脳はなぜ大きくなったの?



 これも直立二足歩行と同じで、なんともむつかしい簡単な問いです。様々な可能性をここで羅列することはしませんが、化石の記憶からいえることは何か?それは、脳が大きくなっていった経過自体はどうであったのか、その問いに実証的に答えることでしょうか。
 簡略化しますと、アウストラロピテクス類より脳がはっきりと大きかった化石人類は、200万から180万年前の初期のホモ属です。脳容量はおおよそ600ccから700cc程度でした。そうしたものは、断片的な資料をも考慮すると、240万年前ごろまでさかのぼる可能性があります。そうしますと、脳の大型化は打製石器の出現とほぼ平行していたか、やや遅れて始まったといえます。
 その後、原人段階になりますと800ccから1200cc程度になり、旧人段階では大きいものでは1300ccから1400cc程度、中でもネアンデルタール人は現代人的なホモ・サピエンスと変わらないまでになり、大きいものは1600ccを超えます。初期のホモ属から原人、旧人段階へと、どんどん脳容量が大きくなった訳ですが、では、それが徐々に起こったのか、それとも特定の地域、時代で特に顕著な増大があったのか?脳の大型化のそうした進化様式は、大型化をもたらした要因を考える上で参考になることと思います。ですが、残念ながら今のところ明確な答えがありません。そもそも年代と脳の大きさがはっきりしている化石が少なすぎるのです。

その上、事態をむつかしくしているのは、先ずは個体差が大きいことですが、さらには集団ごとに体格差がある場合、体の大きさ分を補正して考えなければならないなど、現実はなかなかきびしいのです。「化石がたりない」との有名な最後の一言は、けっして逃げ口上ではないのです。
 もし、脳の拡大が段階的に起こったとするならば、「急拡大」を遂げた時期と場所の候補がいくつかあります。一つは180万から160万年前ごろのアフリカです。ホモ・エレクトスがアフリカで確立されたであろう時期で、800ccから1000cc程度の脳の大きさが確立されました。石器文化としては、「握り斧」などと呼ばれる大型の刃物型石器が出現した時期です。これらはアシュール型石器とも呼ばれますが、大型獣の解体などに特に効果的だったことが実験的に示されています。
 もう一つの候補時期は、100万から60万年前ごろのアフリカです。100万年前ごろのアフリカは、本展示にあるダカ原人(1000cc)が生存していましたが、50万年前ごろまでには1300cc程度の旧人段階の頭骨化石が知られています。残念ながら、今のところ、これ以上に候補時期を狭めることができません(化石が足りない)。この時期の石器文化は、アシュール型の進歩的なもので、特に目立った変化は認識されていません。ですが、例えば保存されにくい木製の武器・道具の発達により、狩猟活動などに変革があった、などの可能性を否定することはできません。いずれにせよ、100万から50万年前の時代は、激しい氷河期と間氷期の環境変動が初めて定着した時期ですので、進化を促す刺激は十分にあったものと思われます。