前衛芸術としての新聞
29. 不定期刊文芸紙『ル・コック(雄鳥)』
通巻四号の創刊号。大型の一枚紙を折り曲げて片面六頁とする。用紙は各号色変わり。本号ではロジェ・ド・ラ・フレネの版画「マドロン」が挿し絵に使われているが、限定番号入り二十部からアルシュ紙版五十番までは、それがグリーンの厚紙に別刷りで挿入してある。五月発行の再版ではそれが紫紙に挿絵として刷られている。この不定期刊紙は、パリ・ダダの一連の宣言集会の騒乱が様々な確執を経て一段落した段階に創刊されている。ブルトン率いる文芸誌『リテラチュール』グループに排除されたジャン・コクトーは、独力でラ・シレーヌ書店を興し、ブレーズ・サンドラルス、ツァラ、ジョルジュ・オーリック、レイモン・ラディゲ、エリック・サティ、フランシス・プーランク、マックス・ジャコブらの協力を得て、本紙の創刊にこぎ着けた。各所にパリ・ダダの影響が認められることから、初期のダダ文献のひとつとされる。創刊号を除き、残りは大きな紙に片面刷りであるが、タイポグラフィーと紙面構成に雑誌『ダダ』のそれが反映している。 30.不定期刊文芸紙『ル・コック・パリジアン(パリの雄鶏)』
『ル・コック』の終刊号は『ル・コック・パリジアン(パリの雄鶏)』と表題が変わっている。第一次大戦直後で印刷用紙が不足していたため、ヨーロッパ各地に誕生した前衛文芸誌はどれも用紙の入手に苦しんでいた。そのため、今日では考えにくい脆弱な紙が使われることもあり、それが前衛出版物の稀少性を高めている。縦横のスペースを自在に使ったタイポグラフィーは、ダダのもっとも得意とするところである。コクトーはこのダダ衛星紙の発行を通して、ツァラ、ピカビアらとの結びつきを強め、やがてブルトンらのシュルレアリスム運動と合流することになる。 31. 隔週刊情報・批評紙『セッタール(七芸術)』
ブリュッセルでヴィクトル・ブールジョワとその兄弟ピエール、フルーケ、カレル・マエス、モニエらが創刊した前衛週刊紙。第一季節から第六季節まで百五十六冊を数える。タブロイド判で四頁。ただし六頁のものもある。脆弱な紙に刷られているため、現存数はきわめて少ない。建築、映画、絵画、文学を取り上げる。リノカット、木版画などの、オリジナル抽象版画を含む。モホイ=ナジ・ラースロー、ユイブ・ホスト、ブールジョワ、ポール・ヨーステンス、フランツ・マゼレール、エンリコ・プランポリーニの個人特集号も存在する。『デ・ステイル(様式)』、『アット・オーヴェルジヒト(探究)』、『ウェンディンゲン(彷徨)』などと並ぶ、低地諸国圏での重要な定期刊行物である。
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