第2章 遺跡と調査の概要

 彦崎貝塚は、岡山県児島郡灘崎町彦崎字西ノ土井に所在する、縄文時代前期~後期を中心とする貝塚遺跡である。遺跡は、かつての児島湾の海岸線に面した、標高6m ほどの小丘陵上の一角を占めており、この地域の貝塚遺跡としては規模の大きなものである。彦崎貝塚の位置する岡山県南部は縄文貝塚の集中地域として知られており、彦崎をはじめ、里木、福田、船元、磯の森な ど、著名な諸貝塚が分布する(Fig. 1、2)。
 彦崎貝塚では、1947年秋、隣接する醸造所の拡張工事に伴い、貝塚の東半部が土取りによって破壊されたことを契機として、翌1948年~49年の2カ年にわたり、東京大学理学部人類学教室の鈴木尚、酒詰仲男らによって3回に及ぶ発掘調査が行われた。調査面積は約200m2である。本調査に先立って行われた1948年5月31日の調査は、小規模な試掘であったが、上層から後期土器が、下層から前期土器が出土することが確認され、貝層下の灰層を伴う土坑中より、四肢骨を集積した上に、3体分の頭蓋骨を鼎立させた特異な葬法を示す人骨群が検出された。この成果を受け、同年11月16日から26日にかけて、1次調査として試掘区と土取りによる崖面との間に、1~5区を設定して調査が実施された。また、翌1949年8月3日から17日には2次調査として、1次調査の1~5区の南側に6~9および14区が、北側に10~13区が設定され、発掘が行われている。この調査によって多数の人骨をはじめ、縄文土器、石器、骨角貝器、動物遺存体等多量の遺物が出土した(Fig. 3)。
 なお、東京大学による発掘調査の成果の一部は、既に日本考古学年報(酒詰1951)や、池葉須藤樹による報告(池葉須1971)などによって公表されている。今回の整理にあたっては、こうした文献のほか、総合研究博物館に保管されている酒詰仲男による日誌、図面等も随時参照した。また間壁葭子からは、当時の日誌、図面を提供いただき、これらについても随時参照しつつ整理を行った。

(山崎真治)



Fig. 1 Map of the Bisan―Seto region showing the location of Hikosaki site


Fig. 2 Hikosaki site and its surroundings


Fig. 3 The excavation trenches at Hikosaki site