はじめに

 本書で報告する彦崎貝塚資料は、1948、49年に東京大学理学部人類学教室によって行われた、岡山県岡山市灘崎町大字彦崎字西ノ土井に所在する彦崎貝塚の発掘調査に際して収集された資料群である。資料は、土器、石器、骨角貝器、動物遺存体など木箱で40箱分あり、現在、東京大学総合研究博物館人類先史部門に保管されている。また、調査では多数の人骨も出土しており、これらについては、「東京大学総合研究資料館収蔵日本縄文時代人骨型録」(遠藤・遠藤1979)に採録され、現在は国立科学博物館に保管されている。
本資料については、発掘調査の後、岡山県教育委員会から人類学教室に内地留学した池葉須藤樹により、1950年6月~11月にわたって整理が行われ、その成果は報告書(池葉須1971)として刊行されている。また、1951年4月、東京大学山上会館で開催された第3回原始文化研究会席上において、山内清男は、岡山県における縄文後晩期の土器編年に関する発表を行っているが、この際、本資料を基準として山内自身によって設定された彦崎K1、K2式の内容について言及したと言う(鎌木・木村1955)。彦崎K1、K2 式の型式名は、同じく縄文前期の土器型式として設定された彦崎Z1、Z2 式とともに、西日本における縄文時代研究において、今日でも一般的に用いられる代表的な型式名であるが、その具体的内容について山内自身が記したものはなく、鎌木義昌らの概説的な紹介(鎌木・木村1955、鎌木・高橋1965)や、池葉須藤樹による報告(池葉須1971)が、今日まで彦崎諸型式に関する基本文献となってきた。しかし、これらの文献に見える限られた資料や記述から、各型式内容を理解するには、一定の限界があったことも事実である。なお、彦崎Z1、Z2式のZは、前期(Zenki)を表し、彦崎K1、K2式のKは、後期(Kouki)を表すものである。
今回の彦崎貝塚資料の再整理作業は、山内によって設定された彦崎諸型式の内容を、今日的視点から、より具体的に把握することを主眼とし、縄文土器について体系的な整理を行うとともに、主要なものについて図化、データベース化作業を行った。また、あわせて石器、骨角貝器、動物遺存体についても整理を行い、必要なものについては図化、写真撮影を行った。
整理にあたっては、縄文土器および石器を山崎真治、骨角貝器を高橋健が担当し、石器石材の同定については松山文彦氏のご教示を得た。遺物の写真撮影は上野則宏氏による。実際の作業においては、大木真徳、木内智康、斎藤拓弥、多可政史、田中眞司、長井謙治、中村雄紀、初鹿野博之、古澤義久、森先一貴をはじめ、東京大学学生、大学院生の協力を得た。また、池葉須藤樹、泉拓良、伊藤典子、今村啓爾、海部陽介、河野玲子、後藤直、佐宗亜衣子、佐藤宏之、諏訪元、高橋昌子、高橋護、田嶋正憲、千葉豊、西秋良宏、西田泰民、馬場悠男、野口和己子、間壁忠彦、間壁葭子、水嶋崇一郎、矢野健一、山田哲の諸先生、諸氏には、さまざまな形で御教示、御援助いただき、また、財団法人高梨学術奨励基金からは、本研究に関する助成金の交付をいただいた。
上記の方々、機関に感謝し、篤く御礼申し上げる。
本書の執筆は山崎真治、高橋健が協議しつつ行い、英訳は高橋健が行った。各章の執筆担当者は、目次および各章末に記す通りである。


東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
山崎真治
日本学術振興会特別研究員
高橋健