見取り図を作成し、包やビニール袋によって仕分けされた平箱内の各収納単位にa、b、c、d...のように記号を割り当てた。その上で、仕分けされた遺物の種類や注記を確認し、当時のラベルが一緒に収納されている場合には、そのラベルの記載内容などを含めて、台帳を作成した。この他、収納に新聞紙が用いられている場合には、その種類と日付を確認して、別にリストを作成した。このような事前処置の後、遺物の洗浄、注記を行い、接合、図化、データベース化を行った。今回の整理に伴う注記は、各平箱における収納区分を示す記号と、出土区・層名を併記することとし、たとえば、「D3―1a HS10―2」という注記は、D3―1の箱の包aに収納されていたことを示し、同時に、10区2層から出土したことを示す。なお、HSは彦崎貝塚の遺跡記号である。
 平箱中の遺物は、大まかに土器片、石器、骨角器、動物遺存体といった種別ごとに仕分けされ、土器片については、洗浄後、「彦1―4」、「彦14 表土」のように出土区、層位を朱書きした上で、区、層ごとに新聞紙やビニール袋で区分し収納されていた。また同時に、土器片はその大部分について、前期、中期、後期の大別時期ごとに分けて木箱に収納されていた。一つの木箱にはおおむね一区画から出土した一大別時期の資料が収納されていたが、遺物の少ない区については、いくつかの区の遺物をまとめて、一つの平箱に収納している場合もあった。なお、彦崎貝塚資料には、長幅5cm以下の細かな土器片が多く含まれるが、一部のものを除き、ほぼ全点に注記がなされていた。また、収納にあたっても、収納単位ごとにラベルが付されており、資料の扱いに対する慎重な姿勢を読み取ることができる。
 各平箱内の収納区分には、新聞紙や包装紙、ビニール袋などが用いられていた。収納に用いられていた新聞紙の種類と日付を表に示す(Table1)。日付の判明する新聞紙のうち、最も古い日付を有するものは、D4―11の平箱の梱包に用いられていた1935年(昭和10 年)2月1日の向陵時報であった。D4―11の平箱の梱包には、この他にも戦前の向陵時報が用いられている。戦前の新聞としては、この他に帝国大学新聞と朝日新聞が見られ、昭和27年頃までは雑多な新聞が入り混じっている。1953年(昭和28年)以降はほぼ朝日新聞に統一されており、1957 年(昭和32年)1月27日の日付のものが最も新しい。1957年の新聞紙は、もっとも多く梱包に用いられている。以上のような状況は、奈良国立文化財研究所から報告された、山内清男考古資料中の福田貝塚資料の例ともよく符号している(泉・松井1989)。
 ところで、彦崎貝塚資料は、1948、49年の発掘調査の後、1950年に池葉須藤樹による整理が行われているが、1950年以前の日付を有する新聞紙は、それ以後の新聞紙よりもむしろ少なく、1950年以後も資料の整理は続けられていたものと推測される。また、遺物と共に収納されていたラベルにはいくつかの種類、書体が認められ、現地で取り上げの際に書かれたと見られる、日付をともなった墨書きのものや、小さな紙片に鉛筆書きされたものなどがあるが、基本的には、「彦1―1」や「彦崎区20―40cm」などのように、調査区、層位が記載されている。
このほか、国立科学博物館への人骨の移管に伴って移動していた若干の遺物についても、今回、東京大学総合研究博物館に再度移管し、併せて整理を行った。これらについても、基本的には上記と同様の整理方針に従っている。