西アジアにおける動物の家畜化とその発展

マルジャン・マシュクール、ジャン=ドニ・ヴィーニュ、西秋良宏


■はじめに



図1 ガゼル及びヤギ・ヒツジの死亡年齢構成の時期別変化

 人類の生活が採集狩猟から食料生産へと移行しはじめたのは1万1,000年前頃のことである。このできごとは、完新世におこった人類史の変化のなかでも最重要のものの一つであり、「新石器革命」とも呼ばれる。しかし、これを「革命」と言うのはふさわしくない。現在では、この変化はゆっくりと進行し、時期や地域によって不規則なものだったことが明らかにされている。また、そのメカニズムは複雑で、多くの要因が関連しあっていたことも判明している。

 この章では、「新石器化」がすすんだ過程を、西アジアにおける動物の家畜化という点から概観する。まず、ここ20〜30年程の間に、西アジアで収集されてきた豊富な動物考古学データに基づく最近の研究状況について整理する。ついで、1950-1960年代に東京大学の研究者たちが発掘した南西イラン、マルヴ・ダシュト平原の動物遺存体について明らかになった最新の成果を報告する。この成果は、イラン高原における食料生産経済開始期の複雑な様相について、新たな知見を加えるものである。

■西アジアにおける有蹄類の家畜化

家畜化の起源地
  ヒツジ、ヤギ、ウシ、ブタという有蹄類の家畜化は、肉食動物(イヌやネコ)の家畜化よりも遅れて始まったが、食糧供給に大きな変化をもたらした点で、より重要である。有蹄類が最初に家畜化された時期と場所については、過去数十年間、新たな説が繰り返し提示されてきた。前8千年紀のイランとする説からはじまり、前7千年紀のイスラエルとする説、前8千年紀のシリアとする説、前9千年紀の南東アナトリア(トルコ)とする説まである(Harris 1996;Vigne et al. 2005など)。現在では、ほとんどの考古学者が、最初の家畜化は前9千年紀半ば(PPNB前期)に、南東アナトリアのタウルス山脈南麓で始まったと考えている。たとえば、トルコのネバル・チョリ遺跡のPPNB前期(前8,500年)層では、ヒツジ(Ovis orientalis)とヤギ(Capra aegagrus)の小型化が顕著になると同時に、幼獣個体の比率が増加することが明らかとなっている(Peters et al. 2005)。同時期のガゼルには形態変化は全く認められていないから、それは家畜化の結果であると考えられる(図1・2)。また、ほぼ同時期の北シリア、ジャーデ遺跡でも、性的二形がやや小さくなったことがわかっている(Helmer et al. 2005)(図3)。この現象も、家畜化開始に関する確実性の高い指標とされているものである。一方、ブタの家畜化はもっと漸移的に進行したようである(Erwinck et al. 2002)。

図2 ガゼル及びヤギ・ヒツジのサイズの時期別変化

図3 前足第2指骨の近位端最大幅分析から認められる性的二形

 家畜は、その起源地である南東アナトリアから急速に広がっていった。ヒツジとヤギがユーフラテス川中流域に出現するのは前8千年紀の初頭(PPNB中期)のことである。テル・ハルーラやテル・アブ・フレイラ(Peters et al. 1999)などの遺跡でその存在が確認されている。ユーフラテス中流域はヒツジやヤギの野生種が本来いなかった地域であるから、よそから持ち込まれたことは明らかである。また、さらに遠方へ持ち込まれたこともわかっている。ダマスカス周辺地域(テル・アスワド、Helmer in press)はもとより、海を越えてキプロス島(シルロカンボス、Vigne et al. 2000, 2003, in prep.)にまで至った。PPNB後期末(前7,000年頃)に入ると、家畜は地中海沿岸からザグロス山脈まで、あるいはタウルス山脈からネゲヴ地方に至るあらゆる地域でみられるようになる。

 ただし、こうした見方とは別に、家畜化の中心地が複数存在したという説もある。例えば、ヤギの家畜化の中心地としてザグロス山脈西部(Zeder 2005)が、ウシに関してインダス川下流域(Meadow 1989)が想定されている。しかし、そうした地域における家畜出現年代はやや新しく、それぞれ前8千年紀前半と前7千年紀という年代が得られている。家畜化の開始という点では、やはり、南東アナトリアが初現と考えておいてよいだろう。

 新石器化過程は、定住や植物栽培、動物家畜化などがからみあった現象であるが、動物の家畜化はその中ではかなり遅い段階で始まった(図4)。部分的に定住が始まったナトゥーフ期からは3,000年、さらに、原初的な穀物栽培の出現よりも1,000年から1,500年ほど遅れて始まった。つまり、動物の家畜化というのは、土器出現以前の新石器化現象のなかでは、最後の重大な技術経済的変化とみることができる(図4)。

図4 家畜化の開始とその展開

家畜化の進展過程
 家畜化はどんな経緯で進んだのだろうか。その背景として一つ考えられるのは、旧石器時代末以降顕著になった有蹄類の管理的狩猟である。T.レッグ(Legge 1972)らは、ナトゥーフ後期やPPNAにおけるレヴァント地方では、かなり専門化した管理的狩猟が営まれていたことを指摘している。この狩猟では動物の小型化が全く起こっていないので、家畜化とは無関係であったと考えられることが多い。しかし、近年、キプロス(Vigne 2000)やイラン(Zeder 2005)での事例研究から、有蹄類の家畜化は必ずしも小型化を伴わないということも指摘されている。また、こうした特殊な狩猟形態が実質的な家畜化とは別物であるとしても、ナトゥーフ後期に行われたこの初期的な動物管理は当時の食生活に大きな影響を与えたことは事実であり、家畜化前夜の状況として見過ごすわけにはいかない。

 ついで、PPNB前期(前8,700〜前8,500年頃)になって家畜化が始まる。しかし、この時期の家畜化は後の時代のように本格的なものではなかった。一般に、脊椎動物が馴化されると、行動と個体発生にかかわる生理的変化が自動的に起こると言われている(Arbuckle 2005)。最初期の家畜化によって起こった形態変化のほとんどは、人類が意図的にひきおこしたものとは考えがたい。意図的な選別によって形態的(そして、おそらく行動的な)特徴を変化させるような実質的な動物管理が行われていた証拠があらわれるのは、PPNB中期からPPNB後期への移行期以降になってのことである(Zohary et al. 1998)。

 したがって、PPNB前期の家畜化は、PPNB後期(前7,500〜前7,300年頃)に西アジアで始まった本格的な動物管理とは別物であると考えるのがよい。乾燥地帯に遊牧民が出現するほどにまで本格化したPPNB後期の家畜化に対し(Stordeur 2000)、PPNB前期の家畜化は食生活に強い影響力はもっていなかったようにみえる。実際、北レヴァントのPPNB遺跡で、ゴミとして捨てられた動物骨について野生種と家畜種の比率を調べてみると、PPNB中期末かPPNB後期初頭までは野生動物のほうが多数を占めることがわかる(図5、Helmer and Vigne in press)。このことは、最初期の家畜は、食料資源としては大きな意味を持つものではなかったことを意味する。

図5 先土器新石器時代B期(PPNB)動物骨にみられる野生種・家畜種の割合

 同時に、最初期の家畜化は、より多くの肉を得たかったために始まったわけではないということも意味することになる。では、何を目的として家畜化が始まったのかを知るには、野生種からは得られないけれども家畜種からは得られるものは何か、ということを調べればよい。そこで、近年注目されている仮説(Vigne 2004, 2006, Helmer and Vigne in prep.)は、それが乳ではなかったかというものである。

 もしこれが正しいとしたら、PPNB前期の家畜化は豊富な肉資源の供給という点ではなく、乳や乳製品を新たに利用できるようにしたという点で、人類の食生活に大きな変化をもたらしたと捉えることができる。しかし、初期の家畜化は、単に食料、あるいは獣糞(肥料、建築、燃料に利用される)、毛、さらには運搬・牽引(主にウシ)など経済的・実用的動機だけを考慮して理解できるものではない。動物を所有することがもつ社会的・儀礼的意味についても考えに入れる必要がある。この点は、真剣に考察されなければならない。なぜなら、この時期の社会は、階層化した組織が形成される途上に位置づけられるからである(Stordeur in Guilaine ed. 2001)。こうした組織が形成される過程で、重要かつ社会的であった動物の象徴体系が発展し(Helmer et al. 2004;Peters and Schmidt 2004)、さらに人々の世界観や宗教観も変化したと考えられる(Cauvin 2000)。いずれにせよ、食生活という観点に戻れば、家畜化の初期段階における乳の開発というテーマは今後の研究において中心的な課題となろう。